319 黒いドラゴン
辺りは黒い靄のようなもので満たされ、僅かな空気の揺らぎによって濃淡が生じる。
その濃い靄の中で巨大な金色の瞳がギョロリと光った。
ドラゴンだ。
魔獣の中でも最恐最悪と言われるあのドラゴンだ。
真っ黒なドラゴンが私達を阻むように崩れ落ちた遺跡の前にどーんと鎮座している。
「嘘だろ……」
誰かが声を漏らした。それは正に私達全員の心境だったと思う。
「チョロッと黒い柱の下まで行って、サクッとお札を貼ってくるだけの簡単なお仕事じゃなかったのかよ……」
私達が“精霊の女王”に依頼されたのは、“悪しきモノ”―――多分あの黒い光が漏れ出している石棺の封印だろう。ドラゴン、それもこんな禍々しいヤツが居るなんて反則でしかない……え、まさか“悪しきモノ”って、このドラゴンのことじゃないよね?
「アイツを回避してどうにか遺跡の方へ回り込めないか?」
「どう考えても無理だな」
ドラゴンは既に私達を認識しているのか低い唸り声を発し、「スミマセン、ちょっと通してくださいね」で、とても通してくれそうにもない。
「チッ、軍に気付かれずに事を終えたかったのだが……おい竜胆、確か軍がこの辺を調査していると言っていたな。軍の援軍は期待できそうか?」
そういえば、黒い光の柱の中心部に軍が調査隊を送っているという話だった。でも、この場には彼らの姿がない。まさか彼らはこのドラゴンに……
「軍の調査隊が単独で討伐を行うとは考え難いですからね。ドラゴンの存在を確認した時点で一度撤退し、体制を整えてから戦闘を行うはずです。でも、ここまでの道中彼らの痕跡はありませんでしたから、まだ辿り着いていない可能性も考えられます」
竜胆の見解ではどうやら軍の調査隊は無事のようだ。つい縁起でもないことを考えてしまった。ゴメンなさい。でも、頼みの綱の軍の援軍は、来るかもしれないし、来ないかもしれないってことだ。
「わたくし達が敵う相手じゃありませんわ。残念ですけれど、ここで撤退ですわね」
野茨先輩の一言で、私達は撤退を決め、ドラゴンを刺激しないように静かに後退る。
「ねぇ、ねぇ、どうしたのぉ? 暗くてよく見えなーい」
そこに後ろの方で息が上がり休んでいた杏子がグイッと割り込んできた。ちょっとムカついたけれど、これでも杏子はゲームのヒロインだ。それに日向会長を筆頭にヒーロー達も全員ではないがこの場にいる。もしかしたら、彼女なら主人公特有の謎パワーでこの窮地も簡単に乗り越えられるのでは…………なーんて甘い期待を一瞬抱いてしまいましたよ。
「キャーッッ!!! あんなのムリ、こわーい!」
「あ、あんず!」
悲鳴を上げて杏子がこの場から逃走し、その後を紫苑先輩が追っていく。杏子の悲鳴に反応したドラゴンがギョロリとこちらに視線を向け―――
『ガアアアーーーッ』
咆哮した。もしかしなくても逆鱗に触れた!?
バカバカバカ! 杏子、何てことしてくれてんの!
「俺が気をそらすから、皆は逃げろ!」
日向会長が剣を抜き飛び出して行く。
「待て! この馬鹿!」
「高砂、明日葉と野茨先輩を頼む」
月来先輩が、続いて竜胆がその後を追う。
「天城っ!」
「ダメよ」
竜胆の後を追おうとした高砂先輩を野茨先輩が止める。
「わたくし達が行ったところで足手纏いになるだけだわ。彼らのためにもわたくし達はこの場から逃げるべきよ」
「それは……しかし……」
日向会長が雷を纏わせた剣をドラゴンの脚に切り付け、月来先輩も剣を振るう。竜胆が火魔法を放ちドラゴンの胴体にぶち当てる。黒い血が飛び散るが、一瞬にして黒い霧となって霧散し、同時に傷口が回復する。
「クソッ! 普通の剣じゃ刃が立たないのかよ」
まさか聖剣じゃないと倒せないとかないよね?
