お望みの夢、お売りします
スプラッタ、怪談をキーワードにしたものの、ほんわかホラーっぽいだけで、怖くもなんともないと思いますが……
カラン
ドアベルが鳴る。ためらいがちにドアが開く。
暗い表情のサラリーマンらしき男が、地図を片手に顔を覗かせた。
「ようこそ、夢屋へ。そんな所に突っ立ってないで、こちらへどうぞ……」
静かだが軽やかな、少年のような声が奥へと導く。
店内は、天井から壁を包む広く長く柔らかそうな暗い色合いの布地がパーティションとして張り巡らされており、声のした場所は、玄関から見通すことはできなかった。
室内の雰囲気に呑まれているのか、彼は困惑を顔に浮かべながらも、声に導かれるまま店の奥へ進む。
先ほどの声の主なのか、いかにも占い師然とした風体の少年が慣れた様子で机を挟んだ向かいの椅子を勧め、客がぎこちない動作で座るのを待っていた。
「さて。どのような夢をお望みですか? それとも、占いがお望みですか?」
「こちらの先生から紹介されて来たのですが……」
か細い、疲れきったような声と共に、おずおずと名刺が差し出された。
名刺には、そこそこ有名な大学病院の心療内科の医師だという肩書きのついた人物の名前があった。
少年はそれを覗きこみ、名刺を確認すると、人懐こい笑みを浮かべ、嬉しそうに頷いた。
「はい、伺ってます。連日ひどい悪夢を見て寝付けない、という方ですね。あのセンセーはお得意さんでしてね。くれぐれも宜しく頼むと言われてます。こう、大船に乗った気持ちで、どーんとお任せください」
どうやら、この少年が訪ねるべき相手……ここの店主で間違いないようだ。
ここを紹介してくれた医師からも若い店主と聞かされてはいたが、どう見てもアルバイトの高校生にしか見えない。任せろと言われても、彼としては戸惑うばかりだ。
本当に、この少年を頼っていいのだろうか?
やたらに明るく軽い応対も、余計に不安感を掻き立てられるだけで、心もとなかった。
「あの、ここはいったい、何の店なんですか?」
医師からは、「それならこの店を紹介しましょう。きっとあなたの力になると思いますよ」と言われ、店舗の地図を渡されただけだ。分かっているのは<夢屋>という屋号のみ。
店舗の内装からは、妖しげな占いの館然としたイメージ以外は思い付かなかった。
「表の看板に、<お望みの夢をお売りします>と書いてありましたが……」
「あぁ。よく言われます。一応、安眠グッズの販売がメインですよ。その一環で、好きな夢を見るためのお手伝いもしてるんで……」
少年は陽気に笑った。
その軽いしゃべり方に、更に不安が掻き立てられる。
安眠グッズ……?
本当にここを紹介されたのだろうか。本当にここで自分の悩みが解消するのだろうか。
そして、この少年に相談してよいのだろうか。
そんな気持ちの機微を汲んだのか、少年は、少しだけ笑みを控え、声のトーンを落とした。
「それで、どんな夢を見るのですか? あなたの主治医が、僕を紹介した、ということは、状況はかなり深刻な段階だと考えます。あなたさえよろしければ、できる限り詳しく話していただけませんか」
彼の目を覗き込んだ少年の笑顔からは、軽い若い頼りなさは鳴りを潜め、真摯さと頼もしさが感じられた。
「鮮明に記憶しているわけではありませんが……」
そう前置きして、彼は、毎夜悩まされている悪夢の断片を語った。
「で、あなたの主治医は僕を紹介した、というわけですね。」
少年は、彼をじっと見つめ、その話を静かに聞いていた。
そして、おもむろにテーブルの下から、小振りのガラス瓶がぎっしり詰まったトレイを出し、にこりと笑った。
「では手始めに、こちらの香料を嗅いでいただいて、その中から何か手だてを探すとしましょうか」
彼は、がっかりした。
ただのアロマテラピーとそのカウンセリングではないか。これでは主治医の問診と変わらない。ここに何かがあるのだと思ったのに、何もないのか。
少年は、彼の気持ちも意に介さず、にこにこと上機嫌にガラス瓶を開けて、この匂いはどうですか、とばかりに香りを振り撒いている。
ちらりと、視界の隅に影が踊ったように感じた。
室内はカーテンの深い紫で覆われていて、お世辞にも広いとは言えない。
