313 【挿話】ある王子の物語
私はある国の王子としてこの世に生を受けた。
私は王の最初の子であったが、王宮の奥まった一角でひっそりと乳母に育てられ、王と王妃である両親が顔を見せることは殆ど無かった。
私の唯一の遊び相手は乳母の娘だった。彼女は精霊に大変好かれる質で、いつも周りにはふわふわした光がいくつも飛び交い、私はそれを羨ましく思っていたものだ。
……はて? 娘の名前は何と言ったか……?
兎に角、私と彼女は主人と使用人の関係ではあるが、本当の姉弟のように育った。彼女は私が心を許せる唯一の存在であったと言っても良い。彼女とは常に一緒に学び、遊び、心の底から笑い合った。
私達は共に書物で世界を知り、書物の中の海に憧れを抱いた。
「海ってね。もの凄く大きくて、ずーっと、ずーっと、向こうまで水が溜まっているんだって」
「裏庭の池とどっちが大きいんだ?」
「さあ?」
彼女は海を見たことが無いと言った。もちろん私も見たことなど無かった。
「じゃあ、いつか一緒に確かめに行こう!」
「うん、約束ね」
数人の使用人と護衛騎士、乳母と乳姉弟にあたる乳母の娘が私の世界の全てであった。私はそれなりに幸せだった。幼い私はそれが当たり前だとずっと思っていたのだ。
それを最初に疑問に思ったのはいつだったろうか……?
私が五歳になった時、弟王子が生まれた。
私は弟が生まれたことが嬉しくて、父からは太陽の沈んだ後のみ出歩くのを許されていたのだが、王宮内だからと乳母に頼み込み、弟の元へと通った。周りはあまり良い顔はしなかったが、第一王子である私を止めるようなことは誰もしなかった。
王宮の奥から出ることで、私は自分が異質であるのだと徐々に知るようになった。
「ねえ、にい様。どうしたらにい様のように変身できるの?」
「お前も大きくなったら、変身できるようになるさ」
そう私は、夜は人、昼は獣と姿が変わったのだ。
私はずっと私が他者と違うのは、王家の人間の特徴なのだと思っていた。しかし、同じ王の子である弟は成長しても太陽の下で獣に変わることはなかった。
私は周りの者達に問うた。
「なぜ、そなた達は夜と昼で姿が変わらないのだ?」
「……私の口からは申し上げられません」
「……それは殿下だからです」
彼らは困った顔で口を噤むか、答えにならない答えを口にするかだった。そして成長と共に、陰で私に向けられる言葉を理解できるようになっていった。
『第一王子の姿を見たか? 何と悍ましい』
『あれって呪いなんでしょ。きっと殿下は生まれる前に罪を犯したんだわ』
『獣の姿など、何て醜いのかしら。私ならあんな姿で生きていくなんて耐えられない』
『よくもまあ、恥ずかしげも無く人前に出られるものだな』
それらは獣人を差別するこの国の民の本音でもあったのだろう。
悪意に満ちた言葉は私を深く傷つけたが、私の周りは相変わらず暖かく、乳母の娘などは私以上に怒ってくれた。
「将来王様になったら、あんな人達なんて不敬罪で裁けば良いのよ!」
そう私はこの国の第一王子で、いずれ王になるのだ。私が将来獣人差別のない国を作れば良い。
そう……、思っていた。
私が十を過ぎる頃、いつものように弟に会いに行くと、弟を中心に暖かな笑顔を浮かべる両親の姿があった。彼らは私の下に訪れる事はなかったが、弟の下には足繁く通っていたらしい。
「あ、にい様」
私の存在に気付いた弟が駆け寄ろうとしたが、それを父が抱き上げて妨げた。
「あら、獣の子が穢らわらしい」
「陽の高い内は出歩くなと言ったはずだが」
母が私の姿を見て顔を顰め、父が冷めた視線を向ける。
「お前はまだ自分の立場が分かっていないようだな。お前は先祖の罪を背負って生まれた穢れた子なのだ。陽の下を歩けると思うな」
そこで私は真実を知ることになった。
先祖が大魔術師を怒らせ、子々孫々まで続く呪いをうけたこと。そして、先祖の罪を背負い、私が呪われた子としてこの世に生を受けたこと。
何の因果か先祖の罪が私に巡ってきたらしい。
何故私だったのだ?
私がそれほどの罪を犯したというのだろうか?
