♯7 北区のアパルトメント
スミレの家であるアパルトメントは帝都の北区にある。
かつて住んでいた貧民街――南区と真逆の位置だ。
家族を失ったあの事件を思い出したくなくて、出来るだけ遠い場所を選んだのが一番の理由だ。
白色とえんじ色で塗られた古いアパルトメント。家賃もそんなに高くない。住んでいる人も大らかな人ばかりだ。
ここを紹介してくれたのが、当時アカツキに勤めていたミズキの祖母だ。
ミズキの祖母は当時の事件を担当してくれており、孤児となったスミレの面倒見てくれた。
白妙家に連れて行ってくれて、アパルトメント代を稼げるようになるまで、スミレはお世話になっていた。ミズキやコデマリとはその時に知り合っている。
白妙家での生活は、今までとはまったく違っていた。
住まいも、食事も、取り巻く環境もだ。スミレは大いに戸惑った。ふかふかしたベッドに横になって、ああ、世の中にはこういう生活もあるんだなと思った。
そして白妙家の人達はみんなスミレに優しかった。笑顔が、声が、その雰囲気が、家族を彷彿とさせて。
――――錯覚してしまいそうになって。
だからスミレは死に物狂いで勉強をしてアカツキに入り、そして白妙家を出た。
「はい、ここが私の家です」
アパルトメントの自分の部屋のドアを開け、スミレはサクラにそう言う。
サクラは中をきょろきょろと見回して「ママのお家」と喜んでいる。
本当に、ママではないのだけど。小さく笑いながら中へ入ると、ふとミズキが入って来ない事に気が付いた。
振り返ると、ちょっと困った顔をしている。
「ミズキさん、どうしました?」
「いや~どうしたの、というか……。さすがにね、入ったらダメだかなぁって……」
「何がダメなんです?」
「うん、良いかいスミレさん? スミレさんは女性です」
「はい」
「で、俺は男性です」
「そうですね」
「独り暮らしの女性の部屋に、入るわけにはいかんでしょ」
だから外で待っているよ、と軽く手を振るミズキ。
「ミズキさんもそういう事を気にするんですね」
「スミレさんが気にしなさすぎだと思うんだよ」
「まぁ、そもそもミズキさん相手ですから」
「俺?」
「一緒に暮らしていたでしょう? 今更ですよ、ハイ、どうぞ」
そう言って促すと、ミズキは指で頬をかいて、中へ入って来た。
普段わりと大胆なくせに、変なところで気にする男である。
そんな事を考えながら、スミレは二人を居間へ案内した。
「本がたくさんです。ママは本が好きですか?」
入って早々に、サクラが部屋をきょろきょろ見回しながらそう言った。
部屋のあちこちに本棚が置かれている。入りきらない本は、床に重なって置かれていた。
たぶんスミレの持ち物の中で一番多いのが本だ。
「そうですね。本を読むの好きですよ」
「戦闘用機械人形パーツ図鑑、よく分かる世界の戦闘用機械人形、自作パーツであなたも操縦士……」
本のタイトルを読み上げるサクラ。チチ、と機械音が聞こえているあたり、たぶん内容を記録しているのだろう。
サクラの言葉を聞いて、ミズキも本棚を見ている。それから「うわ!」と呟いた。
「戦闘用機械人形の本、めちゃめちゃある。というか、だいぶレアなの混ざってる」
「分かりますっ!? あれとか、あれとか! もう古本屋で見つけた時に、超感動しました! ラッキーって!」
「スミレさん、急にテンション切り替わるよね……って、古本屋なんだ?」
「そうです、目を疑いましたね。そして聞いて驚いてください。あれらが一冊、三百雪」
「破格ぅ……!?」
うわー、うわー、と言いながら、ミズキは本棚を食い入るような目で見ていた。
本の趣味は合う――つまり、ミズキもこういう類の本が好きだ。
「良かったら貸しますよ」
「えっ良いの?」
「どうぞどうぞ」
「ありがとう!」
さっきまでの遠慮するような態度はどこへやら。
パッと表情を明るくしたかと思うと、ミズキは本棚に飛びついて行った。
「ええと、ではその間に……サクラさんの部屋を決めましょうか」
「サクラの部屋ですか?」
「はい、部屋ですよ。と言っても空いてる部屋は一個しかないんですが」
そう言いながらスミレは居間の左にある廊下に出る。ここのアパルトメントは古いが広いのだ。
件の部屋は廊下に出て直ぐにある和室だ。
中へ入ると、サクラは興味津々と言った様子でしゃがんで、足元の畳に触れる。
「名称、畳。素材はイ草」
分析しているらしい。手ですり、と畳を撫でている。
スミレがどうだろう、と思いながら見ていると、
「ママ。サクラ、嬉しいです!」
なんて、にっこり笑って見上げて来た。
思わずスミレは胸を押えた。
……どうしよう、これはもう、撃沈されてしまいそう。ママでも良いかもしれない。
そんな風に思い出した。
普段スミレはあまり良いとは思えない感情をぶつけられているので、ここまで素直な好意を向けられるのが新鮮なのだ。
なのでスミレもつられて、
「それは良かった」
とにっこり笑い返したのだった。