ここには少年と彼しか居ない。微かであれ抱いた期待が無かったことにされたのだという落胆と、連日の寝不足・不眠による疲労は、もはやピークに達していたのだろう。
「……申し訳ないが、カウンセリングなら、もう間に合っている。これで帰らせてもらう……」
疲れきった顔で、彼はやっとそれだけを絞り出すように伝えた。
黙って席を立ち、何を言われても振り返らず、そのままこの店を出る。そうも考えたが、それでも微かに、微かに残った最後の糸だからと、すがりたい気持ちと、ここまで聞いてもらっているのに、と思う生真面目さが、彼にそれを許さなかった。
「ホンボシはあぶり出せました。ご相談への対応策が決まりましたので、ご安心くださいぃ」
少年は、陽気に笑った。
もう、どうとでもしてくれ……
本当は、主治医にも見放されていたのかもしれない。それを俺は、そんな風に考えもせず、こんな店にまで来て……
もう、少年が店長だろうとアルバイトだろうと、どうでも良かった。心のなかでは7割方、引き留められてもこのまま帰ろう、と決意していた。
「……んーと、あのですね、実は、奥の手がありまして。あなたの件では、それが有効だと判明したわけです。」
少年は、またにこりと笑った。
「ちょっと特殊な方法なので、割高になりますけど、興味ありますかぁ」
そして、声を潜め、「これは、僕にしかできません」とささやいた。
胡散臭そうな表情をしているのは自覚していたが、彼は敢えて隠そうともせず、「それは、どんなこと?」と応じてみる。
「あなたの様な場合には、効き目抜群です。所要時間は……そうですね、あなた次第」
胡散臭い。
少年は、更に険しい表情になった彼をものともせず、今まで以上ににこやかに言葉を続けた。
「あなたの夢の元は、一部の記憶です。そこにアプローチしよう、ということです」
「き、記憶?」
「はい。記憶です。」
催眠術か何かだろうか?
「危険は?」
「皆無とは言いませんが……。まぁ、回復に時間が掛かるくらい?」
「……効くと言ったね……」
「はい。」
少年は、じっと彼の目を覗き込んだ。「……では、この方法をお試しになる?」
ごくり、と喉が動いた。彼が無意識に唾を飲み込んだ。
胡散臭い。だが、これが本当なら、自分を苦しめてきた悪夢から解放される。
彼は、数秒、少年の胡散臭さと自分のこれまでの苦痛を天秤にかけた。もう、ここまで来て、何を迷うのだ。
「……あ、ああ。よろしく頼む」
彼は、絞り出すようにそう告げた。
少年は、テーブルに置いたままのガラスの小瓶のトレイから数本選び出し、開封すると、手のひらに数滴垂らした。
じっとその様子を見ていると、じわり、と煙とも水蒸気とも見える何かが、少年の手のひらからドライアイスの煙のように広がって行った。
数種類の香りが混ざり、頭がくらくらするような匂いになって行った。
「では、これより、悪夢の元の記憶を切除しまぁす。」
「切、除……?」
匂いで思考が朦朧としてきているが、今の言葉にはもの申したい。
「何を……?」
「記憶の一部を、取り除きますぅ。ばっさりと。」
そう。確かに、少年は言ったではないか。<記憶にアプローチする>と。
その手法を、勝手に催眠術か何かだと思い込んだのは自分だが、外科手術のように、記憶を取り除きます、と言われても、すんなり受け入れられるわけではない。
頼む。そう言ったが、早くも後悔した。
「そんな事できるわけないじゃないか。もっと、現実的なことを言ってくれ。夢じゃあるまいし……」
「……では……」
少年が呟いた。軽い話し方はなりを潜め、人が変わったかのような、低い声と大人びた視線を彼に向ける。
「……では、あなたは、これが夢ではないと仰るんですね?」
ずい、と顔が近づく。彼の目を、じっと覗きこむ。
「今、この瞬間が、間違いなく現実だと、……そう、仰るんですね?」
「き、君……」
少年の急激な変貌に、ぼんやりした頭のまま彼は狼狽え、椅子から腰が浮いた。
その瞬間を待っていたかのように、少年は、にこりと笑った。
「……イヤですよぉ。これは、夢じゃあありませんかぁ」
にこにこと、元の明るく軽い口調で、少年は笑う。
何なのだ? ここを訪れたことは、現実ではないと、言っているのか?
