世界は完全に秩序の下に存在している
第13話からのまとめになります。ここまで読んで、意味のはっきりしなかったことは、まとめに「呪文」の形でまとめてあるので、気にしてみてください。おやっと思ったときは、その呪文が書いてある項目をもう一度読んでみると、意味がはっきりしてくるかもしれません。
さて、説明は以上である。ほとんど理解できなかった人が大半で、理解できたとしても受け入れられない人も多いだろう。また、なんとなく言ってることはわかるけど、そういう考え方もあるのね、と流し読みしてしまう人も少なくないはずだ。たぶん、この文章を理解できるとしたら、世界を諦めないで追究している人でしかありえない。そして、追究している人はここに書いてあることを足掛かりにして、さらに正しさの探求に進めると思う。
たとえば、次のように。
正義、悪、努力、信頼、善意というのは、不条理を解釈するうえで最大のものたちだと思う。平坂読さんも上手に列挙してくれた。普通にとらえると不条理そのものだが、これを必然への指針と捉えると様相は逆転する。
「正義なら負けない、悪なら裁かれる、努力なら報われる、信頼なら裏切られない、善意なら悲劇にならない。つまり、負けるなら正義ではないし、裁かれないなら悪ではない。報われないなら努力ではないし、裏切られるのなら信頼ではない。悲劇を招くなら善意ではない」。
このあるべき理想を語る言及を活かすならば、負けたか? 裁かれたか? 報われたか? 裏切られたか? 悲劇にならなかったか? を点検すれば、自分が善であったか、悪だったか、努力は正当だったか、信頼は本物だったか、善意は確かに善意だったか、というチェックができる。
このように概念世界の正しさである形而上学の第1原理(「構造が機能を生むのではない。機能が構造を要求するのだ。」)に到達したなら、冒頭の現実的世界観は概念による理解の光により、単なる現実に過ぎないことがわかる。そのとき、正義も悪も努力も信頼も善意も、そうであって欲しいと望むとおりにあり続けることが実感できるだろう。世界は決して不条理なのではない。単に世界の深層を理解していないからそこに必然が見いだせないだけなのである。
「世界は完全に秩序の下に存在している」
それがわかったとき、そしてその知恵を用いて現実に対処するとき、人生の素晴らしさを体験する。まさに素晴らしいという体験である。こういう哲学の探求の道以外にこの素晴らしさに到達できるのは、現実では深くて永続的な相思相愛だろうと思う。この関連などについてはまたいずれ。
<まとめ>
1:「正しいことはいずれ正しくなるから正しいのです」
2:「裁かれないのであればそれは悪ではないのです」
3:「世界のどこを探したって、悪意を持とうと願う人はいないのです」
4:「正しく努力して報われないのであれば、それは正しくなかったのです」
5:「信じるとは裏切られても信じ続けるから信じるなのです」
6:「無償の信頼こそが人生の感動の源なのです」
7:「善意は持ち続けるだけでこそ価値があるのです」
8:「すべての悲劇の真因は善意が無造作に表現されることにあるのです」
意外と新しい不条理に対する読み方だと思いませんか?
これも文中で出てますが、形而上学の第一原理の応用です。つまり普通に暮らしている因果関係を対偶をとって逆転させただけです。
Structure creates function. 構造が発生させる 機能を
Function builds structure. 機能が構築する 構造を
こう書くと前者が利用者の見ている風景で、後者が設計者や創作者の見ている風景だとわかります。これが人間の立場と神の立場の違いです。そして、祈りとは神に向けてするものですが、前者を旨とする人に祈っても仕方ないこともわかります(構造を持つ人に借りを作ってすがることはできるかもしれませんし、確実かもしれません)。神も願いを抽出するときには、後者の形式で祈られた方が解釈が楽です。
余談でしたが、いずれ独立した一話にすると思います。




