323 【幕間】白根兄弟
「嘘だ……」
俺は呆然と掲示板を見上げていた。掲示板には中間試験の結果が張り出されている。
一番上には『如月明日葉』、―――………知らない名前だ。
二番目には『有明董子』、これは知っている。有明教諭の妹の名前。
三番目……
「嘘だろ……」
一番上にあるべき名前がない。それどころか、三番目にすら名前がないなんて……
そこに掲げられているのは、『大飛燕』。最年少で入学したという天才少年、学院内では、彼と賭けをしたということは有名だ。まさかあんなガキに負けることなどないと思っていたのに……
「……これは、どういうことだ? 何かの間違いじゃないのか?」
目の前の事実が信じられない。
そして……その下、四番目……四位、いや同順三位に探していた名前を見つけた。
安堵とも、焦燥とも、悔しさとも何とも言えぬ感情が心の奥底から湧き上がる。
ガシッ。
「うをっ!」
「よお、白根、残念だったな」
不意打ちで背後から腕を回され、変な声が出た。同じ組の悪友だ。こいつとはお互いに平民ということもあって、入学時から何となく連んでいる。
「ふん、そう言うお前はどうなんだよ」
俺に男同士でベタベタと触れ合うような趣味はない。なので、肩を組むように回された悪友の腕を振り解こうとするが、悪友の腕はそれに逆らいガッチリと俺を絞めてくる。おい、絞技かよ。
「聞くまでもねーよ。補習組に決まってんだろ。庶民が勉強で、お貴族様や金持ちに勝てるわけがねえ。まあ……、例外がいねー訳でもねえけどな」
悪友の視線が掲示板の上部に向かう。
そこにあるのは、同順第三位、「白根芹」の名だ。
***
俺の実家である白根家は、先祖代々由緒ある平民の家系である。平民にも金持ちから貧乏人まで色々あるが、白根家はどちらかといえば貧しい方の平民だ。
貧乏な庶民と、金持ちや貴族階級の間には決定的な差がある。それは、貯蓄の額……は当然として、教育の機会の差である。貴族や裕福な家であれば、幼い頃から十分な教育がなされ、高等教育機関への進学も選択肢になるが、その辺に転がっている貧しい庶民にはそんな機会が与えられることはまず無い。貧乏人は最低限の読み書き算盤ができれば十分なのだ。
昔、学校の先生が言っていたが、金持ちの家に生まれれば、どんなボンクラであろうとも家庭教師がついて、それなりの知識人擬きにはなれるらしい。
結局、貧乏人の子供は貧乏人になり、金持ちの子供は金持ちになるようにできているのだろう。哀しいけれど、世の中ってそう言うものだ。
だが、兄貴は―――
「貧困から抜け出すために、貧乏人こそ勉学に励むべきなんだ!」
そう言って、幼い頃から熱心に勉強していた。将来は役所に勤めるか、学校の先生になり、安定した収入を得て貧しい白根家の家計を助けるつもりらしい。
当時、俺たちが通っていた学校には親切な先生がいて、授業以外にも色々なことを教えてくれた。更に貴重な本まで貸してくれ、兄貴はそれを何度も繰り返し読んでいた。俺もそれらの本を手に取ることもあったが、まだ幼い俺にはお堅い学術書よりもたまに混じっている冒険譚の方が魅力的だった。
「僕は一を聞いて十を知る天才ではないからね。だから、一を聞いてその一を忘れないようにしっかりと勉強するのさ」
兄貴は幼い頃から、近所では有名な神童だった。人は天才だと噂したが、人並みならぬ努力家であることを俺は知っている。兄貴は天才でなくとも間違いなく秀才ではあった。
兄貴は俺の自慢であり、憧れであり、手の届かない目標だった。彼ならきっと難関試験を突破して、役人や先生に成れるに違いない。しかし、それには大きな障害があった。受験資格を得るにも高等教育が必要なのだ。
俺の家は食うに困るほどではないが、書籍の購入にお金を回せないほどには貧しかった。兄貴が高等学校に進学するには多額のお金が必要で、親父とお袋は兄貴が学問に目覚めたことを複雑な想いで見ていたことだろう。多くの貧乏人の親は、我が子が学問に目覚めないでくれと祈るらしい。
家が金持ちだったら俺だって……
そんな兄貴と俺に転機が訪れた。何と俺たち兄弟が魔力持ちであることが判明したのだ。
この国には男児は三歳と五歳に、女児は三歳と七歳に神社仏閣で祝いの儀式を行うのが一般的であり、その儀式に併せ、役所から魔力判定員が派遣されて、子供達の魔力と序でに憑いてる精霊の有無を確認する。
しかし俺たちの場合、白根家の家訓なのか……いや多分財政的な事情で、その儀式には参加しなかった。この国では全国民が子供のうちに一度は魔力判定を受けることが義務づけられており、俺たちは役所からの指導によって、俺が十歳の時に揃って形式的な魔力判定試験を受けることになった。
