♯1 ドブネズミ
「おい、見たか? あのドブネズミが、英雄様付きだってよ」
「へぇー、そりゃまた。どんな手を使ったんだか。色仕掛けって奴?」
「えー? 冗談キツイわよ、あの子、色気の欠片もないじゃない」
茜色に染まる都市国家――帝都クロガネ。
そこに本拠地を置く、治安維持組織アカツキ。
その建物の廊下を歩いている時、山吹スミレの耳にそんな会話が聞こえて来た。
まぁ陰口だ。スミレの姿を見たとたん、わざとらしく声が大きくなる。
ニヤニヤとこちらを見ながら話を続ける三人組を一瞥して、スミレは横を通り過ぎる。
(あらまぁ、何ともお暇な事で……)
同じ組織に所属していて、立場は同等。言い返しても良いけれど、こういう手合いに相手をするだけ無駄なのは理解している。
なのでスミレは無視する事にしたのだが、どうやらそれが気に食わなかったようだ。
その内の一人に腕を掴まれた。
「おい、聞こえてんのか? 優等生さんよ」
「はあ、優等生とは私の事で?」
「真面目に返すんじゃねぇよ。嫌味だよ」
「ならどう返せば良いと?」
「知るか!」
自分達から仕掛けて来たのに、言い返されて怒るのは何なのか。しかも会話になっていない。
スミレはため息を吐くと、掴まれた腕をひょいと振り払う。
「相変わらずクソ生意気だな」
「性分です。あと、別にどう思われたって、ドブネズミには関係ありませんのでね」
「あら自覚あるんじゃない。ねぇ、あんた、どんな手を使ってミズキ様の部下になったの?」
「どんな手と言われても」
「いいから、ホラ、教えなさいよ!」
「そうだそうだ、色仕掛け? 身体を使って取り入ったのか?」
「わあ、下世話……」
彼女達はそんな事をぐいぐい聞いて来る。
スミレがうんざりしながら丸眼鏡を押し上げていると、
「まぁ、身体は身体だねぇ」
なんて声が聞こえて来た。振り返ると話題のミズキ様こと、白妙ミズキの姿がある。
歳はスミレより二つ年上の十九歳。彼はにこりと微笑みながら、短く切りそろえられた白髪を揺らしてやって来ると「やあ」と片手を挙げた。
相変わらず笑顔が絵になる人である。
スミレはそう思いながら敬礼すると、やや遅れて、その場にいた者達も続いた。聞かれてまずいという自覚はあるのだろう、顔色がすこぶる悪い。
「ミズキさん、その言い方だとだいぶ語弊がありますよ」
「そう? 語弊がある言い方をしていたのは、彼らだと思うけれど」
フフ、と笑うミズキ。柔和な外見に騙される者も多いが、中身はなかなか底意地が悪い。
本性を知らない者達から「王子様」だの「理想の上司」だの言っているのを聞くと、スミレは渋い顔になる。
「み、ミズキ様! あの、か、身体って本当なんですか!?」
スミレに絡んでいた一人が、頬を染めながらミズキに向かって聞いた。
相変わらず下世話である。問われたミズキはにこりと笑って「本当だよ」と答えた。
「スミレさんは俺に身体を使って証明してくれたよ。自分は有用であると」
言いながらミズキがスミレの肩を抱く。
スミレは顔色一つ変えず、彼のみぞおちに肘鉄を喰らわせた。
「ぐえっ」
「語弊があると言いました!」
「言われた言われた、ごめぇん」
食らった場所を手で押さえ、ミズキが苦笑する。
そんな二人にやり取りに、三人組がポカンとした顔になる。
「いや、上司に対する態度じゃねぇって」
「放っておくと調子に乗るんですよ」
「英雄が調子に……?」
「乗るでしょう。そもそも乗ってコレですよ」
ハァ、とため息をついて、スミレは自分の肩を指さす。
そうしているとミズキは復活したようで、
「スミレさんはシャイだなぁ」
「シャイじゃなくて乱暴者です」
「自分で言っちゃうところがね、これね、照れ隠しなんだよ。可愛いでしょ?」
「は、はあ……」
楽しそうな様子で言うミズキに、三人組はどう反応したら良いか分からない顔になる。
「ミズキさん、妄想は大概にしましょうね」
「妄想じゃないのにー。ま、いいや。それで、話は戻るけど……」
すげない、と言いながら、ミズキは肩をすくめる。
その時だ。
何の前触れもなく、敵襲を告げる警報鳴り響いた。
「おっと、ちょうど良いタイミングでマスカレードの連中だ」
ミズキはそう言うと、窓の外へ顔を向ける。
帝都の街並みの遥か向こうに、黒色に光る何かが見えた。
人型をした巨大兵器――戦闘用機械人形だ。
あれに乗っているのは、この帝都を襲う最大の脅威――マスカレードという反乱組織だ。
「スミレさん、出られる?」
「いつでも」
「それでこそ俺の部下だ」
にこりと笑ってそう言うと、ミズキは三人組を振り返る。
そして窓の外を指さして、
「アレを三機相手に、ボロッボロになりながらぶっ飛ばして生還したのがスミレさん」
「え?」
「だから俺が部下に選んだ。連れて行っても死ななそうだから。そういう事だ、オーケー?」
淡々と告げるミズキに、三人組は顔を青くしてスミレを見る。そして化け物だみたいな目を向けながら、コクコクと頷いた。
スミレは嫌そうな顔をミズキに向ける。しかし彼は気にした風ではなく「分かって貰えて良かった」と手を合わせ。
「ま、それじゃーさ。行こうか、スミレさん。お仕事だ」
そう言って、歩き出した。
向かう先は格納庫――アカツキが所有する戦闘用機械人形のある場所である。