104 入学式
太った男がぼそぼそと眠りを誘う呪文を唱えている。
私は術中に嵌まり睡魔との戦いに今まさに敗れようとしていた。
ガクッ―――
「!」
身体がガクンとなり、術から解放される。慌てて周りを見回すと、ずらっと並んだパイプ椅子の所々で入学生が舟を漕いでいる。
良かった私だけじゃなかった。
そうだよね。あんなの眠りに誘う呪文だよね。
今まさに、講堂では入学生を集めて式典が執り行われている。いわゆる入学式というヤツだ。
正面の演台ではどこの誰か知らないが、多分偉い人であろう来賓が何かをずっと話し続けている。この挨拶が兎に角長い。漸く終わったかと思えば、別の誰かが演台に立つ。
私の隣を見れば菊子が頭を完全に下げている。彼女もお仲間なのかと思えば、式次第を確認する振りをして熱心に譜面を読み込んでいた。そういえば、次の舞台で歌う曲が決まったとか何とか言っていたっけ。とはいえ、その肝心の「次の舞台」は未定とのことらしいが―――
今日の菊子は大きな丸眼鏡を掛け、髪をお下げにして地味に装っている。彼女が歌手を目指していて、一年後には何とかという有名な歌手に弟子入りする予定であることは、彼女の父親には内緒らしい。先日、私に雛菊であることを見破られたことで、魔法学院の学生らから父親の耳に入らぬよう、念のため目立たぬ装いにしているらしい。
「ふ……ぁ……」
私は欠伸を噛み殺す。昨日に次いで今日もまた睡魔との戦いだ。
今朝も菊子のランニングとその後の発声練習に付き合わされている。何故か菊子は私も歌手か舞台役者を目指していると思っているらしい。
否定しても聞いてくれない……
で、何となくずるずると付き合うことに……まあ、早朝ランニングは悪いことではない。発声練習は―――ストレス解消?
慣れない行動は思っていた以上に負担となっていたらしい。
本日何度目かの欠伸を噛み殺すと、こっそりと会場を見回す。この機会にアンズと攻略対象を探してみる。桃色の髪の少女なんて珍しいからすぐ見つかるだろうと思っていたのだが、これが何故か見つからない。
この国の人々の髪色はほぼ黒か茶、まれに赤毛である。異国人の血が混じっていれば金もあり得るかもしれない。白髪や灰色もいるが大抵は年配者だし、私も平凡な黒髪である。桃色なんて髪色がいたら、目立ちまくっているはず。
見渡してもそんな特徴的な髪色の少女など存在しない。そう言えば、攻略対象の髪色も極彩色だった。普通に考えたら、そんな人がゴロゴロしているとは考えにくい。もしいるとしたら、突然変異か染めているとしか考えられない。
但し―――、この世界でも髪色が変わることがないこともない。
それは魔法を使用した場合だ。魔法を使用すると魔力が巡り、その属性に合わせ髪色が変色するらしい。確か光属性は桃色だった筈……何故、桃色かって? そんなこと私が知るわけがない。
それにこれもあくまで噂に過ぎない。魔力を持つ者は少なく、そのうち魔法を使える者はさらに少ないのだ。
ゲームの主人公であるアンズが魔法を使えないとは考えにくいので、その時の髪色で見つけ出せるかも知れないが、これだけの入学生の数だ。魔法の授業が必ずしも一緒になるとは限らない。
それから一番の問題は―――、前世の記憶では、ゲームの中のアンズや攻略者達は「絵」でしかないことだ。写実的であれば良かったのだが、残念ながらその姿はデフォルメされたものである。実在の人間に二次元の人物を重ねるのは難しい。私があの人やデイジーに気づいたのは、彼らのどちらもこの世界では違和感がない茶の髪色で、しっかりと顔を確認できる機会があったからだ。
特に自分の好きな人を間違える筈がない! 菊子はまあ、たまたまだけど……
ずらりと並ぶ人学生の姿、さすがに式典中に振り向けないが、後ろにも大勢いる。この中から、どうやって探し出そう。
斜め向かいのあの子のふわふわっとした髪の感じ、もしかしたらアンズじゃ無いだろうか?
いや、それともあっちの子の顔立ちが何となく……
あの子は……違うな。
『アンズと攻略対象の誰かをくっつけて、傷心の彼の心の支えになる作戦』が早くも躓きそうだ。
気付けば院生代表と入学生代表の挨拶がいつの間にか終わっていた。確か院生代表と入学生代表は攻略対象だった筈。
しまった! 見逃した。
あんな目立つ髪色の人達がいたら視線が釘付けになりそうなものだけど……私の目は節穴か! それともやはり普段の髪色は平凡なのだろうか?
入学式が終了し、入学生たちがガヤガヤと席を立つ。
「ねえ、アンズ―――」
喧噪に紛れ、背後で誰かが誰かに呼びかける声が聞こえた。私は立ち上がり、声の主を探す。
「ちょっと、何?」
隣の席の菊子が驚いたように私を見上げたが、今はそれどころじゃない。
可愛らしい女の子の横顔が式典会場から外へと消えた―――ような気がした。
私は、慌ててその姿を追う。
―――で、見失いました。
一体、ここはどこ?
両側が緑の壁になった狭い通路を進む。どうやら庭園に紛れ込んでしまったらしい。
行き止まり?
と思えば左右に緑の通路が伸びている。左の通路を進むと再度突き当たり、角を曲がるとまたもや緑の通路が続いている。まるで迷路だ。いや、まるでではなく、間違いなく迷路だ。
この辺の生垣を突っ切れば外に通じていないだろうか?
生垣を掻き分けようと腕を突っ込む。
「痛っ!」
よく見ると生垣は荊棘だった。固い蕾がいくつも付いている。
腕がヒリヒリと痛む。自分の迂闊さを呪うばかりだ。
兎に角、通路沿いに歩くしかない。そうして、いくつ目かの角を曲がり―――
ボフン。
と、ふかふかの壁にぶつかった。
柔らかくて気持ちいい。
思わずぎゅっと抱きしめ、そのまま顔を上げる。
「猫……?」
そこには巨大な二足歩行の猫が居た。巨大な猫が私をギロリと睨む。
「いきなり抱きついてくるとは、失礼な娘だな」
あ、猫が喋った。




