302 ふふふのふ
「どぅーむ・ふぉるとぅーな・まじかる・あんじぇりか・どれすあーーーっぷ!」
呪文を唱えた。
「…………」
何も起こらなかった。
「…………」
私は人気のない建物の裏で、ペンダントを掲げたポーズで固まっていた。ペンダントを掲げた右手がプルプルと震える。
これは、ちょっと……いや、かなり恥ずかしい。
キョロキョロと辺りを見回し、人の目が無いことを改めて確認する。あれから何度か魔法の呪文を唱えたが、一度も変身することはなかった。
あの翌日、私はアイドル養成所を退所した。全く引き止められる事もなく、円満退所だった。
元々アイドルになんてなる気はなかったけれど、何だか……それはそれで寂しい。
あの後、アイドル養成所には入所希望者が殺到し、新劇場の柿落とし公演に向けて新たに編成されることになったらしい。
それから、杏子もアイドル養成所を早々に辞めてしまった。
「だってぇ、あたしが手の届かない所に行っちゃったらぁ、皆ぃんな悲しむでしょ?」
杏子は大声でこう吹聴しまくっていたけれど、実際のところはちょっと違う。杏子も最初は張り切っていたものの、大飛少年の方向転換によって、歌も踊りも高水準のものを求められるようになり、地道な努力が嫌いな杏子は早々に辞めてしまったのだ。
それに杏子は、舞台上で光魔法連発のテロ行為を繰り返す問題児だったらしく、退所が決まってスタッフの間に安堵が広がったとかナンとか……
この辺りの情報源は菊子である。菊子の師匠のカトレア蘭子の元に業界の噂話が集まってくるらしい。蛇の道は蛇ってことかな。
まあ、何はともあれ、こうして普通の学生として勉学に勤しむ日々が戻ってきたわけである。
季節は既に夏に突入し、まもなく長期休暇がやってくる。
そして、長期休暇の前には、御多分に洩れず前期末試験が控えており―――
王立魔法学院において、正式な院生に進級するために重要視されるのは第一に魔力だ。優秀な魔法使いであれは無条件で進級できる。
そして、実は魔力に優れなくても進級は可能である。
一つは剣術に長けていれば、魔法剣士として、もう一つは成績優秀者であれば、魔術や魔道具の研究者として進級が認められている。
現時点で、私に進級できる程の魔法の能力があるのかは分からない。
謎の空間の裂け目作成に、容量の超々少ない亜空間収納、攻撃力皆無の幻影魔術…………明らかに微妙である。
それから、新たに目覚めたかと思われた未来視もあれ以来、発現することもなかった。私が見る夢は、予知夢ではなく、あいも変わらず前世の過去の記憶である。もしかしたら、危機的状況に陥らなければ発現しない能力なのかもしれない。
どちらにしろ、使えねー能力である。
はあ、どこまで中途半端な能力なんだろう……
では、剣術はというと……残念ながら私に剣の才能はないようだ。それよりも座学で上位の成績を取る方が現実的だろう。
ただ……
入学時のオリエンテーションの一環として魔術研究科を見学したことがあるが、社交ダンスを踊る箒と塵取りや、追尾型ねずみ取り機などの魔道具の開発、犬の鳴き真似が上手くなる魔法や、鼻提灯を作る魔法などを研究していた。
…………。
これらの魔道具や魔法が役に立つのか、立たないのかは、よく分からない。そんなところは何だか精霊に似ているような気がする。
正直言って、私に研究者としての資質があるとは思えないけれど、一応可能性を残しておきたい。そのためには、成績を落とすことはできないのだ。
で、その結果―――
思わず顔がニヤける。掲示板の一番上には私の名前が燦然と輝いてる。
ふふふ、アイドルの真似事に奪われた時間を取り戻すため、必死に勉強しましたとも。
でもまさか、一位を取れるなんて思っても見なかった。アイドルの練習も早々にダンスのレッスンをする必要がなくなり、時間的にも体力的にも余裕ができたからかもしれない。
一方、学院の注目を集めていた白根君と大飛少年の対決の結末は盛り上がりに欠けたようだ。まあ、大飛少年の成績が今一つだったのは、アイドル養成所の正式お披露目公演の準備で忙しかったからだろう。それでも三位なのだから、さすが天才少年といったところか。
ちなみに、白根君の成績が振るわなかった理由は知らない。まあ、人間だもの不調な時もあるよね。
何はともあれ、満点ではなかったけれど、私が一位なのは間違いない。
ふふふのふ。
――『あら、一問間違えているわ。全然ダメじゃないの。満点でなければ、零点と同じよ』
誰カガ、言ッタ。
スッと高揚感が消える。
――『なあに、自慢げに見せた癖に、やあね。ここ間違えているじゃないの。恥ずかしい子ね』
…………。
私はずっと全てに正解しなければならないと思っていた。
何故かは分からない。そうじゃないと―――
「別に全問正解である必要はないだろ」
「そうそう、明日葉ちゃん、試験なんて及第点さえ取れていれば、それでいいんだよ」
記憶の中の声が私を呪縛から解き放つ。
「お前はちゃんと頑張っているよ」
エピさんがぷにぷにの肉球で私の頭をポンポンと撫でる。
でも、そっか……、そうだよね。そうなんだよね。
エピさんの言葉は、私の心を暖かくし、憑き物を落とした。私は、エピさんに救われたのだ。もうこれは、エピさんが私の心の師と言っても過言ではないのではなかろうか。
何となく、その場に日向会長もいたような気もするけど…………ま、いっか。
あ、それから念の為言っておくけど、落ちた憑き物は“おもいで精霊”のことではない。“おもいで精霊”は相変わらず私に憑いたままで、あんずの好きな色はピンクだとか、嫌いな食べ物は鶏肉とか、前世のどーでもいい記憶をバンバン掘り起こしている。
ホント、ドーデモイイ……
でも……私は何故完璧である事に拘っていたのだろう?
師匠は適当な人で、そんな事は決して言わない人なのに……
そして、戻ってきた日常は、私に現実を突き付けてきた。
長期休暇になると、自治会の仕事もなくなり、収入が途絶えるのだ。これは切実な問題である。アイドル養成所潜入でそこそこのバイト代が入ったものの、それだっていつまでもあるわけじゃない。日常に必要なものを購入しなきゃいけないし、グラスメートの誕生日プレゼント用のお金だってとっておかなければならない。
「そういえば、私の誕生日は忘れ去られていたっけ……」
まあ、仕方がない。誰にも言っていないし……
と言うわけで、長期休暇は、帰省せずにアルバイト三昧のつもり……だったのだけれど……




