216 公演当日 3
「あの…支配人、お取り込み中に申し訳ございません。只今、劇団の団長様からお電話がございまして……急ぎとのことなので……あ、あの…皆さん?」
重苦しい沈黙を破り、その場の皆の視線を集めたのは、白地に金の刺繍をした制服も眩しい王都劇場自慢の美人案内嬢だった。
彼女から齎された朗報に、その場は安堵で満たされる。
「なんでぇ、心配させやがって、で、あいつらどこに居るって?」
ひげ面の中年男性に迫られ、案内嬢が後ずさる。端から見ると美女が熊に襲われているようにしか見えない。
「え、ああ、あの……それが……今、北ノ町にいるそうです」
「は?」
受付嬢が続けた言葉に一瞬にしてその場が凍り付く。
北ノ町、そこは王都の北に隣接する町で、王都の南地区に存在する王都劇場とは真逆の位置となる。
「あのぉ……ですから、北ノ町です……けど?」
案内嬢が『それが何か?』と言うように小首を傾げる。
「「「はあああああぁぁぁぁぁ!?」」」
その場が一気に解凍された。
「ま、まだ電話は繋がっているのか? と、兎に角、大至急こちらに向かうように伝えろ!」
「はいっ! ほら、早く!」
「え、ええっ?」
大飛支配人が女性スタッフに指示し、命を受けた女性スタッフが、状況を理解していない受付嬢を伴って駆け出していく。
「なあ、おい、北ノ町って劇場とは丸っきり逆方向だろ。今からじゃ戻って来るまでに、最低でも一時間半は掛かるぞ。どーすんだ。もう客も入っているのに、開演まで三十分もねえ」
「残念ながら、今日は休日です。この時間帯は平日よりも道が混んでいる可能性が高いです。下手をしたら二時間以上要するかも知れません」
その場の人々の顔が曇る。中には今にも泣き出しそうな顔もあった。
「支配人、中止は無理でも開演を遅らせましょう」
「そうですよ。どう考えても間に合いませんよ。直ぐにお客様にアナウンスすれば……」
関係者達が大飛支配人へ開演を遅らせるよう口々に訴える中、支配人は蒼白な顔で立ち尽くし、力なく垂らした両の拳をギュッと握った。
「なに馬鹿な事を……そんなこと出来るわけがないだろう。いつもの公演とは違うんだ。御前放送だぞ、送信機の向こうにどれだけの王侯貴族がいると思っているんだ。彼らの機嫌を損ねると言うことは……」
大飛支配人は奥歯で噛み潰すように言葉を漏らし、そして何かに気付いたようにハッと顔を上げた。
「そうだ、燕はどうした! あいつのアイドルとやらに、ミュージカルの演者が到着するまで場をつながせようじゃないか」
その言葉にスタッフが顔を歪める。
「何言っているんですかぁ、坊ちゃんたちも団員達と一緒に北ノ町ですよぉ」
「あーっ……クソッ!」
大飛支配人が白髪交じりの髪を右手で軽く乱した。
「もう、兎に角、誰かステージに立たせておけ! 誰でも良い……いや良くない。カトレア蘭子はどうだ」
「そんなに都合よく、この場に蘭子先生がいる訳ないじゃないですか! 蘭子先生なら、受信会場の舞台に立っている筈ですよ。それこそ王侯貴族の前でね。それに今回の試験放送では、オープニングシンガーを打診しておきながら、こちらから一方的に反故にしているのに、今更どの面下げて……」
ギロリと大飛支配人に睨まれ、おしゃべりなスタッフは慌てて口を噤む。
「あ、あの、繋ぎになる者を大至急探してきます」
そして、この場を逃げ出すように何処かにバタバタと駆け出していった。残された者達はただこの状況に困惑し、顔を見合わせるだけだ。
「ったく、アイツら何だって北ノ町なんかに……」
ボリボリとひげ面の男性が頭を掻く。
「もしかして、王国座の妨害じゃないですか? ここのところ大人しかったですけど、ついに本性も顕わに牙を剥きだした、とか」
金槌を手の中でくるりと回し、どこか飄々とした青年が言う。
「滅多なことを言うものじゃありませんよ。確かに小競り合いはあるかもしれませんが、天下の王都劇場にあからさまに喧嘩を売るわけがありません。あそことウチじゃ格式が違いすぎます。今後のショービズを考えれば、下手なことはできないでしょう」
不適切な発言を諫めたのは、パリッとした燕尾服に身を包み、眼鏡を掛けた人物だ。一体何者?
