魔女の秘薬
「ハリソン様なんて大っ嫌い!!!」
ある穏やかな春の夕暮れ時。今日の仕事を終えて自室でうつらうつらとしていたら、外で大きな声を上げて怒鳴っている少女の声が聞こえてきた。
「やれやれ、どうしたんですかアイシャ様」
泣いていたその子はアイシャ様といい、侯爵家のお嬢様にして王太子ハリソン様の婚約者。ゆえにこうして王城の中に出入りすることが出来るので、この婆のところにもよく遊びに来るのです。
「こりゃまた随分と泣きじゃくったようだのう。かわいい顔が台無しじゃないか」
「おばば様ぁ~!!」
「はいはい。婆の部屋で話を聞いてあげるから。おいしいココアでも入れてあげようかね」
アイシャ様を部屋に招きとっておきのココアを差し出すと、彼女はそれを口につけて一息ついたおかげでだいぶ落ち着かれたようで、何があったのかを話し出した。
「殿下に馬鹿にされましたの~」
「今度は何で喧嘩になったのかのう?」
どうやら殿下と喧嘩になったようだが、2人ともまだ10歳。しかるべき教育を受けておられるとはいえ、そこはまだまだ子供。大人が聞けばそんなことでというくらいの些細なことで諍いが起きるのは子供の子供たる所以でしょう。
「殿下はボンキュッボンがお好みなのだそうです~」
「またしょうもないことで……」
話を聞いてみれば今日一日、殿下がどうにも上の空で、彼女の話を全くと言っていいほど聞いていない。
そこでアイシャ様は何があったのかと尋ねたそうだが、なんでも王城内の庭園を散歩していたときに、遠くに会ったことのない妙齢の女性がいたのを見たのだという。
スラっとした手足に、出るところは出て引っ込むところはちゃんと引っ込んでいる。遠くからでもわかるそのスタイルの良さ。
しかも理由は分からないが、何やら憂いを帯びた表情が一段と妖艶さを醸し出していたようで、その姿に王子様が心を奪われたらしく、それで一日中心ここにあらずといった様子だったとか。
「妙齢の女性……ねえ」
「殿下が仰るには、とても素敵な女性だったそうで」
「長子だから年上のお姉さんに憧れるというのもあったのではないか」
「そんな話であればここまで怒りはしません」
彼女が怒っているのは、自身の姿を見て、「君はつるつるぺったんこだもんな」と殿下が嘆息されたかららしい。
「まだ10歳の子にボンキュッボンを求められてもだね……」
「そう思いますよね! ですから私言ったんです。私だって大きくなればあれくらいにはなりますと」
「でも殿下からは、アイシャがボンキュッボンになる保証はどこにもないと言われた。といったところが喧嘩の原因ですかね」
「さすがはおばば様。その通りです。私悔しくて悔しくて」
子供の喧嘩なんてこんなもの。しかし殿下もアイシャ様も、この婚約が国政のために重要なことを理解しているので、つまらない話を身内に聞かせるわけにもいかず、私の所へ愚痴吐きに来るのです。
私も国のために働く身ですから、これも広い意味で国の安泰に役立つと思えば、俸給のうちと割り切って優しく相手をしている。そこまでお人よしではないからの。
「おばば様。それで私考えたんです。殿下を見返してやりたいと」
「それをこの婆に相談するということは、魔法か薬の力が必要ということ。じゃな」
「はい。私をボンキュッボンにしていただきたいのです」
「無理」
「なんで!」
アイシャ様はドレスを仕立てるかの如くオーダーされるが、人体改造は禁忌の術。
出来ないことはないが、例えば本人の意思と関係なく兵士を屈強な肉体に改造して、物言わぬ兵器として活用するなど、悪い使い方を考えれば際限がなくなってしまうから、各国で条約を結んで使用はタブーとしているのだ。
「たとえボンキュッボンであろうと、やったら最後私の首が飛ぶわい」
「おばば様なら追手が来ても撃退して逃げそうですけど」
「アイシャ様はこの国から婆の居場所を奪う気かえ?」
「むぅ~、どうしても無理ですか?」
口を尖らせて不満そうな顔のアイシャ様ですが、ダメなものはダメじゃ。
