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私が私に何としても伝えたいこと  作者: 深谷玄冬(松木朱夏)
10/21

理解力とはつまり高度な秩序で統合された世界観に集約される

秩序論に続いて意味論です。中身は言語ゲームというか先にソシュールが入っているかもしれません。

意味を理解するとは何でしょう。私は内的秩序の高い人ほど、理解力が高いと言いました。その根拠を述べてみたいと思うのです。


意味とは辞書に書いてある言葉の置き換えのことではないでしょう。よく辞書を調べているうちにすでに引いたはずの言葉が説明に使われてしまって、最初の意味が明確にならないことがあります。例えば、「砂糖」という語を調べようと思ったら、「白くて甘いもの」と出てきたとして、では「甘い」とは何だろうとひいてみると「砂糖をなめたときの味」となって、結局堂々巡りすることがあります。


これはなぜなら、辞書的に最初に意味があってそれを解説するために言葉があるのではなくて、辞書という一つの体系の中から切り出してきた意味が、その言葉の使い方としての意味だからです。つまり、辞書という一つの世界観があってこそ、一つ一つの語の意味は定義できる、定義できるが世界観自体の外へは出られない、ということです。


さて日常にこの例を当てはめてみたときに、理解するということがどういうことなのかが明らかになります。理解するというのは、わかるということです。わかるとは分析できることです。分析して何がわかるかといえば、世界観の中でのその事象の位置づけがわかるということです。


犬の世界は匂いが中心に構成されていますから、犬の言葉は匂いが中心の体系でしょう。だから、犬が賢くなって言葉をしゃべるようになったとしても、人間は彼の言う意味を自分の持つ匂いの感覚の創造の範囲を出て理解することはできません。もっと言えば、まだ匂いというのが共通しているから、理解し合う土壌がありますが、犬にしかない感覚の言葉を使われたら全く理解できるわけがありません。


これと同じことが人間社会でも通常行われています。人間はだいたい共通して、感覚器の位置も感度も似たような肉体を持っていますから、その世界観は似通ってきます。だから、意味の通じる言葉を使うことができます。でも、単なる素人と職人さんでは、言葉の意味の理解度は違います。これは言葉に限らず、事象そのものの理解度にすべて世界観がかかわってくるということです。


人の話をよく聞く人は、自分の世界観のみならず、他人の世界観にも十分興味を持てる人です。世界観が理解度にかかわっていることまで理解している人は少ないですが、それを理解している人ならば、自分だけの感覚で得た世界観がいかに狭く、ほかの人の世界観と結合していくことでどんどん総合的に大きな世界観が出来上がっていくことを知って、話を聞いたり読んだりするのが楽しくなります。


当然、理解力というのは、世界観の大きさや多様性に影響されますので、普段から自分を主張することの多い人間と、人の話の本質を見抜こうと努力している人の理解力には、差が大きく出てきます。新しい世界観が正しいわけでも古い世界観が間違っているわけでもなく、その逆もまた正しいです。科学は新しいから説明力がありますが、同時にギリシア神話ならではで説明できることもたくさんあります。温故知新という言葉が世界観にも当てはまります。


つまり、問題は、世界観をただ羅列できるだけでは理解力は上昇しないということです。よく「人の考えはそれぞれだね」とかいう人の中には、別々の世界観という理解はあるのかもしれませんが、それを矛盾なく統合して、さらに大きなスケールの世界観に育て上げる努力はしなくなります。それだと理解力は、もともと自分が持ってる世界観をほとんど一歩も外に出ることはありません。


世界観は特殊な体験をして、それをそれまでの世界観と矛盾なく統合できるようになった時にも広がりますし、経験値の高いベテランの職人がすごいのはそういう統合する能力が高いことに集約されます。学んでも考えなければ経験は身につかないし、考えても学ばなければその経験の妥当性を検証することはできません。学んで考えなければ啓蒙されないし、考えても学ばなければそれは危うい世界観に過ぎません。


こうして考えてきてみると、理解力とは世界観の統合性、つまりは秩序の高い世界観をどれだけ持っているかに密接にかかわるということが理解できる人には理解できるはずです。ここで使った言葉も、言葉の意味が難しいことは一つも言ってないはずですが、何を言ってるかさっぱりわからないという人は、おそらく世界観という言葉がぴんと来てない人だと思われます。私は大丈夫でしょうか。たぶん、私ならば大丈夫だとは思います。


人の話をよく聞く人の方が、自分の意見を主張することがうまい人よりも、世界とうまく付き合っていけるのは、そういう理由です。今の世界では自分の意見を主張することの大事さばかりが取り上げられますが、そのせいで、一人一人の世界観が似通ったものとなってしまって個性がなく、これでは環境の変化には追随できずに、淘汰されていくはずです。


世界観が単純であるというのは秩序が低い状態で、秩序を高める努力をしなければ、どんどんその世界観で固まっていきます。そして、同じ世界観を持つ人としか交流ができなくなり、つまりはそれぞれが理解し合うことができなくなった世界で、競争や戦争が頻発して、そのあおりでいつか死んでいくのです。


秩序を高く維持している世界観を持っていれば、そういうエントロピーによる淘汰からは自由になります。これは物理学では証明できない生物学なので、今後そういうことが起こったときにはじめて、そういうことだったのかとわかる人もいると思います。


ともかく、人間は世界観を豊かにするためにこそ生きています。それが内的秩序を高めるということであり、物事に対する理解力を上げることです。理解なくして平和も快適もありません。理解できない人を排撃できているうちは平和で快適かもしれませんが、必ず、高度に秩序化された理解力の前に敗北を喫することになります。


もうすぐそんな審判が下される。なんて言ったら、笑いますかね。私はそういう様子をちゃんと見てきましたか。

孔子の言葉が解説されているのに気付いた私は上出来です。世界観が全てです。形而上学とは、最上階に位置する世界観だと思えば間違いないです。すそ野は広がって、どんな世界観でも統合できるようになってしまいます。これについてもまた書きます。

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