220 夢のつづき
「直ぐに幕が上がります。役者のスタンバイお願いします」
「誰か、アタシの小道具の短剣知らない!?」
ガンッ。
「おい、誰だ? こんなところにバケツ置いたのは!」
「ちょっと、それ私のスカーフ」
「娘役、早く配置に付け!」
「何この風船、邪魔っ」
舞台裏はバタバタと忙しない。劇団員は到着すると、一息入れる間も無く上演準備に取り掛かりてんやわんやの大騒ぎだ。
私はその横をそっと通り過ぎる。今の私は、学院支給の芋ジャージ姿の見窄らしい女の子だ。さっきまでフリフリの華やかな衣装でステージに立っていたなんて誰も信じないだろう。私自身でさえ、夢だったのではと半信半疑だ。でも、それが本当だった証に、高揚感だけはまだ私の胸に残っている。
魔法の解けた女の子は、忙しげに人々が行き交う廊下を誰にも気に留められずに進む。
「あ……」
向かいから大飛少年がちょこまかと慌てた様子でやって来て、通り掛かった劇場スタッフを捕まえた。どうやらアイドル養成所の皆も無事に戻って来られたようだ。
「ちょっと聞きたいんだけど、さっきまで舞台に立っていたのは、一体誰なんだ?」
「ああ、坊ちゃん。誰って、坊ちゃんのところの“あいどる”ってヤツでしょ? 坊ちゃんの方がよくご存じでしょうに、いやあ、凄かったですね。あれが坊ちゃんの言っていた“あいどる”なんですね。坊ちゃんが拘るのも分かりますよ……おっと」
劇場スタッフが両手から溢れ落ちそうになる荷物を抱え直す。
「いや、彼女はウチには……それより、彼女は今どこに?」
「おいっ、何してる! こっち手伝ってくれ!」
大飛少年の声を遮るように、劇場スタッフへ大きな声が飛ぶ。
「すみません、坊ちゃん。今、忙しいんで、また後で。あ、あの“あいどる”さんならまだ舞台周辺に居るんじゃないですかね。あれから、姿を見かけていないですから……」
「おいっ! 早くしろっ!」
「はいっ! すみません!」
劇場スタッフが慌ただしく立ち去り、その場には大飛少年が取り残される。少年は仕方が無いといった様子で、舞台袖へと足を向けた。
「やあ、大飛少年」
そこに現れたのは、色鮮やかな花束を抱えた人物である。しかし、視線はどうしても彼の抱えている花束よりも鮮やかな緑の頭の方に向けられてしまう。大飛少年は招かれざる人物の登場に不機嫌そうな表情を隠さなかった。
「受崎先輩、部外者が何故こんな所まで入り込んでいるんですか。ここは関係者以外立ち入り禁止ですよ。それに、今は上演前でピリピリしているんです。直ぐに退出願います」
「おいおい、俺はこの劇場の常連だよ。どれだけこの劇場にお金を落としたと思っているんだい。客は大切にしなきゃ」
受崎先輩は舞台裏に頻繁に出入りしているようで、歩き出した大飛少年の背中をさも当然とばかり追っていく。
「客といっても、先輩は桟敷席専門じゃないですか……ちょっと、先輩、ついてこないでくださいよ」
「釣れない事を言うなよ。俺と少年の仲じゃ無いか。それにしても、あんな天使をどこに隠していたんだい? 是非、僕の天使にこの花束を渡したいんだ。楽屋はどこだい? この期に及んで出し惜しみは無しだよ」
受崎先輩がサッと花束を掲げる。その花束、絶対杏子に用意したものだよね。
「はっ、なーにが、僕の天使ですか」
二人が私のすぐ横を通り過ぎる。彼らはちらりと私に視線を向けるが、何事もなかったようにそのまま通り過ぎた。
彼らは私に気付かない。
どうせ、私は明日にはアイドル養成所を退所する人間だ。彼らとも縁はなくなるだろう。私はアイドルになりたい訳じゃないのだから―――
でも何だか…ちょっとだけ……
私は彼らの向かったのと逆の方へ、ぽてぽてと廊下を進む。
そこに聴こえてきたのは杏子の声だ。
「えーっ、帰りなさいって、何でですかぁ。今日はぁ、あたしのデビューの日なのにぃ」
杏子が養成所のスタッフに詰め寄っている。
「御免なさい。残念だけど、今日はもう時間が無いのよ。劇団のミュージカルもかなり遅れて幕が上がる事になったし、私達のために時間はとれないわ。他のみんなは納得して帰ったでしょ」
「じゃあ、みゅーじかるをやめて、私を舞台に立たせてくれればいいじゃない!」
「そんな訳にはいかないわ。アイドルはあくまでも前座、メインであるミュージカルが優先なのよ」
元々、アイドル養成所の皆の出番は最初の一曲だけで、その後直ぐに王都劇団によるミュージカルの上演予定になっていた。ところが、予定通りにミュージカルが開演と成らなかったため、かなり時間が押してしまい、アイドル養成所の皆の出番は無くなってしまったのだ。何よりこれ以上、王侯貴族の時間を奪うわけにいかない。それに私が舞台に立ったため、一応アイドルのお披露目は終わった事になっている。いやあ、私、結構な時間歌ったわ。
「えーっ、あの子ばっかり、ずるい! あの子はぁ、あたしのデビュー曲を勝手に歌っていたしぃ、ずぅるぅいぃ!」
まるで駄々っ子である。
「また、次の機会があるわ。それまで沢山練習をして、さっきの子に負けないくらい素敵なステージをつくりあげましょう」
「えーっ、あたしだって、あのくらいの魔法なら今直ぐにできるもん! えいっ、輝ける星っ!」
「きゃっ!」
杏子の手から眩しい光が放たれ、スタッフが悲鳴を上げる。私は咄嗟に目を庇ったが、それでもチカチカする。これって、もう凶器、閃光弾だよね。
「ああ、あんず、こんな所にいたのか」
こ、この声は……
ドキドキドキ……
心臓が早鐘の様に鼓動する。
チカチカする目にぼやっとその輪郭が浮かぶ。輪郭だけでも素敵。……で、視力が回復したら、スタッフの人でした。
こほん。
と、ともかく、紫苑先輩はさっきのステージを見てくれただろうか?