「だいたい、今のアイシャ様がボンキュッボンになったところで、婆に何かされたとしか考えられないでしょう。つまりは紛い物。殿下のお心をそれで掴めるとは思えんが」
「何かほかに方法はありませんか。殿下をあっと言わせるような」
「うーん、かなり黒寄りのグレーであれば、あることはある」
どうしても殿下にボンキュッボンを見せたいとアイシャ様が執拗に食い下がってくるので、私は仕方ないと棚にしまっておいた薬瓶を1つ取り出してみせる。
「これは?」
「一時的に成長させる薬とでも言えばいいかのう。飲んだ人の身体だけ時間が10年ほど進み、見た目が10年後のそれとなる」
「これ! こういうの! これが欲しかったのよ!」
「ただし成長するのは見た目だけじゃ。知識や技能は成長前と変わらん。あと、成長するといってもその人が本来辿るはずの未来を映し出すものだから、必ずしもボンキュッボンになる保証は無いぞ」
「そこはどうにでも誤魔化せるわ。足りなければ詰めればいいのよ」
薬瓶を手にして目をキラキラ輝かせるアイシャ様を見ていると、詰めたら意味ないじゃろ。とは言いにくいのう。
「それと、この薬も使い方によっては厄介なことになるゆえ、誰にも使ったことを悟られぬように。それがお約束いただけるのであれば、譲ってもよいぞ」
「ありがとう。おばば様に迷惑はかけないわ。さあ殿下、見ていなさい。私だってボンキュッボンになれることを証明して見せるわ!」
うん、だからそこは保証してないぞ。後で文句言わないように……
◆
「おばば様~!!」
「どうしたんですかハリソン殿下」
アイシャ様に秘密の薬を渡してから数日後。今度はハリソン殿下が私の部屋に飛び込んできおった。
「おばば様。俺を屈強なマッチョマンにしてくれ!」
「いきなり何を言うかと思えば……」
殿下の話をまとめると、昨日城内でとても美しいご令嬢を見かけたのだとか。
年のころは20歳前後、殿下が言うところのボンキュッボンの完璧なスタイル。そして鮮やかなブロンドヘアがさらりと風になびく様は、さながら女神のような女性だったとか。
「しかし、どこの家のご令嬢か分からなくてな」
「殿下も全ての貴族家の子女を知っているわけではないでしょうからね」
「それで名前を聞こうと声をかけたのだ。二言三言言葉を交わしただけだが、そのたおやかな仕草と慈しみのある微笑み。まさに女神というにふさわしい女性だった」
ところがその女性、肝心の名前については名乗るほどの者ではないと固辞しその場を去ろうとしたらしい。
「どうしても名前が知りたいと食い下がったんだけど、殿下にはアイシャ様という素敵な婚約者がおりますのに、私などに現を抜かしてはなりません。と言うのだ」
「至極もっともな話ではありませんか」
「だがあの美しさは忘れがたい。だからまた会えるかと尋ねたところ……」
「殿下がもう少し大きくなって何人にも劣らぬ偉丈夫になったら。とでも言われましたか?」
「よう分かったな」
「いや……そこまで聞けば察しが付かぬほうがおかしかろう」
じゃが、人体改造は禁忌の術。
夕食のメニューをオーダーするように気軽な言い方で頼まんでほしい。屈強なマッチョマンなんて、それこそ物言わぬ生体兵器にでもなりたい願望を殿下はお持ちであられるのか。
「殿下にそんなことをしたら、婆が火あぶりの刑になってしまう」
「おばば様なら燃え盛る炎を一瞬で氷漬けに出来そうですけど」
「そんなに婆を謀反人の逃亡者にしたいのかえ?」
「むぅ~、どうしても無理か?」
口を尖らせて不満そうな顔の殿下。こういう仕草が誰かさんとそっくりですが、ダメなものはダメじゃ。
「だいたい、今の殿下が急に筋肉モリモリになったところで、婆に変な薬を飲まされたか魔法で偽装したかとしか思われぬ。つまりは紛い物。ご令嬢のお心をそれで掴めるとは思えんぞ」
「何かほかに方法はないか。彼女を1度でいいから振り向かせてみたい」
「うーん、かなり黒寄りのグレーであれば、あることはある」
なんだか数日前と同じような展開じゃが、殿下もまた執拗に食い下がってきおるから、私は仕方ないと棚にしまっておいた薬瓶を1つ取り出してみせた。