実は山猫の行商人が売っていたあの嘘くさい聖剣が本物で、何処かのゲームみたいに特定のアイテムがないと倒せないなんてないよね?
『グァアアアーーーッ』
咆哮するだけでドラゴンの威圧感が凄い。
「葵! そこから離れろ!」
月来先輩が叫ぶ。鋭い爪が日向先輩に襲い掛かる。
「危ない! 会ちょ」
私は咄嗟に幻影魔法を放ち、狼の幻影が宙を駆ける。一瞬ドラゴンの視線が幻影を追い、振り下ろされた爪が日向会長の身体を掠めた。獲物を仕留め損ねたドラゴンは羽を大きく動かし、強い風を生み出す。
「キャーッ!」
ドラゴンによる突風で身体の軽い野茨先輩が飛ばされそうになったのか、高砂先輩が野茨先輩に手を伸ばす。
ブンッ!
「!」
一瞬何が起こったのか分からなかった。
私の身体は宙を舞っていた。
ドラゴンの尻尾に跳ね飛ばされたのだ。視界の隅で日向会長達が遺跡に叩きつけられているのが見えた。次の瞬間、世界が回転した。私は斜面をころころと転がり落ちていく。
「…………」
少し眠っていた……いや、気絶していたのだろうか。飛ばされたのが草むらで幸運だった。私は仰向けに横たわり、暫しボーッと黒い靄のかかった空を眺めていた。クネクネと奇妙に曲がった木の枝が視界の隅にあり、そこを小動物、多分栗鼠が駆けていった。
『グアアアーーーッ』
少し遠めのドラゴンの咆哮。
「あ、そうだ先輩達!」
こうしている場合じゃない。私は転がり落ちてきた斜面を這い上がった。
『ガアアアーーーッ』
視界に飛び込んできたのは、左腕をだらんと垂らした日向会長と額から血を流した月来先輩、それから足を引き摺る竜胆の姿。彼らはそれでも剣を手にし、無謀にもドラゴンに向かって行き、薙ぎ払われ、跳ね上げられ、吹き飛ばされ……そして動かなくなった。
ドクン。
ドクン、ドクン。
ドクン、ドクン、ドクン…………
耳の辺りがドクン、ドクンと五月蠅い。私はぎゅっと瞼を閉じた。
……………………コンナ事ガアッテ良イハズガナイ!
私はゆっくりと、瞼を開く。
何だか違和感。私は仰向けの状態で空を見上げ、視界に広がるのは、黒い靄で覆われた空。片隅には既視感のあるクネクネと曲がった奇妙な枝――――
「え!」
私は跳ね起きると四つん這いになりながら斜面を必死で駆け上がった。
視界に飛び込んできたのは、漆黒のドラゴン。先輩達の無惨な―――いや、その姿はない。
カラン。
と音がして視線を向けると遺跡の瓦礫が崩れ、半分埋もれた人の姿が見えた。それは僅かだけれど、確かに動いている。会長達だ。
「……良かった」
良くないけど、良かった……。
さっきのは…………、もしかして未来視?
でも、このままじゃきっと同じ事が繰り返されてしまう。
どうしたらいいの?
悔しい。私に力があれば…………
“ドゥーム……フォル…トゥーナ、マジカル…アンジェリカ…………”
突然頭の中で例の声が響いた。
いやいや、今ここでそんな呪文に一体何の意味があるというの!?
“ドゥームフォル…トゥーナ、マジカルアンジェリカ………―ムズ”
声はしつこく繰り返す。
でも………もし、もし、もし皆を助けられるなら、何だって良い!
いつの間にか亜空間収納に仕舞っていた筈のペンダントヘッドが目の前に浮かんでいる。
「ドゥームフォルトゥーナ、マジカルアンジェリカ、ベアアームズ!」
足下から光が溢れ出し私を包んで―――




