第四話 解き放たれた力
光、光、光。それだけが渦を成して流れていく中を、近衛は遡行していく。
己の身体の輪郭さえあやふやな中、身体の魔力だけがはっきりと、近衛を渦の先に引っ張っていた。
その永劫とも思える時の中、不意に光が輝きを増す。
その眩さに目を瞑った次の瞬間。
「……ここが」
近衛の足に硬い床を踏む感触が伝わる。
そこは漆喰壁の部屋。学校の教室ほどの広さに、床に描かれた魔方陣と巨大な扉だけがある。
状況の理解には誰の説明もいらなかった。ただ魔方陣に焼き付いた力、それに惹かれる己の肉体が、ここが神の言う『異世界』あることを何よりも雄弁に語っていた。
近衛は先ほどまで味わっていた不思議な感覚を振り払うように、背筋を伸ばして息を吐くと周囲を観察し始める。
視界から判断するに、ここは何らかの施設の中だ。早く外に出るべきだろう。
そう結論付けて扉の方へ進もうとした時、蹴破られたかのような勢いで扉が開いた。
「ようこそおいでくださいました‼」
それと同時に大量の人間がなだれ込み、近衛を取り囲む。
近衛は即座に拳打を放てる姿勢を取りながらも、両の眼を動かして状況を理解しようとしていた。
……取り囲んでいる人数はざっと20人と言ったところか。老人もいれば、自分より年下であろう少女もいる。そしてそれらは皆一律に、地球で言う「ローブ」のような服を身に着けている。年齢層は違えど全員が同じ衣服である事を考えると、彼らは何らかのグループに所属するものなのだろうか。
などと思考する近衛の前に、老人が一人進み出て傅く。
「お待ちしておりました英雄殿! 王がお待ちしております、さあこちらに!」
「……?」
英雄、という単語は自分に向けられたものなのか。
戸惑う近衛を余所に、老人は近衛の手を掴んで部屋の外へ引っ張っていこうとする。普段こんな真似をされれば即座に抵抗するが、この世界の勝手がわからない以上、安易な戦いは避けるべきだ。
近衛は構えを解き、老人の手だけは振り解く。
「自分で歩ける。案内してくれ」
「はっ、こ、これは失礼を! ではご案内させていただきます」
老人の先導に従い、少しカビ臭い通路を歩く。
その後ろを取り巻きの人間がぞろぞろと着いてきた。近衛が振り向いてみると、皆満面の笑みでこちらを見つめてきている。
何とも気味が悪い表情……まるで悪魔に捧げる山羊でも見るかのような目つきだ。
通路の奥の扉が開かれると、そこは近世の宮殿を彷彿とさせる大広間であった。
広大な部屋に幾何学的に配置された硝子窓と意匠の壁。未知の絵画が描かれた天井。吊り下がるシャンデリア。白い石の床。
通路の質素さとは打って変わって豪華絢爛な様に、近衛は息を呑む。
「謁見の間はこちらです。さあ」
老人の促しに従い、近衛は長い階段を上り、さらに通路を進む。
そして、一つの大きい扉の前で老人は立ち止った。
「こちらでございます」
謁見室はこれまた優美さに満ちた広い空間だった。床や天井、壁は広間とさして変わらぬデザインだが窓がない。
代わりに存在を主張しているのは、台の上にある玉座とそこに座る初老の男。
そうして近衛が無言で部屋を観察する内に、後ろに続いていたローブの集団は赤絨毯に沿って並び、一様に跪く。
それを見た玉座に座す金髪の男は満足そうに頷くと、金のマントを靡かせ立ち上がった。
「英雄よ。よくぞ我がロンシアへ来た。我が名はレオナール・ロンシアス。ロンシア王国十代目国王である。そなたの名を聞かせてもらえるか?」
「近衛。近衛春人だ」
髭面に微笑を浮かべる国王に対し、近衛はあくまで無表情。聞き慣れぬ単語を脳内で精査。自分の置かれている状況を測るべく、質問を繰り出す。
