403 時空の魔女1
「『何でこんな処にいるのぉ?』じゃない。居ちゃ悪いか」
長い艶やかな絹の黒髪に、滑らかな白い肌、睫バサバサの切れ長な目、深紅のルージュを刷いた唇にキセルを咥え、身体の線を隠さないタイトな黒の衣装に身を包んだ妖艶な美女が、黒豹に似た巨大な獣に物憂げに枝垂れ掛かり待ち構えていた。
「相変わらずバリバリの若作りですね。とても成人した息子+1が居るとは思えませんよ」
「相変わらず生意気だね。お前は」
キセルをポンと空中で叩くと灰が飛び出し、地面に落ちきらぬうちに空間にスッと消えた。
うん、間違いない。この無作法で偉そうなのは、私の師匠、天城三千代である。師匠とは魔法学院の入学前に会ったきりだから、ひぃ、ふう、みぃ、よ、いつ、む……六ヶ月ぶりだろうか。それにしても相変わらず年齢不詳……まあ、四十代なんだけどね。
ゴツン。
「あうっ!」
「今、余計なこと考えたね」
師匠がキセルで私の頭をコツンと…いや、ゴツンと叩いた。痛い。それにしても、何故分かった?
「くあぁ」
「あ、ムー君も久しぶり」
黒豹に似た師匠の使い魔がスリスリと頭を擦りつけ慰めてくれる。可愛い。が、ちょっと力加減が……
「まーったく、この子は久しぶりに会ったと言うのにご挨拶だねえ。魔学に行ったっきり、連絡も寄越さないとは良い度胸じゃないの」
「えーっ、たまに近況報告の手紙を送ってたじゃ無いですか。それに夏の休暇には、ちゃんと天城の家に帰りましたよ。居なかったのは師匠の方じゃないですか」
「だって、仕事だったんだもーん。仕方がないじゃない。私の居ない時に帰ってくる方が悪い」
「だもーんって……そんなの理不尽すぎるでしょ」
先の休暇、本当は自立の意志を固めるためにも、天城の家には帰らずにアルバイトをして寮で過ごす予定だったのだが、その意志を揺るがす不測の事態が起こってしまったのだ。なんと! 休み期間中、二週間も食堂が閉鎖されてしまうということが判明したのである。
絶望したね。
そこで私は後ろ髪引かれつつも、結局再び天城家のお世話になることにしたのだった。二度と戻らない決意で天城の屋敷を後にしたのだけれど……でも、これって不可抗力だよね。不可抗力。
で、久々に帰った天城の屋敷に師匠の姿は無かった。何でも仕事が忙しいらしく、入れ違いになったらしい。
「あ、そういえば師匠、アトリエの掃除全然していないですよね。すっごい埃でしたよ」
結局、私の帰省は師匠のアトリエの掃除に終始したのだった。
「ちっ、家憑き精霊ども、役に立たねーな」
「もー、精霊が掃除する訳ないじゃないですか。アレ自体埃みたいな存在ですよ。まさか私が居なくなってからずっと掃除していないなんてことはないですよね?」
「うーん、どうだったかな?」
あ、これはやってないな。天城の屋敷には使用人がいるけれど、師匠はアトリエに人を入れたがらず、掃除をお願いしていないのだ。
「あのー、お話中も申し訳ありませんが、キサ……天城特別講師、指示通り当該の学生を連れてきましたので、私はこれにて……」
「ああ、ご苦労サン」
そういえば、この場には染井先生も居たのだったっけ。染井先生は、飼い主の指示を待つしょぼくれた老犬のように傍らで“マテ”をしていたのだが、流石に痺れを切らしたのだろう。
「あ、ちょっと待て、染井クン。焼きそばパンと珈琲牛乳を買って来て。精算は後でね」
「はぃ?」
暇乞いと共に踵を返した染井先生は一瞬硬直し、ぐぎぎと師匠の方へ首を回した。
「何か問題でも?」
「い、いえ、分かりました。もう、相変わらず人使いが荒いんだから……」
