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おもいで精霊と何者でもない私  作者: 天乃 朔
第5章

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507 【挿話】エピフィルム 4

 彼女―――如月明日葉が庭園に迷い込んできたのは、まだ薔薇の蕾も膨らみ始める前のことだった。

 彼女を一言で表現するのならば―――………


 “おかしな奴”、である。


 そもそも出会った状況からしておかしい。薔薇の垣根からいきなり腕が生えるなんて、一体誰が想像できる? 勢いあまって突っ込んだとしても―――……一体どういう状況だ? おかしすぎる。

 彼女と出会ったのはまだ陽が高い時分で、いつものように化け物と忌避されるかと思ったのだが、意外なことに、懐かれた。

 獣の姿のどこが良かったというのか、そこからしてもおかしい。

 その日以降、彼女は度々庭に現れ、頼んでもいないのに、草むしりや害虫駆除など庭仕事を手伝うようになった。


 まあ、勝手にすればいいさ。


 俺は彼女をそのまま放っておき―――、いつの間にか彼女が傍らにいることが当たり前となっていた。それなのに彼女の顔を思い出そうとすると、その顔が霞掛かったように塗り潰された。それでも彼女が現れると、何となく雰囲気で彼女だと分かった。そして、何故だか傍にいることが心地よく感じられた。

 ただ―――、彼女の好きな男の惚気話には辟易していたが。


 ある日、彼女が大泣きして胸に飛び込んできた。

 彼女は思い人に失恋した。

 彼女もまた愛とかいう幻想に振り回されていたのだ。全く、愛や恋に現を抜かすなんて、愚かしい。愛などこの世に存在する訳がないじゃないか。この俺を見るといい。

 いつもの俺なら、「失恋などくだらない」と突き放すところだ。しかし、何故かこの時は、恋に破れ泣きじゃくる小さな存在を哀れに感じた。

 祖母から受け取ったペンダントを彼女に渡したのは、何故だったのだろうか。

 ほんの気まぐれなのか、それとも恋などと浮ついたものに振り回される彼女に苛つき、俺の重荷を押し付けたかったのか―――……これは俺の心の奥底に燻る悪意なのだろうか……

 もし、愛などというものが本当に存在するのなら貫いてみるがいい。


『ソノ想イヲ貫ケタラ、俺ニモ可能性ガ残サレテイルカモシレナイ』


 そして、どこかでそんな恋心など粉々に壊れてしまえと思ったのかもしれない。


『俺ト同ジ処ニ堕チテクレバイイ』


 今では、あの時の気持ちが良くわからない。

 ただ、あの時の彼女の顔は強く心に刻まれている。涙と鼻水で酷い有様だったけれど、何故か愛らしいとさえ思った。それ以降、彼女のことを考える時は、そのくしゃくしゃの顔が思い浮かぶようになった。



「最近、明日葉ちゃんが来ないので寂しいみたいだな」


 ジャキン。


 不意の葵の言葉に手元を狂わせ、まだ咲いている薔薇の花を切ってしまった。


「そんなことはない」


 ここのところしばらく彼女の姿を見掛けていない。やはり彼女は俺に愛想を尽かせてしまったのだろうか。


「嘘つけ、尻尾がシュンとしているぞ。尻尾は正直だよな」

「そんなことは断じてない」

「まあ、無理スンナって。安心しろ、明日葉ちゃんは舞台活動に励んでいる」

「は?」


 葵が訳の分からないことを言った。舞台活動? 彼女は舞台役者にでもなるつもりなのか? その後の葵の説明も要領を得なかったが、どうやら彼女は何だか奇妙なことに首を突っ込んでいるようだ。やはりおかしな奴だ。


「もうすぐ日も落ちるし、花の手入れはその辺にして、これから明日葉ちゃんを迎えに行こうぜ」


 背凭れを前にして椅子に跨った葵が、傾いた太陽を示した。

 ああ、もうこんな時間なのか。日没後であれば、俺も堂々と出歩ける。

 俺たちは劇場へと続く小道で、洒落っ気の欠片もないジャージ姿の彼女を出迎えた。彼女の顔を思い出すことができなくとも、その存在は直ぐに分かった。そこにいるだけで、ああ彼女だと思う。