「一時的に成長させる薬とでも言えばいいかのう。飲んだ人の身体だけ時間が10年ほど進み、見た目が10年後のそれとなる」
「10年後の私……筋肉モリモリか!」
「ただし成長するのは身体だけじゃ。知識や技能は成長前と変わらん。あと、成長するといってもその人が本来辿るはずの未来を映し出すものだから、必ずしも筋肉モリモリなる保証は無いぞ」
「万が一の時は服の中に詰め物でもすれば誤魔化せる」
いやもう全く同じ展開ではないか。想像と違った時の対処方法まで一緒。似たもの同士とはよく言ったものだ。
「それと、この薬も使い方によっては厄介なことになるゆえ、誰にも使ったことを悟られぬように。それがお約束いただけるのであれば、譲ってもよいぞ」
「分かっている。おばば様に迷惑はかけん。待ってろ名も知らぬ令嬢、俺の筋肉に見惚れるがいい!」
うん、だからそこは保証してないんじゃよ……
◆
「おばば様ぁ~!!」
「はいはい、何ですかアイシャ様」
殿下にアレを渡してからさらに数日後。再びアイシャ様が私の部屋に飛び込んできました。
前回と違うのは、泣き顔ではなく嬉々とした表情でですが。
「見つけたのです! 理想の殿方を!」
「殿下の婚約者がそんなことを言って良いのかえ?」
あれから何度か、成長薬を使った大人アイシャ様は殿下をからかうべく王城内を散策していた。
そして薬が切れて元の姿に戻ったところで、その日はもう帰ろうとなったそうなのですが、そこで出会ってしまったのです。
涼やかな目が印象的な麗しの貴公子に……
「ただの貴公子ではございません。優男のように見えて、素晴らしい肉体美の持ち主でした」
いや、それ、詰め物かもしれないよ……
「いいえ、あれは絶対に本物です。私の審美眼にかかれば紛い物かどうかなど一目瞭然です」
「ああ、左様で……」
どこのどなたかも分からぬ貴公子。しかしこの機を逃してはならぬと、意を決して声をかけたそうだが、結果は……
「子供に興味はないと?」
「ええ。貴女にはハリソン王子という素晴らしい婚約者がいるだろうと」
子供だから相手にしてくれないのなら、もう一度薬を使って大人の姿になれば……と思ったのだが、肝心の薬を使い切ってしまったそうで、慌てて追加をもらいに来たようです。
「おばば様! 急いで追加のお薬を!」
今ならまだ間に合うかもしれないから、薬を使って大人アイシャで会いに行くと意気込むその様子はさながら薬物中毒者。
いや、中毒症状になるような素材は使ってないけれど、何だか罪悪感に苛まれるわね……
「おばば様! 薬、薬を!」
そんなところへもう1人の薬物中毒者が駆け込んできて、見事に鉢合わせとなってしもうた。
2人はお互いに「何でここに……」とか、「お薬?」と顔を見合わせて呟いておる。
「何でアイシャがここに……? おばば様、そんなことより薬だ。いたのだ、あの令嬢がいたのに、探しているうちに薬が切れてしまった。早く追加の薬を」
「後から参られて割り込みはいけませんわ。私の方が先です!」
「こちらは急ぎなのだ! アイシャなど比べ物にならぬボンキュッボンの令嬢なのだ!」
「それを申すならこちらだって、殿下など足元にも及ばぬ筋骨隆々の貴公子様が待っているんです!」
お互いに言いたいことを言い合ってややすると、2人とも何かに気づいたようだ。
「ボンキュッボンの令嬢?」
「筋骨隆々の貴公子?」
そうだよ。目的の相手は目の前におるぞ。
「もう2人とも気づいておろう。ボンキュッボンの令嬢は10年後のアイシャ様。筋骨隆々の貴公子は10年後のハリソン殿下じゃ」
「あれが……殿下? たしかにあの目の感じは……」
「まさか……アイシャ? 言われてみればあのブロンドの髪は……」
2人ともツイているのう。ヒッヒッヒ……
「おばば様!」
「知っていたのですか!」
「ヒッヒッヒ、婆は全部お見通しじゃて。でも良かったではないか。お互いに理想とする異性が目の前におるとは、僥倖ではないか」
だが、そう話は簡単ではないぞ。
「あの薬で成長した姿は、2人がこの先も道を踏み外さず勉学に鍛錬に励んだ末に得られるもの。自堕落な生活をしたり、他の異性に現を抜かしては決して得られぬぞ」
