503 エピさんの秘密
「俺がエピフィルムだ」
月来先輩が言った。
「…………………………………………、は?」
一瞬の思考停止。それから―――、それが咄嗟に私を宥めるために吐いた嘘なのだと思った。まあ、お陰で涙は引っ込んでしまった訳だけど。
「うー、笑えない冗談は止めてください」
エピさんと月来先輩が同一人物? ありえない。ありえない。冗談にも程がある。
「何故、俺がそんな冗談を言う必要があるというのだ?」
月来先輩は何故か偉そうに腕を組み、踏ん反り返って、ジッと私を見つめる。
「だって、エピさんは巨大な猫じゃないですか。月来先輩は、その…、フォルムっていうか、もふもふ具合というか、全く違うし……」
同意を求めようと日向会長に視線を向けると、会長は大きく首を振った。
「いや、明日葉ちゃん、本当だから」
「えーっと、先輩たち、私を揶揄っているんですよね……?」
確かにエピさんは呪われていて、猫は仮の姿みたいなことを言っていたけれど……エピさんと月来先輩が同一人物だなんて俄かには信じられない。
「そうか……、そんなに信じないなら、証拠を示そうか?」
月来先輩がニヤリと嗤う。う、何か嫌な予感。
「如月明日葉は、鬼頭何某に振られて、鼻水ずるずるの大泣き……」
「うわわわわわぁぁぁぁぁ!!!」
ちょっ、個人情報! プライバシーの侵害!! 月来先輩と日向会長に聞かれたらどうするのっ! ……って、暴露しているのは月来先輩だった。
私があわあわしていると月来先輩が日向会長をチラッと見る。
「葵、ちょっと席外して貰えるか」
「ああ、ごゆっくり」
そう言うと日向会長はサンドウィッチを二つほどひょいひょいっと掴み庭園の奥へと消えていった。それから、月来先輩は私に向き直り―――
「で、鬼頭何某にこっぴどく振られて、鼻水垂らして泣いていたという話なんだが……」
「いや、ちょっと待って! その話に戻る?」
あんまりじゃない? 乙女のハートをグサグサ抉ってくるなんて……
「でも何で月来先輩がそんなこと知っているんですか! もしかして、エピさんが話した………って、エピさんに限って、そんな訳ない。……ってことは、まさか、ホントに、ホントに月来先輩がエピさん……なの?」
「だから、さっきから言っているだろう。俺がエピフィルムだって。ったく、何だってそんなに猫に対して信頼感があるんだ?」
それはもちろん、エピさんだから。
私は月来先輩の足先から頭の天辺まで視線を這わす。エピさんのエの字も、キジトラの毛の一房も見つからない。どうでもいいけど、月来先輩はどちらかというと黒猫……いや、黒豹のイメージだと思う。
「じゃあ、じゃあ、エピさんに……猫の姿になることもできますよね。だったら信じます」
そうだよ。最初からそうしてもらえば良かったんだ。目の前でエピさんになったら、これ以上ない証拠じゃない? さあ、見せてもらおうじゃない。
「それはできない」
「は?」
バッサリ断られた。
何故に? いきなり拍子抜けなんですけど……
月来先輩は物憂げに漆黒の髪を掻き揚げた。う、美形がそんな仕草をするなんて反則。耳の奥で聞こえているのはもしかして私の心臓の音? ドキドキと煩い。
「自分の意志では変われない。俺は太陽の光の下では獣に、月の光の下では人になる。俺の家系にはたまに俺みたいなのが生まれる。先祖から続く呪いだ」
私は空を見上げた。太陽はまだ高い位置にある。そして、視線を月来先輩に戻した。
「ん? ああ、ここのところ太陽の下でも人でいられることが多くなった。呪いが解けかかっているのかもしれない。理由なら知らん。そもそも呪いなんてそんなものだろう」
え、そうなの?
「でも、ダンジョンでは、昼間なのに月来先輩の姿でしたよね?」
「ダンジョンの中では昼夜問わず、人の姿でいられる。これも理由は分からん。この世界の呪いが届かないんじゃないか?」
うーん、テキトー。
とにかく、人が猫に姿を変えるなんて、どういう仕組みか分からないけれど、この世界には魔法だって存在するのだから、そういう呪いが存在したとしてもおかしくない―――たぶん。
でもでも―――、ちらっと月来先輩を見る。
「ホント―に、ホント―に、エピさんなの?」
私がイメージしていたエピさんの人型とは全く違う。月来先輩は……あまりにも、あまりにも………………格好良すぎる。
「しつこい。何度言えばいいんだ。疑い深いやつだな」
まあ、月来先輩が私を騙しても何の得もないんですけどね。
「じゃあ、ここのところエピさんに会えなかったのは、エピさんに嫌われていた訳じゃないんだ……」
何だか急に心が軽くなったような気がする。
「そっか……、エピさんは呪いが解けて人間になったんだ……」
「ああ、まだ不完全だがな」
月来先輩は嬉しさを隠そうとして、隠し切れていない表情を見せる。それに釣られて私も何だか嬉しくなった。
「良かった。本当に良かったねえ……」
いつものようにエピさんに抱き―――つこうとして固まった。ちょっとまって、この状況で抱き着くのは問題あるのでは……
「ほら、どうした。いつものように抱き着いてこい」
月来先輩が腕を広げる。しかし、視線の先に居るのは巨大な猫ではない。
「え、流石にそれはちょっと……」
「どうした。いつもやっているだろう。何だ? 差別するのか? どちらも俺だというのに」
月来先輩がアリクイの威嚇のポーズのように仁王立ちで挑発してくる。その揶揄うような表情で察した。これは、抱き着くはずがないと思っているんだろう。
ふふん、いいでしょう。その挑戦受けてやろうじゃないの。私がどんな姿のエピさんも差別しないって証明して見せる!
私は思いっきり、月来先輩の胸に飛び込んだ。
どすっ。
「ちょ……おま……」
その胸はエピさんのようにフカフカではなく、硬かった。
もしかしたら―――、このままもう猫の姿のエピさんには、会えないのかもしれない。そんなことを考える私はきっと悪い子なのだろう。だって、エピさんが猫の姿になるということは、彼の不幸を望んでいることに他ならないから。
……でも、寂しいよ。エピさん。
月来先輩の身体に回した腕にギュッと力を籠める。
それにしても、なぜ今になって、エピさんの呪いが解けようとしているんだろう?
…………。
ああ、そうか……
エピさん―――月来先輩は、運命の乙女である杏子に選ばれたんだ。
「……………………良かったね。エピさん―――」
ボソッ。
私はふかふかでないエピさんの胸に顔を埋めた。




