501 時間仮説、あるいは与太話
「さて、君達に問おう。仮に、数多の無辜な人々を虐殺した暴君が事を起こす前―――、例えば件の人物の子供の頃に時を遡ることができるとして、いずれ暴君となるその人物をその時点で殺害するのは、是か否か、如何」
老教授が教鞭を片手に講義室内をぐるりと見回す。中央の一番前に座っていた瓶底眼鏡の男子学生が「ハイ」と、挙手をした。
「大勢の無辜な人々を救うのです。殺すのが正しいことではないでしょうか」
老教授は自慢の顎鬚を撫でながら、少し考えこむような仕草を見せる。
「ふうむ、わしらは歴史を知っているからそう思うが、その時点において、当人や周りの人々してみれば、全く謂われの無いことじゃ。犯しても居ない罪で何故裁かれねばならん。その時の視点で見れば、明らかに件の人物よりも殺人者の方に否がある。いくら将来暴君となり、大勢の人々を死に追いやると主張したところで、狂人の世迷い言にすぎん」
老教授の言葉は、発言した男子生徒だけでなく、この場にいる全員に向けられたものだ。
「エーでも、放っておいたら大量虐殺を起こすんだよね。じゃあ、別にいいじゃん」「でもまだ子供だよ」「暴君になるんだから、もともとの性格に問題があるんじゃない?」「生まれながらの殺人快楽者とか?」「なんで、殺しちゃだめなの? 悪人でしょ」「雑草と同じだろ? 早めの駆除が大事じゃね」「私は殺せないけど、殺した人を責められないな」「事前に大虐殺を防ぐんだもの英雄だよね」
講義室内をヒソヒソと様々な声が飛び交う。
「粛に。私語はそこまで」
室内を再び静寂が支配するが、それを破り先ほど意見を述べた男子学生が口を開いた。
「殺人者は大勢の人を救ったというのに報われませんね」
口調にどことなく理不尽さが滲んでいる。
「さて、本当に救ったのかのう……確かに件の人物が暴君となる前に殺してしまったのじゃ、歴史上、大虐殺を犯した暴君は存在しない。代わりに存在するのは、無辜な子供を殺した殺人者のみじゃ」
「え、でも未来に起こる大虐殺は阻止できましたよね。結果として大勢の人間を救ったことになるのでは?」
女子生徒がおずおずと遠慮がちに手を挙げ発言した。
「本当にそうであろうか。もしかしたら大いなる力が働き、別の誰かが帝となり、件の人物に代わり大虐殺を起こすとも限らん」
老教授の身も蓋もない言葉に講義室内は騒めく。
「つまり、世界は歴史をあるべき姿に修正し、未来は常にある一点に収束するということですか」
「それじゃ、未来は神によって既に決められているということ?」
「いやいや、既に起こった過去だから変えられないんであって、未来なら変えられるんじゃねえか?」
「でも暴君の子供の時代から見たら、虐殺の起こるのは未来だわ」
「いや、殺人者にしてみれば確定した過去の話だよ」
「だが、―――」
「しかし、―――」
学生たちは結論の出ることのない議論を延々と続け―――
「教授、結局、どうしたらいいのですか?」
女子学生の問いに皆の目が老教授に集中する。
「わからぬ。だから昔から問われておるのだ。ただ、ひとつ確かなことがある」
「それは、何です?」
老教授は生徒一人一人の顔をゆっくりと見回した。
「時間を遡ることはできぬ。故に、その暴君を殺すことは誰にも不可能なのじゃよ」
***
「やっぱり、暴君を子供の頃に殺すのは正しいと思うんだ」
「でも暴君を殺したとしても、結局別の誰かが代わって虐殺を行うかもしれないんでしょ。既に起こったことは変えられないとしたら、無駄な行為じゃない?」
「そんなのわかんねーだろ。虐殺は起こらないかもしれないじゃないか。それなら可能性に賭けるべきだ」
「英雄気取りで殺人を犯したあげく、死刑にでもなったら馬鹿々々しい。歴史上は無垢な子供を殺した単なる犯罪者、狂人扱いだぞ」
「そんなの捕まる前に未来に戻ればいいんだよ」
“時空間概論”、私の暴君な師匠に勝手に申し込まれた選択講義の一つである。老教授の訥々とした喋りが睡魔を誘い、ほぼ毎回敗北するというある意味ハードな講義だ。しかし、今回は珍しく睡魔が尻尾を巻いて逃げ出したようで、講義が終わっても数名の生徒たちが活発に議論を続けている。ただし、議論の対象となっているのは講義終わりの雑談部分であるのだけど。
私はそれらの議論を横目に、鉛筆をペンケースに仕舞ながら考えた。
魔王には、自分が魔王であるという自覚があるのだろうか?
もし現時点で、誰が魔王なのか確信が持てたら、魔王に覚醒してしまう前に殺してしまうのが正しいことなのだろうか?
「…………」
いやあ、無理無理無理!
私に殺人なんて大それたことできるわけがないじゃない。それに私の推測によると、有力な魔王候補は私のよく知っている人達だよ。
絶っーたい、無理!
そしてそして、その魔王候補には私も含まれるのだ。
もし私が魔王だとしたら―――
世界を崩壊させる前に自ら命を絶つべき……なの?
あ、涙目になりそう。
で、でも私には魔王としての自覚はない。もし私が魔王だったら、自覚があると思うんだよね。そう、だから私は、少しも、ちっとも、ミジンコほども魔王ではない。
「なーんだ。じゃあ、私が魔王の筈ないじゃない。心配して損した」
私には生まれてから今この瞬間まで一度だって、魔王だった記憶なんて欠片もない。そう、記憶なんて―――
「…………ん、あれ?」
サァーと血の気が引いた。
私には幼い頃の記憶がない|。
天城の家に来る前の記憶が一切ない……空白だ。
「いや、いや、いや、そんなまさか……」
そもそも魔王はどうやって誕生するのだろう?
ある日、自分が魔王であることを自覚する? それとも魔王に身体を乗っ取られる?
突然、私は私でなくなるのだろうか……何それ、怖い。
「……いやいや、そんなの考えすぎだよね」
そもそも魔王が降臨するなんてあくまで前世のゲームの話だし、いくら似通っていると言ってもこの世界でそんなことが起こるわけ……
「―――じゃあ何? この世の中に起こることにはシナリオがあって、これからの未来も全て決まっているってこと?」
「うーん、そうなるのかな?」
「そう、俺は大臣に、お前は下級役人の未来が確定している」
「何だよソレ」
議論していた学生たちがゲラゲラと楽しそうに笑う。
「…………」
もし、この世の中にシナリオがあるとしたら、それは多分―――、選ばれし運命の乙女が魔王を殺し世界を救うか、もしくは魔王が世界を崩壊させるかの二者択一……。
「……はは、まさかね。」
「号外! 号外!」
講義室を出ようとすると、目の前の廊下を新聞部員が大声を上げて通り過ぎ、その後を紙の束を抱えたへ組の眼鏡クンがえっちらおっちら追って行った。あっという間に眼鏡クンは、学生達に取り囲まれ、揉みくちゃにされ、私の足元には踏みつけられ足跡のついた一枚の号外が……
『来る大災厄を討つため、預言の乙女に勇者選抜の勅命が下る!』
「………………ゑ!?」
ちょっと待って! まさか私、もしかしてホントに杏子に殺されちゃう運命なの?




