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おもいで精霊と何者でもない私  作者: 天乃 朔
Prologue

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004 旅立ち

 どこまでも青く晴れ渡る空―――ではなく、微妙な空色の下、今日私は魔法学院へ旅立つ。

 折角のハレの日なのに何だかパッとしない。

 せめて雨が降らなければいいな。ぬかるんだ道の馬車なんて最悪。


 私の名前は、“如月(きさらぎ)明日葉(あすは)”。

 私はずっと只の“明日葉”だったけど、ついこの間、私は“如月明日葉”になった。魔法学院の入学にあたり、苗字が無いのは都合が悪いということで、師匠が付けてくれたのだ。


 如月明日葉。

 きさらぎあすは。

 キサラギアスハ。


 とても素敵な名前ではないだろうか。如月というのは師匠の旧姓だそうだ。早速、私は持ち物すべてに自分の名前を書いた。師匠には幼児かと笑われてしまったが―――


 私、如月明日葉には幼い頃の記憶がない。

 私の記憶は師匠に手を引かれ、天城の屋敷に連れて来られたところから始まる。多分私が五、六歳の頃だと思う。きっと私は師匠に拾われたのだろう。

 天城は師匠の今の名字だ。師匠は名門天城家の奥様にして、魔法使いである。そして、染み一つない滑らかな白い肌、艶やかな絹のような長い黒髪、妖艶さ漂う切れ長な目元、魅惑の赤い唇、出るところは出て、引っ込むところは引っ込んだいわゆるボンキュボンの身体(バディ)と、天は二物も三物も与えたという物凄い美人でもある。

 但し―――、師匠はいわゆる残念美人という奴である。まあ、それでも物凄い美女には変わりない。


 師匠には例の儀式後に、私に“おもいで精霊”が憑いていることを告げている。その際手渡した証明書には儀式の結果が記されており、師匠は神殿のシンボルがエンボス加工されたその用紙に目を通すと、珍しく真剣な面持ちで私に訊いた。


『で、何か思い出したのか?』

『えーっと、何も』

『ふうん、そうか……まあ、これも何かの巡り合わせかもね……』


 精霊は何らかの関連のある者に憑くと言われており、例えば、“石炭の煤の精霊”は火の魔力を持つ者に憑くし、“二日酔いにならない精霊”は水の魔力を持つ者に憑くらしい。だから“おもいで精霊”は、幼い頃の記憶を失っている私に憑いているのかも知れない。

 師匠には前世の記憶が蘇ったなんてことは話していない。私自身でさえ、信じがたいと思っているのに。そんな事を言ったら、正気を疑われるだけだろう。

 私はあくまで常識人なのである。


『しっかし、“思い出す精霊”? けったいな名前の精霊だね。試験の時にでも役立つのかねえ?』


 おお、それがあった! 合法的なカンニング…じゃなくて試験対策になりそうじゃない?

 私はこれからに、ちょっとだけ期待を抱いたのだった。


「……ハ」


 折角だから“おもいで精霊”の有用な活用方法について考えてみてもいいかも知れない。例えばほら、転生者のお約束、前世の世界の料理を今世の世界に広めるとか……


「……アスハ」


 でも思い起こした範囲では、この世界にも殆どの料理が既に存在している。

 ……あ、そういえば、何よりも私には料理の才能が無かったのだ! そうだった!


「おい、こらアスハ、聞いてんのか?」


 白く長い指が私の頬をつぷりと付いた。その爪先は残念なことに草汁で染まり、ガタガタだったりする。

 いえ、聞いていませんでした。師匠、ちょっと痛いです。私は笑顔で誤魔化す。


「師匠には大変お世話になりました。今まで本当にありがとうございます」


 兎も角、長い間お世話になった天城の家や、私が暮らした師匠のアトリエとも本日でお別れ。天城家の人たちは、素性の良くわからない私に大変良くしてくれた―――まあ、約一名を除いてではあるが。

 ちょっと目が潤む。

 私は学院を卒業したら就職先を見つけ、ここには戻らないつもりだ。いつまでも師匠に甘えていないで、いい加減独立しなければならない。


「同じ学院にいるんだし、何かあったら下の息子に頼りなさい」

「いえ、結構です」


 私は即答した。感動の涙も引っ込んで、私の心は瞬時に醒める。

 師匠には二人の息子がいる。

 私と少し年の離れた上の息子は私に殆ど関心を持たなかったが、一つ年上の下の息子は何かと言うと私に突っかかってきた。まだ母親恋しい年頃に私が現れて、母親を取られたと思ったのかも知れない。

 その気持ちは分からなくもない。

 でも意地悪されるのは話が違う。それとこれとは別だ。

 余りにも彼がちょっかいを掛けるので、私は天城家の屋敷から森の中にある師匠の小さなアトリエへと生活の拠点を変えた。回数は減ったが、その後も彼は顔を合わせる度私に意地悪した。

 そんな相手を私が頼る筈もない。

 同じ学院内にいると思うだけで憂鬱だ。

 もし彼に良いところがあるとしたら、あの人との出会いのきっかけを作ってくれたことくらいだろう。

 あの人―――私の憧れの人は、商家の息子だった。将来後を継がせるためなのか、父親が彼を連れてあちこちの得意先を回っていたらしい。特に天城の家の下の息子と同い年ということもあり、頻繁に姿を見せていた。今考えると、天城家と懇意でありたいとの父親の商人的な打算が働いていたのだろう。


 幼い頃、彼らが森の中で探検ごっこをして遊んでいるのをよく見かけた。そんな彼らの姿を叢から覗いていた私は、ある日、意地悪な息子に見つかり、乱暴に体当たりされ、ひっくり返ってしまった。


 その時、私は勇者(ヒーロー)に出会った!