染井先生は、ぐちぐち言いながらパタ、パタとサンダルを鳴らし、訓練場を去って行った。
「ししょー! なに先生を使い走りにしているんですかっ!」
「だって、アイツ私の子分だしぃ、別にいいじゃない。ねっ」
師匠は当然の様にそう言うと、傍らの黒い獣、使い魔のムー君に同意を求めた。
「ぐぎゃぎゃ」
ムー君が大きく頷く。
「いや、ムー君も師匠に同意しないで! 良くないですからね。そもそもホントに、師匠はこんな処に何しに来たんですか!」
まさか『焼きそばパンを食べに来た』何て言わないよね。師匠ならあり得そうだけど。
「あら、そんなの、私がアンタの指導教官だからに決まっているじゃない」
「へ? 師匠が? 何で?」
「はあ?アンタ、私を何の師匠だと思ってたの? 私はちょー貴重な偉大なる無属性魔法の使い手、時空の魔女様だよ。この私が直々に指導してやるんだから有り難く思いなさい」
「は? 時空の魔女?……何ですか、その恥ずかしいの。それを自分で言っちゃう?」
何だかよく分からないが、師匠は時空の魔女であることに誇りを持っているらしく、所謂ドヤ顔である。まあ、私は師匠が何の師匠であるか、今、初めて知りましたけどね。
―――自分ダッテ、愛ト勇気ト希望ノ魔法戦士ジャナイノ。
うわ、何か聞こえた。
「……それなら、もっと早く私に魔法を教えてくれてもいいじゃ無いですか」
「何言ってるの、ちゃんと基礎の基礎を教えたでしょ」
全く記憶にございません。
「まさか、日頃の掃除が修行だなんて言わないですよね。そんなので誤魔化されませんからね」
「まあ、そんなことより、ちょっと顔見せな」
師匠が私の顔を両手でぐいっと挟んで繁々と見詰める。あ、何だか既視感。
「うーん、解けかかっているみたいだけど………………ま、いっか。いつまでも隠し通せるものでもないしね。そろそろ潮時かもね」
「師匠?」
一体何の話をしているの?
「ほえっ!?」
師匠が突然私の鼻をキュッと摘まんだ。
「もー師匠、何をするんですか!」
師匠の指先は相変わらず草汁に染まり、爪もガタガタでキチンと手入れされていない。何故そこだけ放置? と思うけれど、師匠が相変わらず師匠のままなのが何だか嬉しい。まだ六ヶ月しか経っていないというのにね。
パタ―――……パタ―――パタパタパタ……
そこに聞き覚えのある音が近づいてくる。
「先輩、じゃなかった、天城臨時特別講師、焼きそばパンと珈琲牛乳を買ってきましたよ」
染井先生が現れて、茶色い紙袋を恭しく差し出す。学院の購買は昼でないとパンを販売しないので、多分学院の外で購入してきたのだろう。
えーっと、勤務中にいいの?
「おう、早かったな。ご苦労。後で精算するから、もう行って良いよ」
「今度こそ失礼しますよ。全くもう、先輩は昔から勝手なんだから……」
染井先生はパタパタとサンダルを鳴らし、その場を去る。グチグチ言いながらも、すれ違った顔がどこか嬉しそうなのは気のせいだろうか?
師匠は早速ガサガサと紙袋を開けると、焼きそばパンにバクッと齧り付いた。
師匠、行儀が悪すぎます。
「ひゃらが、へっひぇては、いくひゃがでひずってね……もぐもぐ…………」
師匠、何を言っているのか全くわかりません。もしかして、ちょっと会わないうちに残念さに拍車が掛かりました?
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「ゴクゴクゴク……ゴクン」
師匠は腰に手を当てて瓶入りの珈琲牛乳を飲み干した。
「ぷはぁ、それじゃ、早速魔法の訓練をはじめようじゃないか」
ところで師匠、何で瓶入り牛乳の蓋を開ける道具なんて持ち歩いているの?