「お聞きしてもいいかい、王様」
「どうした英雄よ」
「あんたの言う『英雄』って言葉の意味が分からねえとか色々言いたいことはあるが、そもそもここはどこだ?」
「……む? うむ、そうか。説明せねばなるまいな」
王は、一つ咳をして間を置いた。
「そなたの疑問は存じておる。それに答えるにはまず、この世界の情勢を説明せねばなるまい……おい」
王が首を動かして周りの者に指図する。すると、列をなしていた者の内の二人が近衛の前に進み出て、その両手から光を発する。その光は長方形状に固まり、一つの地図を現出させた。
地図に描かれるのは、五つの大陸だった。中央の小さな大陸と、その周囲の四つの大陸。
その配置を例えるならば花弁だ。まるで誰かが作りものであるかのように、均等に国土が与えられている。
そして近衛はその地図を創り出した技術に、強い既視感を感じていた。目の前でさり気なく行われたのは、間違いなく魔力によるものだ。その証拠に近衛の四肢は今、痛いほどに目の前の光に反応していた。
その静かな興奮は誰にも気づかれぬまま、王の説明は始まる。
「この世界は五つの大陸、そしてそれを治める四つの国家によって構成されておる。
我らが東国・ロンシア。
対極にある西国・ケケルナ。
北国・メテリア。
南国・ガリオ。
そして未統治区画である中央大陸だ。
我ら四国は、長きに渡りこの資源豊富な中央大陸を賭けて戦争を繰り返してきた。これが早期に終結すればよかったのだが、そうはいかなかった。膠着した戦いは国力を衰退させ、そうなればより一層中央大陸の価値は高まり戦争が激化する悪循環に陥っていった……そんな我らをお救いなさったのが、神だ。
神は異世界の戦士……即ち『英雄』をそれぞれの国にもたらし、戦いを彼らに委ねるよう我々に告げたのだ」
「は?」
「それが『英雄戦争』だ。戦争が血で血を洗う凄惨なものから、異世界の者たちを用いた競技となる。それにより国家間、ひいては他国民同士の憎しみもなくなり、資源も戦勝国による分配で世界に行き渡り、平和になった。そして今でもそれは続けられ、英雄戦争の勝敗を以て先1十年間の中央大陸の資源を握る国を決めるのだ。その英雄として選ばれたのがそなたなのだよ!」
王が近衛を指差し声高に叫んで、期待の眼差しを向ける。
だが近衛はあくまで冷静だ。与えられた情報はすでに脳内で整理され、自分の置かれている状況を割り出していた。
……要はこの国の利権獲得の為、代理戦争の道具になれというわけだ。
「話は大体分かった。んで、ここはどこだ」
「ここはロンシア王国の中枢、ロンシア城だ」
「そうか、もう一つ聞きたいことがあるんだ」
「なんだ? 申してみるがよい」
「十六夜輪廻という名に聞き覚えはないか」
「いざよい、りんね……? 人名か? 聞いたことはないな。おい、記憶にある者がいれば申してみよ」
王の言葉に、二十代くらいの女が一人だけ手を挙げた。
「その名の者を知っているわけではありませんが、その名前に近い形式のものは知っております。確か、ガリオの幾つかの一族にのみ見られるものだったかと」
ガリオ。南の国だったか、目の前に示された光の地図を見ると割と近い。
「そうか、ありがとう。で、ガリオへ渡る手段はあるのか?」
「原則、英雄はみだりに他国へ渡ってはならぬという規則がありますので、近衛様自らが今すぐ行かれるのは困難かと」
「規則? その規則を定めているのはどこのどいつだ?」
「中央大陸管理会です。神の息吹を受けた者たちによって構成され、英雄戦争の管理運営を行います」