「だよなー、そもそもどうやってウチの劇団員達を北ノ町まで連れて行くっていうんだ?」
ひげ面の男性が青年に問いかける。
「そりゃあ……さぁ…でもなぁ……」
青年は咄嗟に答えられず口籠るものの、やはり納得できない様子だ。
「あ、あのっ、あの……」
隅に立っていた女性が怖ず怖ずと口を開いた。ヨレヨレのデニムのパンツに、少してろんとしたTシャツ、首に汗ふきのタオルを掛けている。何だか親近感。私の芋ジャと競っているのではなかろうか。
「あの……あたし、聞いてしまったんです。柴さんとウメさんが、この公演が終わったら、王国座に移籍するって……あの、王国座の人と話していて……その時の様子が何だかおかしくて……もしかしたら、もしかして……ですけど……」
「なぜ早く言わない!」
「だ、だって……誰にも言うなって……だって、そうしないと……お、脅されて」
男性陣に威圧的に囲まれて、女性は涙声だ。
「あいつら、何考えていやがる。どうせ甘い言葉に騙されやがったんだろうが、少し考えればわかる事じゃねーか! どう考えたって、こんな事起こすような奴をまともに採用する訳ないだろうがよ! 用がなくなりゃ、ポイッだぞ、ポイッ!」
ひげ面の男性が吼える。その姿はまさに熊である。
「ほら、やっぱりじゃないですか。でも、まさか劇団内に裏切り者がいるとは……」
「でも王国座が、うちに宣戦布告ですか? そこまでする必要があるとは思えませんが」
眼鏡の男性が首を傾げる。
「王国座というよりも、その背後に居る奴の指示だろうな」
大飛支配人が苦々しげに言葉を挟んだ。
「狙いは鬼頭商会、つまりテレビジョンの利権関係……ですか。後ろ盾を得て、王国座もタブーを破って強気に出たと……」
「巻き込まれるこっちは溜まったもんじゃねえつーの」
「まあ、王都劇場も今回のプロジェクトに乗っかっていますからね。無関係とも言えないですけが……」
聞いた話によると、テレビジョン技術の開発にあたっては大きく二つの陣営が鎬を削っており、紫苑先輩の実家、鬼頭商会を資本とするグループが一歩リードしているらしい。こういった技術は、先手必勝、先んじた方が有利となるとのことで、今回の試験放送が成功すれば、鬼頭商会グループが今後のテレビジョンの権利を独占する可能性が高い。逆に言えば、失敗すれば信用失墜、市場への参入は一気に後退する事になる。対抗勢力は当然それを狙っているのだろう。水面下での足の引っ張り合いは熾烈を極める……らしい。
「支配人! 団長と連絡がつきました。やはり北ノ町にいるそうです。直ぐにこちらに向かうように伝えました」
急ぎ戻った女性スタッフが報告する。
「それで、繋ぎの演者は見つかったのか?」
「何言っているんですか、そんなに都合よくいる訳がないじゃないですか。今からじゃどう足掻いたって間に合いません。開演を遅らせましょう」
「だから、それはできないと言っている」
「もうっ、開演時間が迫っているのに、こんな時にそんな事言っている場合ですか! 役者達は、まだ北ノ町にいるんですよ! どうやったって間に合いません! 殆どのお客様が既に席に付いているんですよ!」
往生際の悪い大飛支配人に女性スタッフが現実を告げる。
「開始時間を遅らせろ! 場合によっては中止だ。中止」
ひげ面の男性が女性スタッフに同調し、声を上げる。
「いや、しかし……」
「支配人、此の期に及んで面子を気にしている場合ではないでしょう。お客様に真摯に向かい合わなければなりません。ここは素直に開演が遅れる事をお客様にお知らせするのが最善だと思われます」
「………………わかった。開演時間を遅らせよう」
支配人は眼鏡の人物の言葉に渋々頷いた。
「直ぐにアナウンスの手配をしてきます。それから、松濤さん、楽団の準備は? 何でもいいですから、演奏して場を繋いでください。支配人、一緒に来てください。色々と対応をお願いします」
「了解しました」
眼鏡の人物が一礼し、その場から立ち去る。どうやら彼は楽団の人間らしい。
「さっ、支配人、行きますよ」
色々と指示を出した女性スタッフが駆け出し、その跡を重い足取りで支配人が追っていく。
私と言えば、この状況には全く役に立たず、ただオロオロするだけだった。重苦しい雰囲気から抜けて舞台袖に移動し、緞帳の隙間から客席を覗く。客席は満席状態だ。
物語ならこういう時、主人公が華々しく登場し、危機的状況を救うのだろう。この世界の主人公といえば杏子である。杏子が主人公特有の何だかよく分からない特殊な能力でババーンとステージに現れて………………も無駄か。あの歌じゃ……ね。
では、もし菊子…雛菊がこの場にいたら、どうだっただろう。颯爽と舞台に立ち、その歌声で観客を魅了するのではないだろうか。
そう、雛菊! 雛菊がいれば!
客席に雛菊の姿を探すが、もちろんそんなに都合よくこの場にいる訳がない。そう言えば、今日は菊子も師匠であるカトレア蘭子に同行しているのだったっけ……
じゃあ、私が……
とは流石にならない。私は分を弁えているのだ。こんな芋ジャの娘が突然舞台に現れたところで、笑いものになるのがオチだ。
時間だけがジリジリと過ぎていく。
カチッ、カチッ、カチッ……
時計の針は進む。
カチッ、カチッ、カチッ……
カチッ。
開演の時刻が訪れた。もちろん幕は上がらない。
ザワザワザワ……
『ご来場の皆様にお知らせいたします。開演時間となりましたが―――』
アナウンスの後、オーケストラの演奏が流れてくる。多分、ミュージカルで使用する曲なのだろう。客席が少し静かになるが、あくまでその場凌ぎだ。
ザワザワザワ……
再び観客席が騒がしくなる。
「いつまで待たせるんだー!」
「役者はどうしたー!」
「天下の王都劇場様もこんなもんかー、テレビジョンってのも眉唾もんじゃねーの!」
「鬼頭商会もたいしたことねーな。いや、テレビジョンなんて詐欺じゃねーのか。王族や貴族を騙すなんてとんでもねー会社だな」
王都劇場には不釣り合いな粗野な人物が混じっているようだ。客席からヤジが飛び、会場の喧騒が大きくなっていく。
おかしい。
明らかに扇動している人物がいる。
「おい! どうなってんだー!」
「責任者何している」
怒号がますます酷くなり、何人かが王都劇場の舞台に詰め寄る。オーケストラピットの演奏者達が慌てて逃げ出した。
「きゃーーー!」
客席から悲鳴が上がる。舞台へと詰め寄った観客は暴徒となり、その手には光ものが見える。
暴徒が緞帳を切り裂き、舞台装置が壊されていく。
暴徒が舞台袖まで迫り、その刃が振り下ろされ、私はギュッと目をつぶ―――