「それは……」
「つまり……」
2人で手を取り合って切磋琢磨してゆけ。ということじゃよ。
「殿下と……」
「アイシャと……」
「今はまだツルツルペッタンコとヒョロヒョロおチビちゃんじゃが、そんなもんは体を鍛えるなり勉学に励むなり真面目に務めておれば嫌でも付いてくる」
大体2人ともお互いに嫌い合っているわけでもなかろう。
「互いの好みが分かったのだ。お主たちが仲良くしておれば、いずれボンキュッボンと筋肉モリモリに出会えるわい。さっさと仲直りせんか、バカモンが」
「はーい」
「ごめんなさーい」
◆
「この度は大義であった」
「こんなもんで大義と言われるのもどうかと思うがね」
王子殿下とアイシャ様が仲直りしてしばらく後のこと。陛下に内密で呼ばれた私は2人のその後を聞くことになった。
あれ以来、意見がぶつかることもあるけれど、なんだかんだで手を取り合って仲睦まじくしている様子。
薬を使ったことがバレて、2人とも親に大目玉を食らったらしく、しばらく婆の部屋を訪れるのは禁止! となっていたのでその後が気になっていたが、良い方向に向かっているようでなによりじゃ。
「しかし、大目玉はちとかわいそうではないか」
「あれくらいがいい薬だ。俺の小さい頃なんかおばば様にもっと酷いことされたからな」
はて……? 年を取ると昔の記憶があまり思い出せんのう。何かしたであろうか?
「とぼけおって。ひとたび戦場に降り立てば、爆炎と轟雷によって血の雨を降らせると謳われた御方ではないか」
やめてくださいな。虫1匹殺すこともためらうような、か弱い婆でございますのに。
「……それは置いておいて話は変わるが、ハリソンが見たという憂いの美女のことだ」
「どこのどなたか分かったので?」
「いや、あれ以来、姿を見た者はおらぬ」
「左様で」
……そう言いながら陛下は婆の姿をじっと見ておる。
「そう言えば、おばば様も昔はたいそう美人であったな」
「王太后様の影に隠れて目立ちませんでしたけどね」
「ご謙遜を。父が昔よく申しておった。おばば様は若い頃、男たちから声のかからぬ日が無いほどモテておったと」
……絶対に気づいておるの。
「実は若い家臣も何人かその姿を目撃していたそうでな。あの女性は誰だと密かに話題になっているとか」
「あーあー、お察しの通りじゃ。ありゃあ若返り薬を飲んだ50年前、若かりし頃の婆じゃ」
若返り薬も加齢薬も婆の特製じゃ。王子たちに渡した10年くらい時を動かす薬効のものとは別に、とてつもなく出来の良い物が作れたので、試しに自分で使ってみたのじゃ。
「で、なんで憂い顔だったので?」
「まさか50年も若返るとは思ってなくてな。嬉しくてウキウキしておったら忘れていたのだ。ありゃ見た目は若返るが中身は変わらんことをな」
外見はピチピチお肌のうら若き女でも、身体能力は婆のまま。
はしゃぎ過ぎて腰を痛めてしまったんじゃ。憂い顔ではなく、あれは苦悶の表情だったのよ。
「迂闊なことをしましたな。おばば様にはまだまだ働いて頂かねばなりませんのに。お体ご自愛めされよ」
「おやおや、こんな年寄りをまだこき使おうとは、立派な国王にお成りになったことで」
「誰かさんの薫陶よろしくだな」
そんなに厳しく育てた覚えは無いんだがのう……
「はいはい。婆もまだくたばる気はありませんよ。少なくともあの2人が薬で化けた姿が本当になるくらいまでは、この目でしっかりと見届けさせてもらいますよ」
王国の秘中の秘を司る魔女。
祖父の代から数えて3代。さらにはハリソンとアイシャの間に生まれた子まで含めると、4代の王族に仕え、後に大往生を遂げた彼女は、生涯結婚することはなく、係累となる者もいなかった。
しかし、ごく稀に妙齢の女性が彼女の部屋を出入りしたという目撃情報があり、あの女性は誰なのかと噂になることもあったが、魔女は死ぬまでそのことについて明言することは無かったという。
「おばば様~!」
「はいはい王子様も姫様も、慌てずとも婆はここにおりますよ」
お読みいただきありがとうございました。