117 夜の化身
前回からの続きです。
―――――……
『―――ちゃん――――だよ』
――――……
『え―――……っ―――で…かぁ?』
『そう、……なんだよ。だから―――』
―――……
『きゃははは……です……よーぉ』
『―――……しようよ』
――……
『クスクスクス……えー、どおしよっかなあ……』
『でさ―――』
-……
……
よし、終わり。
鉛筆を置いて上半身を伸ばす。首を左右に曲げると、コキコキと音を立てた。
何だか背後が騒がしかったけれど、兎に角、私の分のアンケート集計が終わった。ちなみに私の受け持ちは入学生の半分である。
そういえば、入学式後のオリエンテーションで、学祭についてアンケートに回答した覚えがある。この中か、あるいは杏子の分担の中に私の回答用紙も含まれている筈だ。入学したばかりで学祭とは気が早いと思ったけれど、王立魔法学院の学祭は地域でも有名なイベントで、学祭が終わって直ぐに一年後の学祭の準備を始めるのが通例らしい。
隣を見ると、白根君はまだ集計中の様子。彼の分担は二~四年の院生と教師の分である。数的には、入学生全体の半分の量であるが、アンケート内容が入学生とは異なり設問が多いらしい。その分、集計に時間が掛かるのかもしれない。
まさか、杏子に見惚れていて……なんてことは…………まさかね。
とにかく、私の分を杏子の担当部分と合わせれば入学生分は終了である。さて杏子は……と見ると、先輩達とおしゃべりしていた。
「えー、そんなことないですよぉ」
軽く握った両の拳を口元にあて、必殺の上目遣い。
「あんずちゃんは、甘い物が好きなのか。今度、一緒に食べに行こうよ」
「えー、どぉしよっかなあ」
小首を傾げ、身体をくねっと捻り、可愛さアピール。
「十字街の喫茶店の『ぱーふぇくと』とか言う、あいすくりんの甘味が美味しいって話だよ」
「おっと、抜け駆け厳禁な」
「うふふ」
杏子は身体をくねくねと―――うーん、ワカメ?
いやいや、そんなことより、集計が終わった訳ではないよね?
杏子の前にはアンケートの回答用紙の束と白紙の集計用紙、それから先の尖った鉛筆と真っ白な消しゴムが転がっている。
「あのう……佐倉さん、アンケートの集計はどこまで……」
連帯責任で減給なんてことがあったりしたらヤダなと思い、私はおずおずと杏子に声を掛けた。
「うん? 君は無粋だなあ。僕たちが楽しくおしゃべりしているというのに」
「空気を読めよ」
「もしかして、あんずちゃんの可愛さに嫉妬しているのかい? これだから凡庸な人間は……」
直ぐさま先輩三人組に揃って責められる。
「あ、ごめんなさーい。すっかりおしゃべりに夢中になっていて、全然やって無かったぁ。もう、先輩達が悪いんですよ」
そう言う杏子の声には申し訳なさなんて微塵も感じられない。
「あー、あんずちゃん。ごめんごめん」
「こんなヤツに謝るなんて優しいな。あんずちゃんは」
「見た目も心もホントに天使みたいだね」
先輩達には私が杏子に嫉妬した醜くて嫌なヤツに見えているようだ。
チクッ。
「これどうしよう。終わらないかも」
杏子が私の方にチラチラと視線をやり、態とらしく声を上げる。
「あ、そうだ、君。君の分が終わったのなら、あんずちゃんの分もやってあげなよ」
「そうだな。出来るヤツがやるべきだよ。バイト代出てるんだろ。その分仕事しなきゃ」
「あんずちゃんには、僕たちとの仕事があるんだからね」
「え?」
今、アンケートの集計以外に一体どんな仕事があると言うのだろうか?
「うーん、やっぱりそうだよねぇ。それじゃあ、あたしの分もよろしくぅ」
杏子が邪気の無い笑顔で、手つかずのアンケート用紙の束を私の方へ押しやった。先輩達は私へ見下したような視線を送り、直ぐに杏子ヘと関心を移すと会話を再開する。
「いや、でも……」
何だか泣きたくなった。
フッと目の前が暗くなる。
エーン、エーン……
『何をしているの! あなたは―――でしょ』
『お前は―――なんだから、我慢しなさい』
エーン、エーン……
『ほら、―――に謝りなさい。ホント悪い―――ちゃんね』
『―――は天使――だというのに、お前は本当になんて悪い子なんだ!』
子供の泣き声を背景に誰かを―――私を? 責める男女の声―――
エーン、エーン……
鳴き声を上げていた子供が、―――のスカートの陰に隠れてペロリと舌を出す。
エーン、エーン……
『どうして? いつも、いつも―――ばかり…………あんた…か…消え…なっちゃえ!!!』
私の心に何かどす黒い感情が―――溢れ――――……
え、なに今の?
身体が小刻みに震える―――何だか―――――――(怖い)。
辺りをキョロキョロと見回す。先程と変わらず、白根君は集計に集中し、杏子たちはおしゃべりに夢中だ。
もしかして、“おもいで精霊”が見せたの?
