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おもいで精霊と何者でもない私  作者: 天乃 朔
第1章 まだ何者でもない

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103 入学式前日

「起きなさい」

「ん……」


 ――師匠、まだ眠いです。もう少し寝かせてください。


「アスアス、鍛錬(トレーニング)の時間だよ」


 師匠の指が私の鼻を摘まみ、呼吸が苦しくなる。


「うぐぐぐぐ……ぷはぁ」


 思わず飛び起きた。


「ん? 誰?」


 私の前には見知らぬ人物が……


「ほら、寝ぼけてないで朝の鍛錬(トレーニング)に行くよ」


 デイジーこと菊子――いや、菊子ことデイジーか?――が私の毛布を引っ剥がした。

 そうだった。私は昨日から魔法学院の寮に居るんだった。彼女は長命菊子、私の同居人(ルームメイト)だ。


「さっさと着替える。あなただって劇場に通うくらいだもの、歌手を目指しているのでしょ。歌い手になるには、日頃の訓練が必要なのよ」

「え、でも私は別に歌手志望じゃ……」


 そもそも劇場通いなんてしてないです。というか行ったこともないです。そんなお金があるわけないです。


「それじゃ、役者? どちらにしても、体力と日頃の鍛錬は必要よ」

「いや、だからどちらでも無くて……」

「さあ、着替えて、早く」


 菊子は話を聞いてくれない。すっかり私が歌手か役者になりたがっているものと思っている。

 菊子に促されるまま、着替え、周辺を走り込み(ランニング)、そして発声練習。

 早朝から私、何やっているんでしょう?


「あめんぼ、赤いな、あ・い・う・え・お! 浮藻に小蝦もー――」

「飴坊? ……アイウエオ? ウッキー……???」


 “あー”だの“いー”だの声を出しながら私は思う。

 菊子は師匠に似ている。思い込みが激しくて、人の話を聞かないところが。私は師匠には逆らえないのだ―――まあ、同居人(ルームメイト)の菊子に嫌われたくないという思いが少なからずあることは否定しない。


 菊子の鍛錬に付き合った後、寮で朝食を取り、少し早めに試験会場に向かう。

 午前九時、試験の時間を迎える。試験は二科目のみ、数学と国語である。

 受付の際はクラス分け試験と言われたが、菊子によると既にクラス分けは済んでおり、学力が不足している者の洗い出しらしい。学力が不足している入学生には別カリキュラムが用意されているとか……これって普通に考えて補講だよね。

 やはり補講は受けたくない。師匠の元でそれなりの勉強をしてきたつもりだし、入学早々落ちこぼれと言われると何だか傷つく。

 まあ何らかの理由で学校に通えなかったとか、勉強する環境になかった者もいるだろうから、落ちこぼれと言ったら駄目なんだろうけど。


 まず試験は数学から。計算問題は難無く解けるが、最後の問題で躓く。

 ラヂアンって何?

 大きい順番に並べなさいって、このπって……?


 ――師匠、こんなの知らないです。みんなこんなの解いちゃうの?


 もしかして、世の中の人は私が思っている以上に優秀なのかもしれない。じわじわと迫り来る落ちこぼれの恐怖。

 二科目目は国語。試験会場の教室に太陽の光が差し込み、ぽかぽかと気持ちいい。朝慣れないことをした疲れもあって眠気が襲う。


 ガクン。


 はっ、今もしかして、寝てた!?

 まずい、まずい、まずい……

 慌てて問題に取りかかる。もう迷っている時間はない。兎に角回答欄を埋めていく。

 あ、これ知っている……筈。

 でも思い出せない。

 そう、今こそ私に憑いている精霊の出番!

 え? 狡い? いいえ、狡くない。

 精霊も自分の能力の一部なのだ。決して不正(カンニング)ではない。

 さあ、私に憑いている精霊! 今こそ真価を見せる時!


 ………………。

 …………。

 ………。

 ……。


 で、“おもいで精霊”が役立ったかといえば―――はい、役に立ちませんでした。

 いくらお願いしても、全く、ちっとも、全然、欠片も思い出すことはなかった。

 やっぱり精霊は役に立たない。

 などとやっているうちに試験終了となった。


 試験の後は制服と教科書を受け取る。どちらも貸与で、一年後、学院を去る時に返却が義務付けられている。裕福な家庭の子は教科書を自前で用意しているらしく、菊子は兄からのお下がりとのことだ。


「ねえ菊子、今日の試験どうだった?」


 寮室の机に並び私は菊子に尋ねる。菊子は先程から何かを熱心に読んでおり、顔を上げずに答えた。


「んー、まあまあかしら」

「菊子はラヂアンが分かってるんだ」

「当然でしょ。歌手を目指しているんだもの知らない訳がないじゃない」

「ラヂアンは常識なのか……」


 私が思っていたよりも学院の入学生のレベルは高いらしい。求められる学力の基準はどのくらいなのだろう。殆どの回答欄は埋めたと思うけれど、補講対象者とならないことを祈るしかない。


「ラディアンと言えば、有名な歌手じゃない。光り輝く大スターよ。言うなれば、私たちの目指すところだわ」

「ん? えーっと、数学の話だよね?」


 何か違う様な気がする。


「今、良いとこなのよ。少し静かにしていてくださる?」

「あ、うん」


 菊子は手元の本に夢中の様だ。もしかして予習をしているのかもしれない。

 私も貸与された教科書をパラパラと捲った。何か小難しいことが書いてある。教科書は数年間使い回されているらしく、所々書き込みがあった。

 授業について行けるだろうか?

 違う教科書を開く。ページの右下隅にパラパラ漫画が書き込まれていて、謎の動物が伸びて行く。思わず吹いてしまった。

 まあ、なるようになるよね。


【閑話】

 就寝前に菊子が言った。

「アスアス、これから毎朝鍛錬するわよ」

「え、いや私は……」

 朝は惰眠を貪りたい。

「何言ってるの。あなたは演劇界の幻の名作、“あげない天女”を目指すんでしょ!」

「は、いや何言って……」

「あなたは私のライバルなのよ。私の所まで早く上ってきなさい」

「ライバルって、菊子は歌手を目指しているんじゃ……?」

 そもそも私は役者を目指していないんだけど……

 菊子の手には一冊の本があった。そのタイトルは『カラスのお面』。

 彼女が熱心に読んでいたのは教科書じゃなかったらしい。




 菊子、恐ろしい子!


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