119 あのひと
ようやく『あの人』登場。
ぐにょんと目の前の空間が歪み、何とも怪しげな裂け目が生じる。
ここは魔法学院の訓練場の一つ。魔法学院とはいえ、どこでも魔法を使用して良い訳ではない。というより殆どの場所で使用が禁止されている。特に入学生が魔法を使用して良いのは、クラス全体の実践授業でも使用される闘技場か、少し小さめの訓練場の二カ所に限られている。訓練場は院生も使用するため、確保がなかなか大変らしいのだが、有り難いことに私は教員枠でこの場を使用している。
そう、今私は有明先生の実践魔法の補講を受けているところだ。そう考えると、この状況は有り難いんだか、有り難くないんだか……
私の魔法属性である無属性とは、火、水、風、土、雷、光、闇の七属性を除く全てを十把一絡げに纏めて言うらしい。凄い大雑把である。そんなんで良いのか! 魔法管理局! ……という組織があるのか、私は知らないけど。
兎に角、無属性魔法を習得するには、まず数ある魔法の中から私の得意分野を見つける必要がある。ということで、初めての実践授業で見事に(?)空間を捻れさせたことから、空間魔法に適性があるのでは、と挑戦中なのである。
さて、空間魔法とは何ぞや?
それはずばり、異世界転移の物語やゲームとかでお馴染み空間収納でしょう!
そう、私がイメージしてるのは、異次元収納とかインベントリと言われるアレである。
という訳で私は空間をぐにょぐにょに歪めて、ぐにょーんと穴を空ける。
うん、良い感じ。
空間収納といえば、抱えきれないような大量なものとか、筋骨隆々でもなければ持ち上げられないような重量のあるものを、私のようなひ弱な人物でも簡単に運搬可能となる超が付くほど便利な夢の機能だ。更にもしそれに時間停止の機能なんてあれば……
これが成功したら、ダンジョンのアルバイトで引く手あまたとなるんじゃなかろうか?重い鉱物も大量に楽々運搬、お任せあれ!だ。
目の前の空間の裂け目が広がり、大柄な男性が優に通れるほどの大きさで固定される。
「よし、できた」
何か裂け目から怪しげな雰囲気が溢れ出しているけれど…………
「………………」
えーっと、多分こんなものだよね?
制服のポケットから拾っておいた小石を取り出し、空間の裂け目に入れる。練習場の足下は単なる地面だけど、小石なんて落ちてやしないのだ。安全対策ってヤツ?
小石は裂け目に飲み込まれて消えた。耳を澄ますが音はしない。
さて、ここからが空間収納の見せ所だ。異空間に入れた小石を……私は空間の裂け目に手を突っ込んだ。
ん? これどうやって取り出したらいいんだろう?
小石をイメージしてみる。
「……………………」
何も起こらない。
もう一度。
「……………………」
やっぱり、何も起こらない。
空間の裂け目に突っ込んだ手がスカスカと空をつかむ。
うーん、小石が行方不明になってしまった。どうやら、これは収納庫ではないらしい。では何かと言われれば……
有明先生が無言でジッとこちらを見ている。
「えーっと、もしかしたらどこかに通じているかも……」
突き刺さる視線が痛い。
「えーっと、あの先生…………この中に入ってみます?」
「入るか! 馬鹿者!」
ですよねー――――……
私のダンジョンデビューはまだ遠い。
***
“次元トンネル(仮)”、別名“怪しげな空間”をやっとの事で閉じ、本日の補講を終えた私は、とぼとぼと研究棟の中庭を歩いていた。
うーん、またもや私のダンジョンデビューが遠のいてしまった。
何となくだが、私には魔物に対抗できるような戦闘魔法の才能がないのではないかと思う。もちろん、根拠は無い。それならば、と究極のサポート魔法、空間収納に挑戦したのであるが、結果はご覧の通りだ。
あ、だからといって私に魔法の素質が無い訳では無い……と思う。実は、こんな私でも使える魔法はあるのだ。私だって、ただ漫然と授業や補講を受けているわけじゃないのである。
両手をぎゅっと握り、ゆっくりと開くと、無数の光の蝶々が解き放たれる。それらは、きらきらと辺りを舞い、そして、少しずつ空気に溶けるように消えていく。
ああ、何て綺麗なんだろう。
思わず自画自賛。
えへん、私にだってこれくらいはできるのだ。
現時点で私が空間を歪めて裂くこと以外で出来る魔法だ。光魔法っぽいけど、あの蝶は光ではなく、実は幻影である。“幻影魔法”―――と名付けた。でも何の役にも立たない魔法だ。
綺麗だけどね。綺麗だけど、それだけでしかない。
少女漫画の登場人物の背後に突如現れる花みたいなものである。ただ綺麗なだけでこれらの蝶は全く役に立たない。光魔法や闇魔法のように標的を包み込み、移動させることも攻撃することもできない。それどころか、コントロール不能である。ただそこにあって、ただ消えていく。有明先生曰く、「まあ、奇術師くらいにはなれるんじゃないか」とのことである。……はぁ。
いっそのこと役者にでもなって、花でも背負って登場しようか? いや、そんな劇があるのか知らないけれど……
もしかして私ってば、菊子にかなり毒されている?
