508 【挿話】エピフィルム 5
ドンッ。
「エピさんどうぞ。これダンジョン土産です」
テーブルに置かれたのは、漆黒のヤシの実……ではなく、大きな石だった。
何処から出した?
否、それよりも……そのダンジョンには俺も同行していたのだが……
先の夏季休暇には、葵からの誘いを受けて共にダンジョンに潜ったのだ。不思議なことにダンジョン内では、呪いの影響が現れることはなく、常に人の姿でいられた。ダンジョン内はこことは違う空間、異なる世界の欠片と言われており、この世界の法則が適用されないのかもしれない。そう、ダンジョンは昼夜を気にすることなく行動できる数少ない場所だった。
だからと言って、ダンジョンに引き籠ろうとまでは思わないが……
歌手なのか、踊り子なのか、奇術師なのか、よく分からない舞台活動とやらが落ち着つくと、彼女は再び庭に顔を出すようになった。彼女は時間の経過とともにかなり打ち解けてきて、いつからか俺に無防備に抱き着いてくるようになった。もしかして、ぬいぐるみと勘違いされているのかもしれない―――
全く、困った奴だ。
未だに彼女は獣の姿の俺“エピフィルム”と、人の姿の俺“月来馨”が同一人物であると露ほども疑っていないようだ。まあ、こちらが意図的に隠しているのもあるが……流石に鈍い。
夏季休暇が終わり、気が付けば季節は秋へと移り変わっていた。学院も後期の講義が始まり、彼女から今このタイミングで夏季休暇の時の土産を手渡されたわけだが―――
いつの間にこんな巨大な魔力石を手に入れていたんだ?
目の前の石には、黒曜石を思わせる黒光りする表面に白い斑紋が浮かんでいる。これは魔力を帯びた石、魔力の塊だ。多分、魔物産の魔力石だろう。そして、彼女はこの石の価値を全くわかっていないようだ。これを売るだけでどれだけの金額になるか……
「あ、それとこのペンダント、お返ししときますね」
ダンジョン土産に続いて俺が押し付けたペンダントを返そうとしてきた。何となくムッ。俺から贈られたものは、受け取れないというのか。
「いらん。これは、お前にやったものだ」
今更返されても困る。これは俺の未練の塊で、断ち切るために彼女に押し付けたのだ。
「いや、でも……もしかしてエピさんは王族……」
「戯言だ」
何故俺の出自を知っている? 葵が漏らしたのだろうか?
それなのに、“エピフィルム”と“月来馨”が同一人物だと気づいていない?
それとも態とか?
鈍いのか、鋭いのか、一体どっちだ?
「もしかして……エピさんは、猫の国の王族……」
「ああん? 何か言ったか」
否、こいつ、全ぁぁぁぁぁくわかっていない。
その後もペンダントを返す、返さないとやっていると、彼女は何かに気を取られたのか突然動きを止めた。視線はテーブルの上に向けられているが、魔石やペンダントを見ている訳ではないようだ。何かを目で追うように動いている。何だか様子がおかしい。否、おかしいのはいつものことなのだが、これはおかしいを通り越して、挙動不審だろう。
「え、ちょっと待って、もしかしてこれが精霊の女王からの私への報酬?」
彼女は、ぼそっと意味不明な独り言を呟き、困惑したような表情を見せた。
ん、待て、精霊の女王? その聞き覚えのある名詞は……
「そこに何かいるのか?」
彼女の視線の先を窺うが、何も見えない。しかし、何かの気配はある。さらに目を凝らすと、空間が僅かに震え、ふわふわした何かが突然テーブルの上に現れた。上部に角のような突起が二つ付いている。ぽよぽよと跳ね回る様子は、僅かな風に翻弄されている抜け毛の塊に見えなくもない。
「もしかして、これが精霊なのか?」
俺は精霊というものをダンジョン内で出会った女王と称するものを除いて初めて見た。一般的な精霊のイメージといえば、人形のような人型であろうが、実際は全く異なる。これは―――、毛玉だ。何とも不思議な存在に手を伸ばすが、指先を掠めするりと逃げる。まさに毛玉が僅かな空気の動きで転がっていくようだ。
もしかしたら、彼らはダンジョンでの“願い”を叶えにこの場所に現れたのではないか。
俺の願い。それは、完全な人になること。
口では諦めたと言いつつ、心のどこかでずっと期待し続けている―――
もしかして―――
『ザンネンダケドー、ネガイハカナワナイヨ』
精霊の発した言葉に俺は凍り付く。
『ネガイヲカナエルノハ……ムリ。ソレハ、モハヤノロイデハナイ。スデニタマシイニキザマレテイル』
何故、知っている?
精霊は俺の心を読んだように、子供の頃に呪術者に告げられたことを繰り返した。
精霊が俺の希望を打ち砕く。
『ザンネーン、ザンネーン』
精霊たちは何が楽しいかびょんびょんと跳ね回る。明らかに俺を揶揄しているのだろう。
『ザンネーン、ザンネーン』
カッと血が頭に上った。
バンッ!
「そんなのは分かっているっ!」
おれは忌々しい精霊を圧し潰す勢いでデーブルに手を突き立ち上がった。精霊たちは俺の手をすり抜け、彼女の頭の上に避難する。キッと精霊を睨み、牙をむき、爪を立て、威嚇―――
「……エピさん落ち着いて」
彼女がいきなり抱き付き、両の腕にぎゅっと力が籠められる。
ああ、そうだ。俺は獣の姿をしていても人なのだ。感情に流されてはいけない。
「全く、お前は……」
彼女の肩は、俺の激高に慄いたのか僅かに震えていた。俺が激情に身を任せ、爪を振り下ろしていたら、一体どうなっていたのだろう。でもお陰で冷静になれた。この程度の事で動じるとは、俺もまだまだ未熟だ。
そう、わかっている。期待した俺が馬鹿なのだ。
俺は彼女の頭の上の精霊たちと向き合う形になってしまった。彼らは何事もなかったように楽し気にぽよぽよと跳ね、続けて思いがけない言葉を発した。
『ノロイヲトクコトハ、デキナイケレド、イツワルコトハデキルヨー』
別の精霊が言う。
『アノネー、ウンメイノムスメニ、エラバレレバ、イインダヨ』
「運命の娘……」
俺はその言葉を反芻する。
運命の娘。
運命の娘。
運命の娘……
「エピ……さん?」
どこかで微かに俺を呼ぶ声が聞こえたような気がした。




