309 【挿話】野茨薔子
「お嬢様、精霊を見掛けても、絶対に話し掛けてはいけませんよ。精霊に連れ去られてしまいますからね」
幼い頃、ばあやはよくそんな事を言いながら、わたくしを寝かしつけた。
そう言われたものの、わたくしは精霊に会えるものなら是非会って話をしてみたかったので、屋敷中、庭の片隅からベッドの下まで精霊を探して回ったものだった。残念ながら、精霊のせの字さえも見つけることはできなかったのだけれども。
やはり、精霊なんて物語の中だけの存在なのだろう。
どんなに探しても精霊を見つけられず存在そのものを疑いだした頃、皮肉なことに“精霊の儀式”で精霊が実在するのだと知った。この世の中にはごく希に精霊の加護を持つものが存在し、その人物は精霊憑きと呼ばれるらしい。わたくしはドキドキして儀式に臨み、そして―――
「そんなにがっかりする必要はないよ。精霊が憑いている人は殆どいないんだから。昔からの習慣として形だけ儀式を行っているだけだからね。精霊が憑いていないのが普通なんだ」
「そうよ。精霊が憑いていたからといって、特別何かがあるわけでもないしね」
「ほら、お父さんもお母さんもお前と同じで精霊憑きではないだろ」
泣きじゃくるわたくしを両親が必死で慰めていたのを覚えている。
残念ながらわたくしには精霊との縁がなかった。それまで望みを全て叶えられてきたわたくしは、その時初めてどんなに望んでも世の中には叶わないこともあるのだと知ったのだった。
―――わたくしは精霊憑きではない。
精霊の儀式から暫く経って、多分父の仕事関係者の子供達だと思うのだけれど、わたくしの屋敷で彼らと遊ぶことがあった。
「あそこに精霊がいるよ!」
その中の一人が庭木を指差した。その子が指差す先をじっと目を凝らして見たものの、わたくしにはただ梢の葉っぱが風に揺れているだけにしか見えなかった。
「何も居ないじゃないの。嘘吐き!」
「嘘じゃない!」
その場にいた誰も精霊の姿を見ることができず、わたくしもその子が注目を集めたいがために嘘を吐いたのではないかと疑った。
「嘘じゃない! ぼくには“硬貨をピカピカにする精霊”が憑いているんだから!」
その子は嘘吐き呼ばわりされたのがよほど悔しかったのだろう、精霊憑きであることを告白した。
「“硬貨をピカピカにする精霊”って何よ! そんなの聞いたことも無いわ」
「何だそれ、かっこ悪い。火の精霊とか水の精霊じゃないのかよ」
「おれ、火の精霊がいいな。ばびゅーんって火の玉を出すんだ」
「それって一体何の役に立つの? ねえ、本当に精霊憑きなの?」
わたくしたちにとって精霊と言えば、物語に出てくる火の精霊や水の精霊、風の精霊など華々しいもので、そんな珍妙な精霊ではなかった。
「だって……ほんとだもん。嘘なんか吐いてない……」
その子はそれ以降、精霊について口にすることはなかった。わたくしは、その場では精霊の存在について否定的なことを口にしたものの、その子が精霊憑きであることを否定した訳ではない。ただ何も言わなかっただけだ。何故なら、わたくしが精霊に選ばれなかったのに、その子が精霊に選ばれたことを認めたくなかったのだ。つまりは嫉妬である。
今なら精霊憑きの精霊がほとんど役に立たないことを認識している。縁起物とは言うものの、“磁石の方位を乱す精霊”とか、“旅先が常に雨の精霊”なんて、憑いていたら返って迷惑でしかないだろう。
わたくしは生まれてからこの方、ずっと精霊に縁の無い人生を送ってきて、多分これからも縁のない人生を歩んでいくのだろう。別に精霊が見えなくても生きていく上で支障は無いし、それどころか精霊がいない方が、不都合がない人生を送れるのかもしれない。
ただ、でも……
『ダンジョンの中にある“精霊の泉” に精霊の女王が現れるらしい』
最近そんな噂を聞いた。知らぬ間に、ダンジョン内に“精霊の泉”なるものができていたらしい。その上精霊の女王なんて、眉唾もいいものだけど、興味が無いと言えば嘘になる。子供っぽく思われるのではないかと口にはできなかったのだけれど―――
“もしかしたら今度こそ精霊に出会えるのではなくて?”