誰も俺たち兄弟が魔力持ちだなんて夢にも思わなかっただろう。当の本人でさえ未だに信じられないのだ。親父が言うには、先祖返りでは無いかとのことだった。何でも父方の祖母の姉の旦那の叔母が魔力持ちだったらしい。
それって、もう血縁でも何でも無いと思うのだが……
何はともあれ、俺たちは魔力持ちだった。これで一年間の期限付きとはいえ、時が来たら王立魔法学院に入学することが約束されたのだ。ちなみに俺たちは精霊憑きではない。
兄貴は「これはチャンスなのだ」と言った。
魔法学院に入学したという事実は、世間では大いに役立ち、ここで頭角を現せば、後ろ盾のない庶民の俺たちでも、役所の小役人どころか政府中枢の官僚にさえ手が届く……らしい。つまり、庶民である俺たちの将来が広く開けたことになる。
それから兄貴は今までにも増して熱心に勉強するようになった。高等学校で学ぶような学術書を借りてきて、蝋燭の仄暗い明かりの中深夜まで読み込んでいた。俺も兄貴の真似をしていくつかの書物をパラパラと捲ったものだ。ただ俺には難し過ぎて、すぐに本を閉じたのではあるが……。それでも俺は、俺なりに頑張ったつもりだ。
そして時が経ち、魔法学院に入学した兄貴は―――
様子がおかしくなった。
ある日、友人と街に遊びに出掛けた俺は、宵闇迫る繁華街で兄貴の姿を目にした。
最初は見間違いだと思った。
あの堅物の兄貴がこんなところにいる訳が無い。今時分は魔法学院の寮で机に齧り付いて勉強している筈だと……
俺は友人と別れ、兄貴の背中を追った。兄貴は最近出来たという劇場に吸い込まれていった。そりゃあ兄貴だって気晴らしに観劇することくらいあるだろう。家に居る時、兄貴は勉強三昧だったが、魔法学院に入学することで、何か心境に変化があったのかもしれない。それは一概に悪い変化とも言えないだろう。流石に額縁ショーはまだ年齢的に早いと思うけれど、でも俺も男だし、理解のある弟のつもりだ。その時は、後で思いっきりからかってやろうじゃないか。
でもここは……
劇場内は噎せ返るような熱気で溢れていた。
「L・O・V・E……」
舞台に向かって野太い声を張り上げる男達。
「LOVELY、ANZU―――!!!」
舞台では、“あいどる”なる少女歌劇団に似て非なる存在が講演を行なっていた。
そこで俺は見てしまった。
白く長い鉢巻をして、ピンクの法被を羽織り、男達と一緒に大声をあげる兄貴の姿を……
俺の中の憧れの兄貴像がガラガラと崩れ落ちるような気がした。
俺はきっと見てはいけないものを見てしまったのだろう。
それから、何度か兄貴の姿を探して劇場に足を運んだが、ある時からパタリと姿を見ることはなくなった。
よかった。
きっと正気に戻ったのだ……そう思いたい。
***
「ほら、お前らサッサと着席しろ、出席をとるぞ」
教室の扉が開くと、厳つい教師が入ってきた。俺たちは慌てて席に座る。
「呼ばれたら順に返事をしろ。犬榧」
「はいっ」
名前を呼ばれた学生が、順に手を挙げ返事をしていく。
「佐倉……、。佐倉杏子」
「はぁい。みんなの心をズッキュン。キュートでラブリーなあんずちゃんです。あいどるは辞めちゃったけど、これからもずーっと応援してね」
巨大なリボンを付けた派手な女子が立ち上がって返事……というか自己紹介した。
「おおーっ」
「あんずちゃーん」
「佐倉、返事は『はい』だ。お前らも煩いぞ、静かにしろ」
「次、白根」
「はい」
教師は俺の顔を見て首を捻ったが、直ぐに点呼に戻った。
斜め前の席の悪友が丸めた紙をこちらに投げてよこす。反射的にキャッチし、机の中でこっそり広げると、『終わったら遊びに行こうぜ』とお誘いの言葉があった。こちらにチラチラと顔を向ける悪友に教師の目を盗んで了承のサインを送る。
「ほらそこ、黒板に注目しろ」
やべっ。
「今日からお前ら赤点組の補習を一週間行う。一週間後の追試で合格点を取れ。取れ無きゃまた一週間補習だ。真面目にやれよ。お前らもサッサと夏期休暇に入りたいだろ」
「「「ええーっ」」」
学院は夏期休暇に突入したと言うのに、俺たちはこれから最低でも一週間は補習を受けなければならない。何故かというと、それはもちろん、中間試験の成績が悪かったせいだ。
ふんっ、いいんだ。俺は兄貴と違って騎士を目指しているんだから……。
俺の名前は白根草。
兄貴―――白根芹の不出来な双子の弟だ。
ちなみに推しの“あいどる”はMEGU様。なお、眼鏡は掛けていない。