それから私は自分の部屋に閉じ籠る様になり、仲の良かった乳母の娘に辛く当たる様になった。
「私は呪われていると言うのに、お前は恵まれていて良いな。精霊に愛されていると言うなら、少しは私の役に立ってみたらどうだ。この呪いを解いてみろ!」
全く理不尽なことだと思う。単なる八つ当たりである。
私の心ない言葉に乳母の娘は悲しい顔を見せた。それから数日後、乳母の娘は精霊の王に授けられたと、虹色に輝く精霊石を私に差し出した。私がその石に人の姿でいたいと願うと、何と言う事であろうか、太陽がまだ高いというのに人の姿へと変わったのだ。私にとって奇跡のような贈り物だった。
私は石の力で、昼夜問わず常に人の姿になり、大手を振って城の中を歩いた。私にはもう憂えることなどなかった。
愚かな私は、徐々に石の光が失われていることにも、乳母の娘の顔色が悪くなっていることにも気付かなかった。
それから数年後、父は弟を次期王とすることを国内外に向け発表した。私は幼い頃から王になる教育を受けていたし、いずれ王になるものだと思っていた。しかし、父は弟が生まれた時から弟を王にすることに決めており、彼が無事に成長するのを待っていたのだ。私の存在は弟に何かがあった時の保険に過ぎず、始めから呪われた獣の子を王位に就ける気などなかったのである。
何故、獣で生まれたのが私だったのだろう?
何故、呪われたのは弟ではなかったのだろう?
そして―――、私は王家から追放される事になった。
この国では獣人の扱いは決して良いものとは言えず、王の子といえど、いや、王の子であるからこそ、獣人であることは許されなかったのだ。私が直ぐに王家から放逐されずにいたのは、弟が生まれるまで私が唯一の王の子だったからだ。父はそれを慈悲なのだと言った。
私は荒れ、その矛先は乳母の娘に向けられた。
「精霊の石で姿を変えたところで、無意味ではないか!」
それは理不尽な怒りだ。ただ私は行き場の無い怒りをどこにぶつけたら良いのか分からなかったのだ。
「……ごめんなさい。力になれず、ごめんなさい。ごめんなさい……」
娘は私の理不尽な怒りにただ謝るばかりだった。
それを何度か繰り返すうち、娘の身体が目の前で崩れ落ちた。咄嗟に掴んだ彼女の腕が余りにも細いことに、この時私は初めて気付いた。抱き上げた娘の身体は、驚くほど軽い。
「一緒に海に行く約束を守れなくて………ごめんなさい……」
彼女は私の腕の中で定まらぬ瞳を向け、か細い声でそう言った。そして、二度と目を開く事はなかった。
同時に精霊石から光が失われ、私の姿は獣に戻った。精霊達が私を取り巻き一斉に抗議の声を上げる。
『愚かなる人の子よ。娘の命と引き換えに姿を偽っていただけというのに、そなたは娘の命を食い潰したのだ』
私は慟哭した。
私は一番大切な者を永遠に失ったのだ。
月のない夜だった。
私は逃げる様に王宮を後にした。私を見送ったのは、弟ただ一人だった。私は弟に乳母の娘が命を注いだ精霊石を渡した。私にはこの石を持つ資格はないのだ。
「もし、再び王家に呪われた子が現れたらこの石を渡して欲しい。もしかしたら、その子の助けとなるかもしれない」
それはもう虹色に輝いてはいなかったけれど―――
翌日、生まれた時から病弱であった第一王子は、療養の甲斐無く息を引き取ったと発表され、弔いの鐘が鳴り響いた。
***
遠い昔のことを思い出した。
ザザーッ…ザザーッ…
目を開けると目の前には打ち寄せる波の幻影がある。
あれからどれだけの時が過ぎ去ったことだろう。あまりにも時間が立ち過ぎて、どうやってここに辿り着いたのかも覚えていない。
ワシは疾うの昔に死んでしまったのかもしれない。
精霊とはこれから生まれゆく無垢な魂とも、想いを残した魂とも言う。ならば、ワシも精霊となったのだろうか?
ザザーッ…
目の前にはただ波があるだけ。
そういえば、あの子と約束したのだ。一緒に海に行こうと……
あの子の名前は何であったか……
「――――――」
誰かに呼ばれた気がした。
「――――――」
また呼ばれたような気がして、辺りを見回す。其処には蒼い波と……
昔のままの姿で、彼女は私の前に現れる。
ワシのことなど、恨んでいるであろうに、彼女は微笑みながらワシに手を伸ばす。
「……ああ、ずっとそこに居たのだな……メグ」
ワシは――――、私は――――その手を掴み――――――
その空間はゆらゆらと揺れる蒼い波で満たされていた。
「キャーっ」
「キャハハハハハ」
その波間には、無邪気にはしゃぐ女の子と、男の子の姿があった。