 私に微笑んで手を差し伸べ、起こしてくれたのはあの人だった。これまで生きてきて私にあんなに優しく微笑んでくれたのは、彼が初めてだった。


 きっと彼は私のことが好きなんだ!


 そう確信した。私に恋心が芽生えたのは必然だろう。

 ここ最近は、彼の姿を見ていない。彼は―――、ついでに天城の下の息子も、およそ一年前に魔法学院に入学してしまった。

 そう! 私は久々に彼に会えるのだ!!!


「ひゃっ!」


 師匠の指が私の両頬を引っ張る。


「子供が何言ってんの。素直に言う事きいておきな」

「あひょ、しゅ、出発の時間のようです。御者を待たせると悪いですからもう行きますね。では、師匠、今まで本当にお世話になりました」

「なによ、その言い方。休みにはちゃんと帰ってきなさいよ」


 師匠の手から逃れると、これ以上この話は聞きたくないとばかり、私はそそくさと幌付きの馬車の御者台に上り、御者の横に腰掛けた。馬車はゆっくりと動き出し、私は徐々に小さくなる師匠に手を振る。師匠は客車を用意すると言ったのだが、街に食料など日用品を買い出しに行く馬車に同乗させて貰えれば良いと私が断ったのだ。分不相応な待遇は身を亡ぼす……かもしれない。


「ふふっ……帰ってきなさいよ………か」


 師匠の言葉がじんわり心に染みる。

 無口な御者はそんな私にちらりと視線を向けただけだった。


 カポ、カポ、カポ……


 空は相変わらず曇天で、代り映えのしない風景が流れていく。馬車を引く農耕馬のどっしりとした尻を眺めているうち、私の思考はいつしか過去の記憶に向けられていた。

 あの日、私に憑いている“おもいで精霊“は早速仕事をした。例のごとく役に立たない方に。

 精霊は子供の頃を通り越して、前世の記憶を蘇らせたのだ。

 いや、そんな昔の記憶要らない。どうせなら、子供の頃の記憶が欲しい。私の両親は一体どんな人達だったのだろう?


 ――ソノ親ニ、捨テラレタカモシレナイノニ?


 前世の記憶によれば、創作物の中に転生するのは、驚くことにそれほど珍しいことではないらしい。前世の世界には数多くの事例が記載された書物がたくさんあるようだ。

 前世の世界にそれらの書物が多数あるということは、前世の世界はいくつもの創作物が集まって出来ている世界なのかもしれない。この世界において常識人である私には、なかなか理解しがたい話ではあるけれど。

 兎も角、前世の記憶によると、私が生きるこの世界はある創作物、乙女ゲームというヤツ(に限りなく似通っている世界)であるらしい。私の憧れの人はゲームの主要人物で、兎に角一途に、それはもう一途に、これでもかというくらい一途にある女の子のことをずっと思い続けている人物だった。

 そして高い確率でその子と結ばれる結末を迎える。


 ――その女の子は私。


 なら良かったのだけど、残念ながら違う。つまり、私は失恋してしまった訳だ。


『ゲームと現実は違う』


 と言いたいところだけれど、何となく思い当たる節がないでもない。彼はいつもある女の子の話をしていたように思う。実は彼に会うと、私の心はふわふわーっとして、ぽーっとなって、何を話したのかあまり覚えていないのだ。

 私は、彼が私のことを憎からず思って―――好きでいてくれるものだと思っていた。

 いつだったか、彼が天城の下の息子に『私が』とても可愛いと話しているのを聞いて舞い上がったことがある。

 でも今考えれば、彼が可愛いと言ったのは私ではなく、その女の子のことだったのだろう。私みたいな地味で目立たない娘が彼に可愛いなんて言って貰える筈などなかったのだ。

 勘違いして、恥ずかしい……というか悲しい。

 彼の思い人は当然、ゲームの主人公である。とても可愛いくて、魅力的な少女だ。そして、ゲームの中で彼はその少女を手助けする役回りである。彼のような存在をナビゲーターとか、アシスタントキャラと言うらしい。


 で、私はゲームのどんなキャラクターに転生したかと言えば、主人公ではもちろんなく、悪役令嬢なんて以ての外、友人でも、はたまたモブでさえなく―――、テキストでさえ語られない全く影も形もない存在だった。

 そう、私は何者でもなかった。



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