「なるほどな……一般人であれば問題なく通れるのか?」
「はい、あくまで英雄に限った話ですので。海路もしくは中央大陸経由の陸路、どちらでも可能です」
「わかった。詳しく話してくれてありがとう。んじゃ失礼」
近衛は背を向け、迷いなく扉に向かった。
「待て近衛殿、どこへ行かれるつもりだ?」
「それをあんたに説明する義理はないね。だって俺は英雄戦争とやらに参加する気なんて無いんだからな」
「……なんと?」
近衛の腹はすでに決まっていた。
神はこの世界には『自分の力を活かす道』があると俺に説いた。奴らの言う力を活かす道とはこの戦争に参加する事だったのだろう。確かに異世界の戦士とやらが集う戦場ならば、躊躇なく力を振るうことができるのかもしれない。
だが今の近衛には戦う理由がない。
そもそもこの国王の言い分は傲慢に満ちている。自らの都合しか頭の中にはなく、異世界から来た者への敬意というものが皆無だ。この国の為に命を賭してくれる都合のいい奴隷としか認識していないのだろう。そんな奴らの為に拳を振るうつもりは無かった。
「『国の為に戦え』だと? んなふざけた頼み誰が聞くかよ。利権争いか何だか知らないが、そんなに勝ちたいならてめえらが戦えばいいだろうが」
「なっ……」
どよめく部屋。狼狽える王。
近衛からすれば彼らの反応の方が意外だった。この世界に来る英雄という輩は皆、この身勝手な頼みを快諾するおめでたい連中だったのだろうか。
「……そなたは、神よりこの国の未来を背負う大任を託されたのだぞ? それを拒むというのか?」
「ああはいはい、もうそういうのいいから」
ここから出ていこうと扉に手をかける近衛。
「そうか、では仕方あるまい」
王は指を鳴らす。それが合図だった。
整列していたローブの臣下たちは即座に動き、近衛を中心に半円の陣形を組む。
「‼」
「その者を拘束せよ‼」
臣下たちの指輪が光り、それと同時に両手に光が迸る。それは勢いを増して電撃となって近衛に放たれた。
「ぐおおおおおおおおおおおおッ⁉」
電流が纏わりつき、近衛を包み込む。
未知の衝撃と痛み。その場で倒れ伏してしまいたくなるほどの苦痛と光の中、近衛は確かに感じていた。自分の中にある魔力が暴れたがっているのを。
(そうだ……そうだったよなぁ‼︎)
地球では散々抑え込んできたこの力、今ここで本気で振るう事に何の躊躇いもない。
四肢に青の紋章が宿る。
「くあッッッ‼」
拘束を引き裂くように両手を振り回し、叫ぶ。それだけで電撃の檻は散った。
その不可解かつ破天荒な様に、一同は驚愕し、硬直する。
近衛はその様子を一瞥してニヤリと笑う。
そして扉の隣にある壁の前に立つと、そのまま腰を落として身体を捻り、構えを作った。
「よお王様、よく見とけよ」
そして聡明な臣下たちは、その頃になって察した。近衛の右手に、自分たちの術とは比べ物にならない程の魔力が蓄積されていることに。
未だその危機に気付かぬ王の命令を待つ暇はなかった。再び両手に電撃を練る。
「これが俺の————————」
しかし、間に合わない。
近衛は身体の捩じりを解除すると共に一歩踏み出す。貯められた力が骨を通して拳に集約される。
「鬼門遁甲だああああああああああああああああああああああああッ‼」
雄叫びと共に、壁に一発の拳撃。
圧倒的衝撃に空気が千切れる音が鳴り響き、壁に亀裂が走る。その痕を青い光が埋め尽くし、燐光が溢れ出す。
それが破壊の合図だった。
爆音と共に壁は砕け散り、その場の全員が余波を浴びて吹き飛んだ。
振動と砂煙が止んだのは十秒後。ようやく静寂が訪れた謁見の間で、唯一人立つ者がいた。