“いいえ、どうせまた駄目に決まっているわ……”
そんな相反する気持ちが鬩ぎ合い、なかなか行動に移せずにいた。
「なあ野茨、今度ダンジョンに行くんだが、一緒にいかないか?」
青天の霹靂。驚天動地。葵からお誘いがあった。
「一体どういう風の吹き回し? 槍でも降るのではないかしら?」
「いや、明日葉ちゃんをダンジョンに連れて行く事になったのだが、誰か女性も一緒に行った方が彼女も安心するのじゃないかと思ってね。結局、適当な相手が君しか思い浮かばなかった」
なあんだ……
「ここは光栄ですわと言うべきかしら?」
葵は学院の王子様なんて軽薄な役柄を演じているためか、特定の女子生徒と親しくするのを避けているように思う。そりゃあ、肖像写真の売り上げが下がったら困るものね。
それにしても……
「アスハ……? ああ、如月明日葉、あの子ね」
如月明日葉―――最近耳にする名だ。確かこの間の試験で、秀才眼鏡君と天才おチビ君を抑えてトップになった入学生……これは荒れるかもね。
「葵がそこまで気に掛けている子がいるとは知らなかったわ。あまり特定の子に構い過ぎると、周りの反感を買うわよ」
学院の王子様の親衛隊を敵に回すなんて怖いもの知らずもいいところだわ。まあ、わたくしなら軽くあしらえるでしょうけど。
「あれ? 妬いてくれるのかい?」
「まさか」
わたくしは学院の王子様なんて薄っぺらなものに本気で惚れるほど馬鹿じゃない。
「うーん、そうだな。僕も気に入ってはいるけれど、どちらかと言えばエピのお気に入りだね」
そこで意外な名前が登場する。そう、あの方の……
「あら、それは気になるわね。ふふふ、一緒に行って差し上げても宜しくてよ」
これも良い機会かも知れない。新聞部部長としての好奇心半分、個人的な関心半分で、わたくしはダンジョンへ同行することを承諾した。もしかしたら精霊に出会えるかもしれないし…………ね。
それにしても、如月明日葉……彼女とは自治会で何度か顔を合わせている筈。
どんな子だったかしら?
わたくしは如月明日葉の顔を思い浮か…………おかしい。
思い出せない。
わたくしは記憶力に自信があり、一度見た人物の顔は忘れない。それなのに彼女の顔だけは霞が掛かったように思い出せないのだ。
これは一体どういうことなの?
数日後―――、
ダンジョンの入り口で如月明日葉と顔を合わせた。そう、彼女はこんな顔だった。とても***な―――
ついと視線を外す。もうどんな人物だったのか覚えていない。顔を見た時は認識しているのに視線を外した瞬間、全く印象に残っていないのだ。
これは明らかにおかしい。
まるで世界が彼女を隠してしまっているかのようだ。
これは何者かの意思が働いているのかしら……?
そんなことが人為的にできるのか分からないけれど、わたくしの好奇心を強く刺激したことには間違いない。
「ねえ葵、如月さんって、何かおかしくないかしら? 印象が薄いというか、記憶に残らないというか……」
ダンジョンの奥へと向かう道すがら、葵にこっそり耳打ちしてみる。
「そうか? 普通の可愛い女の子だと思うけどね」
葵は、そんなことを言う私の方がおかしいとばかり首を傾げる。
「もしかして、天下の白薔薇の君が明日葉ちゃんに対抗意識を燃やしていたりして……?」
「もうっ、そんな訳ないでしょ」
わたくしの違和感は、葵には伝わらないようだ。学院の王子にあるまじきニヤニヤ顔が憎たらしい。
「ほら、そんなことより、この先に湖が……ん?」
葵の視線が何もない空間に固定される。
「何? どうかしたの?」
「ああ、あそこに精……いや、別に何でも無いよ」
葵がついと視線を外す。何だかその仕草がわたくしの記憶を刺激した。
“あそこに精霊がいるよ!”
あの子の声が脳内で再生される。
……まさかですわよね?
「もしかして……葵には、“硬貨をピカピカにする精霊”が憑いていますの?」
「うおっ、なぜそれを!」
そのまさかでしたわ。
チビ薔薇の君:
「うふふ、精霊ってどんな姿をしているのかしらね? お人形のような姿? 炎や水で出来ているのかしら? もしかして、妖精のように羽が生えていたりして……」
精霊憑き:
「(言えない……綿埃なんて……)」




