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私が私に何としても伝えたいこと  作者: 深谷玄冬(松木朱夏)
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正しく努力して報われないのであれば、それは正しくなかったのです

正しく努力することの難しさよりも、その努力の目的や過程について、考えることを主眼としています。

【努力】

標語4:「正しく努力して報われないのであれば、それは正しくなかったのです」


 何事も結果を得るのには、完璧に道筋が計算され、完璧にそれが遂行され、降りかかる障害が完全に排除されてもなお、不確定要素が排除できない限り、100%になり得るかどうか自明ではありません。努力はこの現実を認識するところからスタートすべきです。つまり報われる努力を考えた場合に、結果を指標とするのはほぼあり得ないということです。


 では何に向かって努力するのか。努力することそのものが価値があると考えるべきでしょう。つまり努力をする時点で既に価値がある場合においてのみ、正しくその努力は報われるのです。現在進行形で報われているのです。ですから、望んだ結果が出ない場合にも報われるのが努力です。望んだ結果が出なかった場合にも報われたと感じることができるなら、その努力は正しかったと判断すべきでしょう。


 なお、結果が本来の目的のための足掛かりである、つまり過程であると設定されているならば、どんな結果を経由しても目的を見失いません。結果が過程である限り、本当の目的のためには望んだ結果そのものであることに拘泥せずに済みます。また、結果を得た瞬間に努力が止まるのであれば、人生が守りに入ります。この場合の守るとはあきらめと同系列の概念です。あきらめれば試合(意味のある人生)終了です。


 その意味でも努力は報われなくても価値があると思う方法を選ぶべきです。目指すのは結果ではあり得ません。結果というのであれば、結果のさらに先にある目的こそ意識すべきなのです。正しい努力は報われます。報われないのであれば正しくなかったのです。逆にこれを指標とすることによって、自分が人生で何を為すために生まれてきたのかを知ることもできるでしょう。努力が正しく報われた感じる結果が、自然と出てしまうようなことをすることこそが、人生の目的だったのだと言ってもいいでしょう。


 また、主体的に人生の目的を定めた場合は、正しい努力がわかりますし、努力はそれだけで価値があるのを見出すでしょう。どんな結果が出ても報われたと感じますし、そういう努力こそが正しい努力なのです。人生の目的も、努力の目標も、柔軟かつ広範囲に、強く保ち続けることができること、という条件を意識するなら、きっと人生のすばらしさにも触れることができるでしょう。そして、人生の本当の目的が、このすばらしさを味わうことだったのだと実感できることすらあるでしょう。

エジソンは言いました。「私は一万回の失敗をしたのではない。一万通りの成功ではない方法を発見しただけだ」。こう思える人は、努力の価値がわかる人だと思います。努力しようとする向上心を積まれることは、生きていないのと同等になってしまいます。どんな境遇にあっても、雌伏して生き残って努力を続けるのが人間の在り方でしょう。

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