32世紀くらいまでは水面下で基準となる倫理
21世紀から始まる簡単な倫理基準について語ります。
秩序、というのは倫理の基本だというのはわかってもらえるでしょうか。まだまだ検証不足であることは否めないと思います。大雑把に言ってしまえば、宇宙が存続をするには秩序が低下して、熱的平衡という終焉に向かうか、あるいは秩序を保ってそれを回避するかという選択がありますが、幸いにして太陽系地球では太陽が熱的平衡に達するのを防止するための秩序作りのための力=ネゲントロピーを放散してくれているので、地球上にする生命たちが、それを秩序作りに役立てれば、熱的終焉は防げます。そして、太陽系だけが死を経験しない人にとっては唯一の宇宙です。
話がさらにややこしくなったかもしれません。熱的平衡というのがわからないかもしれません。それは温度が一定ですべてが無方向性に動いていてどんどん冷たくなっていく宇宙のことです。そんなところでは生命がそれを保つことはできなくなっていきます。物理的のみならず、精神的にもそこではすべてが冷たくなっていきます。
私たち人間は生命体の中でも、特に大きな秩序構築維持機能を持った生命体として作られています。もし倫理というのが、生命の永続性への機能を維持することだとするならば、人間としての生きる意味は秩序を構築する力を維持発展させることです。
秩序が失われるのは、不可逆な過程で乱雑さを与えられた時です。逆に秩序が構築されるのは、乱雑さを取り除く活動をしたときになります。系全体としてみた場合に乱雑さが減ることはありませんが、太陽系という単位で見るならば、太陽の乱雑さが増大するのと引き換えにして、太陽系のほかの場所の乱雑さは低下させることができます。
人間は生命を維持することを善としていい生き物です。熱的平衡とは言わば死の世界です。そこに存在させられる生命はなく、精神もそこでは何もかもを忘れ去って冷たくなっています。実際、今の地球は熱的平衡には近い状態にあります。ですから、秩序の構築の大切さが語られねばなりません。
ところがこの秩序にも、外的に見える秩序と内的に存在する秩序があります。簡単に言えば、物理的秩序と精神的秩序です。物理界の出来事を表層事実だとするならば、それを成立させているのは精神界の深層真実です。ここもわかりにくいというよりも納得しがたいところだとは思いますが、今は続けます。
目に見える秩序を大切にするよりも、心の中の秩序を大切にする方が価値が高いです。なぜなら、目に見える秩序が秩序たるゆえんを理解するのは、心の中の秩序だからです。心の中の秩序が発展している者は外的な、表層的な出来事の中に常に秩序を見出すことができます。それは表層の出来事から、深層の真理へと回帰できるため、隠された秩序を見抜いてしまうからです。
内的な秩序が発展した人間はともかく理解力に優れます。外的な秩序を愛する人間は、内的な秩序の存在を無視するか軽視しているので、目に見えた整った姿の為に単純な世界を好む傾向が強く、それは熱的平衡と同じ種類のものです。みんなが同じように考え、みんなが同じように理解し合えずに争い続ける。内面的な秩序構築を怠った場合に生じる世界は、そういう誰も何も理解しない何にも意味を見出せない世界です。実際、そんな世界に地球は近づいています。
秩序と規則は似て非なるものです。秩序には常に流動性がありますが、規則にはそれがなく凍っています。高度な内的秩序を持つ者は何事も理解してしまうために、怒りを感じる機会がほとんどありませんが、理解力のない者は外的な乱れた秩序に苛立ちを覚えます。外的にも内的にも乱れた秩序を結局は呼び寄せてしまいます。
いまこそ、人間は内的秩序の構築に動くべきです。そのための方策として、さまざまな世界解釈の物語を神話として心に持つことが重要です。その神話は理論物理学でもいいのです。宇宙が調和する理論、神々が協働する世界、なんでもいいですが、秩序を失って冷たくなる世界を防ぐには、精神に温かさをともす必要があるのです。
物理的に生きるのに必死にならなくても、精神的に豊かさを求めれば、物理的な豊かさはすぐに追随してきます。足りないと思うから足りないのであって、不足していないと信じてしまえば、必要な時に必要なだけの物資は得られるようにこの世界はできています。精神が先で、物理は後というのはそういう意味でも厳密に成立します。
だいぶ、先走ったことを述べました。検証もほとんどせずに、秩序秩序と叫びました。そして、表層や深層、物理と精神の区別、神話など、なかなかすぐには受け入れがたいテーマを倫理として語りました。今後、この書物を読み続けていくうちに、熱的平衡の恐ろしさは身にしみて感じると思いますが、それを防ぐ手段はあらかじめ用意されていることを明らかにしておく必要がありました。
この書物はきっと後ろから読んでいった方が理解が早いと思います。具体的から抽象的に向かう方が徐々に内面が秩序化されるはずだからです。ただ、最初から内面の秩序化が済んでいる者の中には、この抽象的な表現の方が即効性もあり、すぐにでも行動に出ることができる表現になっています。
人を見る目も、この人は秩序だろうか、乱雑だろうか、と問うことができると、深く付き合うべき人間かどうかがかなり正確にわかってきます。秩序側に属する人間と付き合うことで、秩序側の世界へと精神の軸が置かれるようになります。そういう層に入るのです。ですから、人付き合いの中でも法則としての倫理というのは、常に頭に入れておいた方がいいと思われるのです。
内面の秩序化を進めることが、人間が成長するうえで一番大切なことです。そのために外的な出来事は貪欲に利用していくのが賢い生き方になります。この賢さは倫理的な賢さです。宇宙の法則が倫理をつかさどっているのですから、宇宙のお眼鏡にかなった生き方ができるという意味での善です。
まだまだわかりにくいと思います。勝手な世迷言に聞こえるかもしれません。あるいは極端な視野狭窄を疑う人もいるでしょう。それでもいいのです。この本を読み進めていくにつれて、熱的平衡については実感できるようになっていきます。死を理解できるようになります。
いろんな物語を内面に持っていると、秩序化という部分で戸惑うことが少なくなります。内面の秩序化こそが教養と呼ばれるものであり、一見、お金儲けなどとは一線を画しますが、人生全体で見た場合には、大きな差になる財産を築く力です。