何だが凄く嫌なモノが心の奥底に澱んでいる。(怖い)。私は目の前に積まれた回答用紙に目をやった。本来なら突き返すべきなのだろう。でも……
「ふぅ」
私はのろのろと押しつけられた用紙の山に震える手を伸ばす。まるで暗い海を漂う者が小さな木片に縋り付くように―――
押しつけられた?
違う。これは私の仕事なんだ。私はバイト代のために(怖い…)自分に与えられた仕事をしているんだ。
そう、これはバイト代のため。我慢、我慢。
――――――怖イ……
何ガ?
自分ガ。
パチッ。
突然の光に目が眩む。ジジジと音を立てて、蛍光灯に明かりが点った。
「こんな暗いところで何をしている?」
その声に戸口へ視線を向けると、闇から抜け出してきたような人物がそこにいた。黒い制服に黒いマントを羽織り、髪は闇のように漆黒で、私を見詰める瞳は黒曜石のようだ。黒目黒髪なんてこの国では珍しくもないけれど、その黒は特別で、まるで夜の化身のようだった。
もしかして夜の精霊?
ただ―――、彼の肌は月の光のように白い。
夜の精霊なら、肌も黒いのではなかろうか? あくまで個人的なイメージだけど。
うーん、だとしたら夜の精霊は、闇の中じゃ見つけられないだろうな……闇夜の鴉…みたいな?
「おい」
夜の人は、黒曜石のような瞳で私を睨め付ける。
「あ、ああ、はい。あの自治会の仕事で、アンケートの集計を……」
どうしてこう私の思考は直ぐに明後日の方向に向かってしまうのだろう?
それにしても、日向会長とタメを張るほどの凄い美形である。日向会長が太陽としたら、この人は月というところか。
自治会の役員だろうか?
これだけの美形なら攻略対象になりそうなものだけど、こんな人、“アンま”に出てきたかな? 記憶にない。まだ思い出していないだけなのか、それともゲームとは無関係なのか……
「もう夜だ。サッサと帰れ」
窓の外は、西の空がまだ薄ら明るいものの、既に藍色から濃紺に染まっている。作業に没頭していたため、日が落ちたことに気付かなかったらしい。
「あ、でも……」
あともう少し、杏子担当部分と私担当の部分を合算すれば終わりなのだ。まあ、結局私が全部やった訳だけど…………これって、バイト代上乗せして貰えないだろうか?
「全く、アオイは何をやっているんだ」
「いえ、日向会長が悪い訳ではなくて……ですね」
この場合、責任は誰に? 多分あの三人の先輩達だよね。確か日向会長はあの三人組に最後を任せていたみたいだし。
「あれ? そういえば、他の人達は……?」
左隣を見ると白根君の姿はない。黙って帰るなんて、さすがに酷くない?
……。
あ、もしかして、声を掛けられたのに私が気付かなかったのかもしれない……。
私は集中すると周りの音が聞こえなくなることが良くある。さらに無意識の内に返事をしていることもあるようで、師匠が頼んだという身に覚えの無い用事について、私が了承の返事をした、しないで言い争いになったことがあるのだ。
それから、当然会話に花を咲かせていた杏子と先輩三人組の姿もない。
そういえば、ゲームでのアンズとセリの出会いは、先輩達に絡まれているアンズをセリが助けるというものだった筈。杏子と先輩三人組がこの部屋から出て行き、その跡を直ぐに白根君が追って行ったとしたら……出会いイベントが発生したのかもしれない。いや、二人はその前に出会っているんだけどね。
いいなあ……
じゃなくて、いくらなんでも私の扱い酷すぎない? 私ってその辺の石と同じなの?
さすがにこれは……何か泣きたくなった。あ、何か本当に泣きそう。
私は涙を堪え俯く-――
ポン。
「ひゃっ」
頭頂部に何かの感触があり、ビクッと反射的に見上げる。目の前に黒曜石を思わせる一対の瞳があった。
「ああ、悪い。つい」
私の頭の上に載せられていた彼の手が引っ込められる。私の頬がカカカっと熱くなった。何だか耳まで熱い。残念ながら私に美形……というか男の人……というか人間全般に対して免疫がないのだ。
「あ、いえ、あの……」
物語のヒロインならここで恋の物語が始まるのかもしれない。でも―――
グーッ―――……
時と場所を選ばず、私のお腹が盛大に鳴った。
「…………」
夜の人がちょっと口の端を歪めたように思う。
「早く帰って、飯を食え」
うん、絶対に始まらないね。私のお腹、少しは空気を読め!
【閑話】
当初、最後に登場するのは日向葵の予定でした。残念ながら好感度不足でルート開かず?
ちなみに葵Verはこんな↓感じ。明かりが付いたあたりから……
【葵Ver.】
ふと、気配を感じ、顔を上げると、日向会長の端正な顔が目の前にあった。
「遅くなってごめん。明日葉ちゃん、まだ頑張っていたんだね」
窓の外を見ると既に日が落ち、暗くなっている。杏子も、白根君も、先輩達も室内に姿がなかった。
「全く、先輩達には困ったものだな。ちゃんと時間が来たら帰すように伝えてあったのに……。もう、続きは明日にして、帰りなさい」
日向会長が私の頭へポンポンと手をやる。さすが学院の王子様……何だか狡い。私は、こぼれ落ちそうになる涙を堪えて言った。
「バイト代、倍にならないですか?」
やはり恋など始まらなかった。