そして、少しでも私に興味を持ってくれただろうか?
ドキドキしながら、ゆっくりと廊下を彼の方へ歩いて行く。右手と右足、同時に出てないよね。いや、左手と左足が……
「あんず、今日は残念だったけど、また機会があるよ」
「あ、しーちゃん、ほんとぉに、ほんとぉに、ひどいんだよ。折角このリボン、新調したのにぃ、私のデビューなのにぃ」
杏子の頭上には、レースで縁取られたキラキラと輝く巨大なリボンが鎮座している。リボンの中央で乱反射して回っているの何? 小型のミラーボール? うーん、本当にアレをつけてステージに上がるつもりだったの?
「うん、あんずは本当に頑張ったね」
彼は杏子の頭を軽く撫でる。私には目もくれない。
「……」
もしかしたら、彼の心が私に向くことなんて、永遠にないのかもしれない。
確かに……いや、薄々は感じていた。彼にとって私は天城の馬鹿息子、竜胆のおまけ。居てもいなくても良いその他大勢の一人なのだ。
私はそのまま、彼らの側を通り過ぎた。
「もぉ、杏子め、目がチカチカして涙が出てくるじゃない……」
杏子はこのままアイドルを目指すつもりなのだろうか?
ちょっと、いや大分、いやいやもの凄く努力が必要だと思うけど……特に歌の面で。
そこで、ふと、考える。
もし、杏子がアイドルを目指さないとしたら、その選ばれなかった未来はどうなるのだろう? 杏子ではない誰かが、アイドルを目指し、雛菊とライバル関係になるのだろうか?
その時の私は、ヨレヨレのジーンズに草臥れたTシャツの女の子が私の舞台を見て目を輝かせていたなんて思いもよらなかった。
劇場の外に出るとまだ太陽は高い位置にあり、傾き始めたばかりだった。
舞台終わりの高揚した気分はすっかり静まり、何だか疲れ果ててしまった。今日という一日はなんて長いんだろう。
「ふぅ……早く帰ってゆっくりと眠りたいな……」
私は俯き加減でとぼとぼと帰路につき―――
「……ん?」
地面に私以外の誰かの影が落ちる。
「やあ、明日葉ちゃん、お疲れ様。素晴らしいステージだったね。すっかり君のファンになってしまったよ。僕がファン第一号になっても良いかい?」
私の頭に馴染みのある声が降って来る。さすが学院の王子様、言うことがキザだね。胡散臭さで受崎先輩と張り合えると思う。
ん? でも、あれ?
「え、あれが私だって分かったんですか?」
「ん、当然じゃないか。化粧をして髪色も変わっていたけれど、顔をみれば明日葉ちゃんだって、直ぐにわかったよ」
え、魔法少女のお約束、変身したら誰にもわからないんじゃないの!?
「まあ、何となく分かるな……」
そこにもう一つの声。
「エピさんっ!」
私は黒いフードを目深に被った巨大な存在に思いっきり抱きついた。モフッと柔らかい感触。
わざわざ来てくれたんだ……嬉しい。
あれ、変だな? さっきのチカチカが残っているのかな? 視界が滲む。
「おいっ、離れろ」
エピさんはちょっと抵抗したけれど、直ぐに観念したのか、そのままギュッとさせてくれた。フード付きマントの裾から覗く尻尾がゆらゆらと揺れている。
「いや、何か俺と扱いが違いすぎない?」
背後で誰かの声が聞こえたような気がする。
暫く私の腕の中……実際には腕は回り切ってはいないけれど、ジッとしていたエピさんは、そっと私の頭に手を置き、スッと猫の目を細めた。
そして、一言。
「おい、寝癖……」
……。
……。
「ほぁ?」
頭に触れると、私の前髪がぴょんと立っている感触がある。
え、私このままでずっと歩き回っていたの?
「……」
ぼんっと顔から火が出る。
こ、こ、これは恥ずかしい……