彼の思考はくらくらと眩暈を起こし、動揺と共に、現実感を失っていく。
ふっ、と照明が落ちた。
薄暗い中、少年の口許だけが、うっすらと明るく、浮かんで見える。
「これこそが、夢ですよ」
にこり、と少年が笑う。
目を反らすようにテーブルに視線を移すと、テーブルクロスの皺の間に、顔があった。
ゆっくりと、正面を向き、彼の顔を真っ直ぐ見つめるもの。
横顔。
輪郭からゆっくりと細部にピントが合うごとく、形を成していくもの。
それらは最初からひとつだったかのように、少年の顔になった。
目が合った。……それは、にやりと嗤った。
声にならない悲鳴が上がる。
「じゃ、遠慮なく、いただきまぁす」
その声は、耳元ではっきり聞こえた。……それが、最後に耳にした声。
少年は、彼のすぐ隣に立っていた。
横にいるのに、口許が見えた。
大きな口が、見えた。顔が、異常に大きい。
ばくり、と音を立てて、少年の口が開いた。顔中が口のような大きな口が。……それが、最後に目にした姿。
そして。
……口が、彼の頭から覆い被さり、咀嚼される感触が、彼の意識に届いていた。
カラン。
軽い音が、ドアならぬ床に響いた。
頭から丸かじりにされた彼の、骨や皮や身に付けていたあらゆるものが、繊維の一本、砕けた欠片として、少年だった大きな口から器用に吐き出された。
軽い音を響かせて落下し、床に降り積もって行く。
<彼>であったパーツをすべて吐き出すと、少年の顔は元の人のものに戻った。
少年は、店内……カーテンでパーテーションされた狭い空間を見回した。
「あぁ、いたいた。」
彼の座っていたあたりのカーテンのドレープの影に、黒い靄のような塊を見つけた。
「逃げられると思うなよ?」
逃げられる前にと、ひょい、と黒い靄を鷲掴みにし、他には同様のモノはいないかと、室内を見回す。
少年の足元には、塵のような<彼>の残骸が山になっていた。
「あれ? 何で戻ってないかなぁ」
片手に黒い靄をつかんだまま、<彼>の残骸を覗きこむ。
「もしもーし。悪夢の原因は取り除きましたよー。元に戻ってくださーい」
<彼>は、ぴくりともしない。
「おっかしいなぁ」
と、呟いた時、こほん、と小さな咳をした。
「あー。ひっかかってたか……」
ごほごほと咳き込むと、ぺっと小さな物を吐き出した。
それは、小さな骨の欠片だった。
彼は、すべてを体験していた。
自らの体が、飲み込まれ、噛み砕かれ、吐き出され、床に降り積もるのを。
最後のひと欠片……どうやら足の指の一番小さな骨だったようだが……それが吐き出されると、ひとつに戻ろうと足掻いた。
「ああ、慌てない、慌てない。」
うぞうぞと集まっていく<彼>に、少年はにこにこと声をかける。その手には、黒い靄のようなものが、いつのまにか3つ、4つ。
「いいですかぁ、ゆっくり、ゆっくりでいいですよぉ。自分の姿をしっかり思い出して、ちゃんと組み上げないと、福笑いみたいになっちゃいますよー」
少年の声が、遠くから降り注ぐ。
「そしたら、もう一度、僕が食べなきゃいけなくなるんで、大変なんですよぉ。」
そう言いながら、少年は再び大きな口を開け、ばくん、と黒い靄をすべて飲み込み、満足そうに、元の人の姿に戻った。
……彼に現実感はない。
映りの悪いモニター画面越しに見た別室の、小さなスクリーンに投影された映画でも見ているようだった。
彼の周囲に渦が立ち上がり、少しずつ、少しずつ、塵が欠片になり、骨に姿を変え、肉を纏い、ゆっくりと、元のあるべき姿に戻っていこうとしていた。
彼の隣で、少年が椅子に座って、その様子を見守っていた。
「……そうですねぇ、入浴剤なんかがよろしいんじゃないかと……。大丈夫。きっと、いい夢が見られますよ……」
少年が笑いかけた。
彼は、ぼんやりとしたまま、少年の正面に座っている。
差し出された品物を受け取り、疲れたように頷くと、指し示されるまま立ち上がり、パーテーションのカーテン地に足を取られつつ、ふらふらとドアへと向かった。そして、振り返る事なく店を出て行った。
リリリリリーンと懐かしい黒電話の音が、足元で鳴り響いた。取り上げたコードレスの受話器から、知った声が流れてくる。
”よう。今、帰ったようだな”
少年より年嵩の男の声。
「翔ちゃん。……やだなぁ、どっかから見てたの?」
”まあ……何だ。お前んとこを紹介した手前、気になってな。”
<彼>を紹介した”先生”だった。
”ところで、本当に大丈夫なのか、悪夢はともかく、記憶喰っちまって……。障害とか、出ないだろうな?”
声には、心底心配そうな気配があった。
「信用ないなぁ。大丈夫、僕はこれでも夢喰いのバクだぜ。プロよ、プロ」
”腹壊しそうな悪夢専門のくせして、威張るな。……悪食めが”
「酷いなー。せめてグルメって言ってよ」
少年は、おいしく頂きました、と告げ、電話を切った。
思い出したように、玄関のドアに下げた<夢屋>のプレートをはずす。今回は、これで役目を終えたのだ。
プレートをぽい、と室内に放り投げた。
「……これにて閉店……」
ドアを閉める。
少年は、満足そうに、「ごちそうさまぁ」と呟いた。
END