 しかし、どんな舞台活動だか知らないが、暗い夜道を一人で歩かせるなんて物騒じゃないか。主催者側で配慮しないのだろうか? これからは、できるだけ迎えに来た方が良いかもしれない。


 舞台活動とやらの本番当日は、葵から貰ったマントのフードを目深に被り、まだ陽の高いうちに葵と共に劇場まで足を運び、劇場のボックス席の片隅で隠れるように鑑賞した。

 彼女がどんな役回りか知らないが、どうせ端役だろう。見逃さないようにしなければならない。何らかのトラブルがあったのか予定より遅れて幕が上がると、予想に反して彼女は初っ端から舞台上に登場した。

 最初は髪色も異なるし、いつもと雰囲気が異なるので、別人かと思った。しかし、やはりアレは……

 不思議なことにあれだけ思い出すことの出来なかった彼女の顔が、舞台上でははっきりと認識できた。いつも見ているのに、不思議な感覚だ。


「エピ、オペラグラスいるか?」


 葵が金属製のオペラグラスを手渡してくる。しかし、獣の俺には少し小さすぎるようだ。それに……


「どうやら、これは必要ないようだぞ」


 俺たちが座っている二階ボックス席の高さに、どういう仕掛けか巨大なスクリーンが次々と浮かび上がり、舞台上の彼女の姿を映し出す。スクリーンに映し出される彼女は何だかとても眩かった。


「凄い技術だな……いや、魔法か?」


 葵が感心したように呟く。

 何だ、アイツ、こんな顔をしているのか。泣いていなければ不細工じゃないじゃないか……いや、泣いていても決して不細工ではないが―――……

 彼女の顔はしっかりと記憶に刻まれたが、何だか普段と違いすぎて遠い存在になったような気がする。

 歓声―――、拍手―――音の波―――……


 ぽふぽふぽふ……


 俺は惜し気ない拍手を贈った。音がポフポフというのはご愛敬だろう。

 まだプログラムは残っているが、俺たちは彼女を迎えるため席を離れた。

 劇場外のエントランスに落ちる影は短く、まだ陽が高い。こんな時刻に街中に出るなんて、一体いつぶりだろうか。


「お、明日葉ちゃん、発見」


 彼女の姿を見つけ、葵が近づいていく。彼女はいつもの臙脂色のジャージ姿で、また何となくぼんやりとした印象に戻っていた。何故かその姿に安心したのは秘密だ。


「やあ、明日葉ちゃん、お疲れ様。素晴らしいステージだったね。すっかり君のファンになってしまったよ。僕がファン第一号になっても良いかい?」


 目を離した隙に葵が調子のいいことを言っていた。未だに学院の王子様とやらを演じているのだろうか。


「え、あれが私だって分かったんですか?」


 彼女がおかしなことを言う。確かに普段の印象は薄いが、舞台上の姿形は、多少衣装が異なるだけで、そのままじゃないか。


「ん、当然じゃないか。化粧をして髪色も変わっていたけれど、顔をみれば明日葉ちゃんだって、直ぐにわかったよ」

「まあ、何となく分かるな……」


 葵のような気の利いた台詞は言えないが、俺もここにいるというアピールを兼ねて会話に割り込む。


「エピさんっ!」


 彼女が俺の姿を認め、いきなり飛びついてきた。


「おいっ、離れろ」


 咄嗟に引き剝がそうとして、思い留まる。まあ、好きにさせてもいいんじゃないか……


「いや、何か俺と扱いが違いすぎない?」


 葵が何かぼやいた。

 そのまましばらく彼女に抱き付かれるまま動かずに―――……


「ん?」


 視界をゆらゆらと揺れるものが―――……


 ポン。


 彼女の頭頂部でひと房の髪がゆらゆらと揺れ動いている。つい、手が出てしまった。

 ああ、えっと、これはだな……


「おい、寝癖……」


 ぶっきらぼうな言い方で取り繕う。


「ほぁ?」


 彼女が小首を傾げると一房の毛がぴょんぴょんと揺れ動く。


「むっ……」


 彼女はもしかして、俺を挑発しているのかもしれない。



エピさん編終わらなかった……

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