「――――……で、……だから……頼むよ」
「うん、……―――よ。でねー……」
人の気配がした。ふよふよと目の前を一頭の蝶が横切る。
マズイ!
学院内では所定の場所以外での魔法の使用は禁止だ。
私は慌ててまだ消えていない光の蝶々を消そうと手を振り回すが、軽く触れたくらいでは簡単には消えない。というか私の手はスカスカと幻影の蝶を素通りしている。残念ながら、私の意思で幻影を生み出すことはできても、自由に消すことはできないのだ。打ち上げられてしまった花火をどうすることも出来ないのと同じである。
無駄な足掻きであるが、手をバタバタしていると、ようやく光の蝶の群れが消え、ほっと一息、私はキョロキョロと辺りを見回す。
誰も見ていないよね?
視界の片隅に何だか見たことのあるふわふわな金茶の頭が入った。その後ろ頭には、白いレースで縁取られた巨大なピンクのリボンが結ばれており、垂れ下がった部分がゆらゆらと揺れている。
「あ、杏……」
私は慌てて言葉を飲み込む。杏子が誰かと話をしている。
取り巻きの誰かだろうか?
肩幅の広い制服の後ろ姿。この辺りに入学生は殆ど入って来ないので、多分院生だろう。院生にも取り巻きがいるなんて、さすがというか何というか……
「じゃあね!」
杏子が大きく手を振り笑顔で去って行く。
名残惜しそうに杏子の後ろ姿を見送るその人物が徐に振り返り――――
「!」
!!!!!!
あ、あ、あ、あ、あ、あ、あの人だ! あの人が今、私の目の前にいる!!!
ドキドキドキドキドキドキドキドキドキ……
私の胸はドキドキと高まり、それは耳元まで反響してグワングワンと五月蠅い。
ゲームのアンズは幼なじみである彼に現在の能力値だとか、攻略対象の好感度とかよく尋ねていた。なぜなら、彼はゲームのナビゲーターなのだ。だから、杏子が頻繁にあの人と接触していてもおかしくはない。
でも、入学生と院生の行動範囲は別れており、入学生が院生と接触することは殆どない。私も補習や自治会のバイトがなければ、研究棟に足を踏み入れることはなかっただろう。杏子は私の知らない所であの人と何度も会っていたのだろうか?
いや、今はそんな事よりも、あの人が、あの人が目の前にいる!
ドキドキドキドキドキドキドキドキドキ……
心臓が五月蠅い。今にも飛び出してしまいそうだ。ごくりと唾を飲み込む。
「ぁ、ぁの……」
かすれて声が出なかった。もう一度。
「あのぉう」
今度は声が裏返った。恥ずかしい。思わず顔を伏せ、チラリと前髪の間から盗み見る。
「ん? なに?」
あの人がにっこりと微笑む。決して二枚目では無いけれど、人好きのする笑顔。
かーっと血が上る。顔が赤くなっているかも……耳まで熱い。ギュッと制服のスカートを握りしめる。
「ぁ、あの……お久しぶり……です」
伏せがちの顔のまま目の前の人物の顔にチロチロと何度も視線を向ける。あの人だ。本当にあの人だ!
「えーっと、君は……?」
彼が戸惑った様子を見せる。きっと私が俯いているため、誰だが分からないのだろう。
私は思い切って顔を上げた。
笑顔、笑顔、一番可愛い顔を見せるんだ。
「……えーっと、ごめん。どこかで会ったことあるかな?」
あの人は私の顔を見て、そう言った。
「……ぇ」
聞き間違い?
「うーん、うちの店に来たお客さん……とか?」
私の心は鉛のように重くなった。高揚していた頬から一瞬にして血の気が引く。
「違う? うーん、それじゃあ……」
彼は私のことを覚えていない……
「おーい、紫苑!」
その場に誰かが大声を上げやってきた。
「紫苑っ、こんなところにいたのか。お前、院祭の……ん?」
その人物は、硬直して立ち尽くす私の顔を無遠慮に覗き込む。
「明日葉? やっぱり、明日葉じゃねーか! 何だよ。おい、俺に挨拶なしか?」
赤毛の見知った顔だ。コイツとはこんな所で会いたくない。
「竜胆、知り合いか?」
「何言ってんだ。昔っから俺の家で散々会っているだろ」
「ん? あ、ああ、そうか、竜胆の思い……」
「わわわわわわわーっ!」
赤毛の男があの人の言葉を遮るように大声を上げる。
五月蠅い。相変わらず騒がしい。
コイツは天城竜胆、私を虐めていた師匠の二番目の息子だ。
「ああ、何となく思い出したよ。いつも竜胆と一緒にいた……明日葉ちゃんだったね」
私はのろのろと頷いた。それだけで精一杯だった。
あの人は私を覚えていなかった。
師匠の二番目の息子と並んで、初めてあの人は私を認識した。あの人にとって、私は竜胆のおまけに過ぎなかった。
泣いちゃダメ、泣いちゃダメ、泣いちゃダメ……
そう聞かせているというのに視界が滲んでくる。涙なんて見せて堪るものか……
ポタリ。
「ごめ……さぃ……」
「あ、おい!」
私は耐え切れずその場から逃げ出した。
アノ人ノ心ノ中ニ、私ナンテ、欠片モ存在シナカッタ……




