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私が私に何としても伝えたいこと  作者: 深谷玄冬(松木朱夏)
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民主主義時代の自律的生活手法

圧倒的にモブキャラばかりの世界で、自分自身を主人公として生きるコツを書きます。

世界の事象には、事実という初期条件や境界条件と、真実という法則があることはお伝えしました。これを踏まえてのことですが、事実というのは信じた瞬間にそれは本当のことになります。これを裏付けるのは、量子力学の観測理論です。有名なシュレーディンガーの猫はご存じでしょうか。半減期1時間の放射性物質が崩壊すると毒瓶が割れて充満する箱に入れられた猫は、実際に観測するまで死んでいるか生きているかはわかりません。


直観的にはどちらかに決まってると言いたくなるのですが、厳密にこれはどちらとも言えません。観測者がふたを開けてみるまで、猫は死んだ状態と生きている状態の「重ね合わせ」という状態に置かれます。これでは直観的にびっくりしてしまうのですが、最近はアドベンチャーゲームのおかげで世界線という言葉が流行っています。これによると、観測者の方が猫が死んでいる世界線にいるか、猫が生きている世界線にいるかが分離しているという言い方もできます。


世界線という言葉はなかなか便利ですが、要するにあるきっかけとなる事象を軸として世界が分岐するときの分岐した世界のそれぞれを表すのに使います。実は事実というものを理解するのに、この世界線というのを用いるとものすごく簡易になります。


事実は観測されてしまえば信じるしかなくなります。しかし、逆に言えば観測しなければ保留されるのです。世界線が分岐する以前の可能性が豊富な状態にとどまることができます。この可能性が豊富な世界線は重要です。なぜなら自分に都合の悪い事実を見てしまった後では取り返しがつきませんので、自分の都合がいい事実が現れるまで事実が決定してしまうのを防ぐことができるのです。


このとき、どうしても観測してしまうものがあります。己の肉体とその近くで直接観測してしまう出来事です。これは事実として向こうからやってきてしまいますから、逆らっても事実として信じさせられてしまいます。それでももっと高次の業を使うなら、科学無効の術などと言って観測したことすら疑う路線を採用することもできますが、これはちょっと入門としては高度すぎます。


ただでさえやってきてしまう事実が多いのに、自分から都合の悪い事実を見に行くことというのはどうしたものでしょう。自分自身が外交官か何かで、事実を詳細に知ったうえで交渉に当たらねばならないといった場合は、利用できるあらゆる事実(虚構も含めて)から逃げることは万死に値します。それでも事実は本当の事実を厳選する必要があります。外交官など交渉のプロとかではなく、自分がもし一般の民衆であるならば、都合の悪い事実は自分の方にやってこないように、わざとそれに対して盲目になるという選択があります。


盲目になってしまったら、何も判断ができないと思うかもしれません。でも実際にはその方が判断力は向上します。なぜなら、事実の些末さに邪魔されることなく、真実に基づいて判断できるからです。真実に基づいた判断は、最小の事実に基づいて構成される上に、自分の制御できる範囲にあります。事実の加工も真実に基づいてやれば、新たな事実は自分の都合のいいものに変えることができます。


自分に都合のいい事実とは、自分の肉体の手の届くことが素晴らしいと感じられる事実です。事実の集積という意味では、自分の人生のストーリーが納得いくものであることが重要です。


物事は知っている方がいいと単純に信じている人は多いですが、それが事実であるならば、他人の意見によって得られる事実を信じてしまうことほど危険なことはありません。なぜなら、その事実が自分に都合のいいものであるから信じたかったとしても、事実は真実によってしか運営されないので、いずれは真実に基づいた事実と信じたかった事実には齟齬が生じ、その破綻は自らの事実を襲うからです。ストーリーの破綻は当たり前、信じてたはずの事実も嘘だったことに気が付いて呆然とすることになります。


そう考えると、事実に関する知識が地球レベルで手に入る今の時代には、真実だけを学び、事実は慎重に自分でより分けることが重要であることがわかります。真実を学ぶのは抽象的な学問へと向かうことで得られますし、事実をよりわけるには他人の意見には簡単に耳を傾けないことで行えます。相手の意見を聞くのは、相手の意見の中に真実の種があるときだけです。相手の意見に事実を見ても、それは自分の事実とは違うと思ってしまって構いません。それくらい自分の事実には責任を持たないといけません。


より単純な言い方をして、どんな生活をするといいかを述べておきますと、自分の体と感覚を大事にして、自分の目や手に触れる範囲の出来事を責任をもって処理し、自分が直接かかわらない大きな出来事からは事実の関連性を見抜いて、真実の在り方を学ぶ材料にすることです。


たとえば地上のどこかで大規模な戦争が起ころうとしてたとしても、さんざん世間で話題になっている以上、どうしてもそれを耳にする機会は出てきますが、その場合でも戦争が起ころうとしているという事実そのものは受け入れざるを得ないとしても、その進展については自分が知っている真実を応用して、あるべき近い将来の事実を予測し、それが起こったとしても対応できる自分の身の回りの能力や準備を整えておくような生活をするのです。


事実の誘導ということも上級者になるとやります。たとえば戦争のおかげで今の不満な世界が変わることを夢見るならば、そういう変化が来ることを自分の中で事実として根付かせていき、それが現在の自分が持っている事実と重ね合わさるように、真実という法則でつなげることができるかどうかを検討し続けるのです。この場合は、ある程度自己主張という手段を経なくてはならないので、その勇気がない人にはお勧めできないかもしれません。


例えば現在の私のように、もうお金が一番力を持つ時代が終わってほしいと思っているならば、戦争によって経済破綻が起こることを在りうる事実として想定して、そういう時代に自分はどう生活するかを検討してその通りの生活を今から始めてしまうのです。戦時中が当たり前になるならば、サバイバルの知識を身につけて、周囲の人々のお役に立てるような人材になっておけば、簡単に間引かれることから脱出することもできるでしょう。そういう世界線に立つ準備を黙々と推し進めます。


物事には事実と真実があります。真実は動かせません。動かせないからこそ真実なのです。事実の方は観測者によって異なると考えた方がいいです。その事実を観測した世界線と、別の事実を観測した世界線は異なります。ですから、自分が通りたい世界線を意識して生活するのです。


民主主義が多数決主義になって、声が大きい者や多数派の愚かしさがそのまま事実を構成するように見える時代ですが、未来のことは真実を知っている者が一番操縦に長けています。真実を学び、事実に圧倒される人間になるのではなく、自らが事実の中心となるような人物になれるように生きてみましょう。


それが、民主主義時代の本当に自立・自律した生き方だと考えられるのです。

中二病的と言われるかもしれませんが、中二病は病気ではありません。本当に現実を見て、自立した生活をしたいのであれば、地動説に負けたままではいけません。精神的天動説の中心軸たる自分を大切に生きなくてはなりません。

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