勿論、近衛春人である。
「……へへ、結構やれんだな俺」
砂煙塗れの服を払い、振り返って自分の破壊の痕を確かめる。
先程までは優美なる謁見の間であったが、今はシャンデリアが落ち、壁と天井の至る所にひびが入っていた。もう一撃叩きこんだなら完全に破壊できるだろう。
先程まで近衛を取り囲んでいた臣下たちは、箒で掃かれた埃のように、まとめて部屋の隅で気絶していた。
あの様子なら放置しても害はないだろう、と結論付け、近衛は拳をぶつけた方に向き直る。
放った一撃は壁の向こう側、通路にまで到達していたようだ。そこにあったはずの空間はまるで抉り取られたように消失し、部屋には風と陽の光が差し込んでいた。
「さあて、いけるかな……?」
淵まで寄ってみると、眼下には森が広がっていた。そしてその遥か先には建造物群。地表までの距離は……概ね五十メートル。
再び全身に魔力をみなぎらせると、何の迷いもなく床を蹴って身体を宙に投げ出した。
重力に引っ張られて落下する近衛。あっという間に近づく地面。しかし近衛が取った行動は、四つん這いに似た姿勢を取るだけ。落下の衝撃に対してあまりにも粗末な対処。
しかし、鬼門遁甲の力はそんな駄策を成り立たせる程に圧倒的だった。
「くっそ、痛っってえええ‼︎」
物体が地面に叩きつけられる鈍い音。巻き上がる土煙。
その中で痛みに悶える近衛は—————間違いなく、生きていた。
強化された四肢が、衝撃の大半を防ぎ切ったのだ。痛みは残ったが、それでも脱臼も骨折もない。
近衛は自分の落下してきた方を見上げる。
今まで居た謁見の間は、どうやら城の端に位置していたようだ。
もしこの位置に無かったなら、近衛は広大かつ複雑な城内で迷い、拘束されていただろう。城壁から飛び出る無数の塔を見て、彼はそう身震いした。
だが最早関係ないことだ、と近衛は笑う。
今日のオレはついてる。さっき確認した通り、町らしきものが正面にある事が確認できた。そして脱出もスムーズに成功。
ここまでは完璧だ。
ここからやるべき事も考えた。まずは世界の地図、必要なら当座の金も確保。そしてガリオに向かう。
気を引き締めなければならない。自分はまだ何も知らないのだ。この世界の事も。自分の限界も。
近衛は己の頬を叩いて気合を入れ直すと、全速力で走っていった。
◇ ◇ ◇
謁見の間の異変にロンシア城の衛士が気づいたのは、近衛が脱出してから数分のことだった。
「なっ……ご無事ですか、国王‼︎」
衛士達が玉座の上で泡を吹く王に呼びかけるが、応答はもちろんない。
「参ったな……どうする?」
「どうすると言われても、護衛含めて全員がこの様では……」
事の重大性をいまいち掴めない衛士達は、仰ぐ指示が無く狼狽えるしかない。
「まずは負傷者の救助からです」
ふらりと現れたのは一人の女。
紅のシャツにショートパンツという軽装に、酒の入った瓶とグラスを片手で抱える無作法な姿。しかし凜然と輝く深紅の瞳が、妖しささえ感じさせるほどの気品を彼女に与えていた。
「メアリ様! これは一体……」
「知りませんが。あなた方はまず負傷者の救助を。問題には……私が対処します」
「は、はぁ……よし、まずは治癒の魔術を準備しろ。応急処置を行う!」
「お願いします」
騒がしくなる現場に背を向け、彼女は彼女の準備を始める。
瓶の酒を一気に飲み干すと、瓶を床に叩きつけてその破片で手首を掻き切る。
そして溢れ出る血をグラスに注ぐと、傷もそのままに近衛の創り出した穴から飛び降りた。
「英雄が来た……か」
猫のように軽い身のこなしで難なく着地すると、彼女は近衛の進んだ方向へまっすぐ走っていった。