106 ヘ組
正午を大きく回ったこの時間、組分け掲示板の前に人の姿は疎らだった。多分、皆既に確認し終えているのだろう。少し出遅れた私は掲示板を見上げ、左から順に自分の名前を、ついでに恋敵の“アンズ”の名前を探していく。
組は左からイ組、ロ組、ハ組……と並んでおり、イ、ロ、ハどの組にも私の名前はなかった。ついでにアンズの名前も。
「あ、菊子……」
ニ組に菊子の名前を見つけたが、私の名前はここにもない。残念ながら同じ組にはなれなかったようだ。
しかし、組によって人数に差があるのは何故なのだろう。イ、ロ組は四十人を超えているようなのに、ハ組は十人程少ない三十人。ニ組は再び四十人程度になり、残り二組は二十人以下にガクンと減る。
私の名前が現れぬままホ組ときて、漸く最終組に自分の名前を見つける。
ヘ組……
「そりゃ無いわー」
思わず声が漏れる。
乙女がヘ組って……無いわー―――……
ヘ組の欄に記載されている人数はどの組よりも明らかに少ない。総勢十三名。もしや、落ち零れクラスなのでは……と嫌な考えが脳裏をよぎる。ヘ組だし。
「あ、そういえば、アンズは……」
私の恋敵である“アンズ”がどの組なのかまだ確認できていない。一通り掲示板は確認したのだが、それらしき名前が見当たらなかったのだ。
キーンコーンカーンコーン―――……
予鈴が鳴った。
私は鐘の音に追い立てられ、慌てて教室のある一般教養棟に向かう。
仕方が無い。後で確認することにしよう。流石に初っ端から遅刻はしたくない。
一般教養棟の建物内はひんやりとして薄暗かった。正面には幅広の大きな階段があり、踊り場に置かれた柱時計がチクタクと時を刻む。コールタールが塗られた黒っぽい木製の床がエントランスホールから左右へと伸びている。
さて、教室はどこだろう?
その場でまごついていると、どこから現れたのか小さな光の球がふよふよと寄ってくる。
『ドコ……イク?』
「あ、家憑き精霊……?」
その姿は光る綿埃にしか見えないが、建物に憑いている精霊だ。古い建物には稀に精霊が憑く。精霊は基本的に姿を現すことはないが、家憑き精霊は人が好きなのかこの様にたまに姿を現す。そんな稀にしか存在しない家憑き精霊をなぜ私が知っているかというと、師匠のアトリエも大層年季が入っており、埃と共に偶にふよふよと浮いていたからだ。そして、家憑き精霊は、大抵役に立たない。だって、彼らも精霊だからね。
『新シイ生徒……案内スルヨー、……ドコイク?』
どうやらこの精霊は教室まで案内してくれるらしい。珍しい。いや、師匠のところの精霊がぐうたら過ぎるのか?
「ヘ組に行きたいんだけど……」
家憑き精霊は階段の上を二階へとふよふよと移動する。
『へ、組……ハ、コッチ、コッチ……』
私はその後を追う。家憑き精霊とはいえ精霊には違いない。彼らは気まぐれで、偶に悪戯したりする。今がその“偶に”ではないことを祈ろう。
ヘ組の教室は一般教養棟二階階の奥、一番小さな教室が割り当てられているようだ。教室の前の廊下に数名の入学生が屯している。
『ジャネー』
大人数には見られたくないのか、家憑き精霊がパッと消えた。教室に近付くと屯している入学生たちの会話が耳に入ってくる。
「えーっ、何であたしは、みんなと同じ組じゃないのぉ?」
男子生徒に囲まれて姿は見えないが、中心に女の子がいる様だ。不機嫌そうな声が聞こえる。
「そんなあ、同じ組には僕がいるじゃないか」
「えーっ、眼鏡クンと一緒でもなあ」
「そりゃあ、地味眼鏡じゃ頼りにならないもんな」
複数の男子生徒の笑い声が廊下に反響する。
きっと女の子は私と同じヘ組なのだろう。そりゃあ、ヘ組じゃあねえ……
「大丈夫、僕と同じ組になれるよう、父上に頼んで掛け合ってみるよ。僕の家は大貴族だからね。組を変えて貰うなんて訳ないさ」
「ほんとぉ? お願いねぇ」
私はその一団の脇を通りヘ組の教室に足を運ぶ。
こぢんまりした教室だった。長机が九つ、縦三列、横三列に並んでいる。各長机には二脚椅子が備えられており、座席は指定されていないようだ。教室を見回し、空いている席、一番前は何となく抵抗があるので、窓際の前から二つ目の長机、その通路側に座る。隣の女子生徒に軽く会釈。
「おい、お前たち、予鈴は鳴ったぞ。サッサと教室に入れ」
廊下から教師と思しき声が聞こえる。
キーンコーンカーンコーン―――……
本鈴だ。
「やべっ」
「それじゃ、後で」
複数の駆け出す音が遠ざかっていき、男女二人の生徒が慌てて教室に駆け込んできた。男子生徒は眼鏡を掛けており、彼が“眼鏡クン”なのだろう。彼らは廊下側一番前の長机の席に並んで座った。
続いて黒いローブ姿の男性教師が姿を現すと教室内に緊張が走る。教師は生徒達の顔をゆっくりと見回した後、黒板に『有明 葛』と白墨で書いた。
「一年間、この組を担当する有明葛だ。この組は、闇属性、光属性といった珍しい属性が集められている。問題を起こして私の手を煩わせぬように」
ああ、良かった。この組は落ち零れの集まりという訳ではないらしい。どうやら、組は魔法属性ごとに分かれているみたいだ。
――あ!
私はここで気付く。
この組には光属性の入学生が集められている。ということは、この中に“アンズ”が存在するのだ。
もしかして私、ゲームの主人公のクラスメートに昇格した? いや、……ゲームでは、クラスメートは影も形も登場しなかった筈。それじゃあ、いいとこ背景か……
教室内を見回すが、桃色の髪の女生徒はいない。そりゃそうだ。そんな目立つ髪色の生徒がいたら、教室に入った時点で気付いている。
「ほらそこ、キョロキョロしない。こちらに注目しろ」
「……スミマセン」
叱られてしまった。恥ずかしい。
仕方が無いので、教壇の有明先生へ視線を向ける。先生は二十代後半から三十代前半といったところか。艶やかな紫黒の髪を後ろで一つに纏め、銀縁の眼鏡を掛けている。眼鏡の奥の瞳は理知的で、ともすれば、冷ややか、冷淡な印象を与える。
髪色は異なるけれど、この顔には見覚えがある―――“臨時教師のカズラ先生”、ゲームの攻略対象の一人だ。ちなみにゲームのカズラ先生の髪色は濃い紫である。
でも、一回りも年の差のある教師と生徒が恋愛関係になるってあり得るのだろうか?
ゲームの主人公である“アンズ”は十五歳、恋が成就するのが一年後としても十六歳…………犯ざ…ぃ……まあ、人の趣向はそれぞれだから、深くは問うまい。年の離れた貴族に嫁ぐ娘の恋愛物語も巷には出回っているようだし、『愛があれば年の差なんて!』とも言うしね。
アンズが恋する相手が誰かはまだ分からないのだ。もし、先生が相手であったとしても全力で応援しよう――――――もちろん、私のために。