第二話 暴露
「ねえ、近衛君」
「なんだよ」
「いざよいりんね、って、誰?」
「‼」
那由他の作った夕食を食べ終え、二人でソファに座ってテレビを適当に眺める穏やかな時間。だが、近衛の心中は穏やかではなく。先刻投げかけられた言葉が反芻してやまなかった。
そんな折、不意に投げかけられた質問に近衛の心臓は跳ね上がる。
「……なんで、その名前を」
「い、いや、寝言で言ってたからさ、誰なのかなって」
「……」
近衛はテーブルの上のコーヒーを飲み干し、那由他をじっと見つめた。
……人に話したことは無いが、この女になら話してもいいかもしれない。
とにかく今は、心に溜まった複雑な感情を吐き出してしまいたい。いろいろ考えた末に近衛はそう結論付け、口を開いた。
「ただ一人の友達だよ。二年前行方不明になった」
「へぇ……て、友達? 近衛くん友達居たの?」
那由他はその単語に首を傾げた。この少年の性格を知る彼女からすれば、彼に友人と呼称できる者が居たというのは意外であった。
「ね、どんな人だったの?」
そんな失礼な態度にも構わず、近衛は続ける。
「……そうだな。もし自分がエイリアンだったとしたらお前どうする?」
「え? 急にどうしたの近衛くん」
「別に、単なる言葉遊びさ」
「うーん、よくわかんないけどやだな。だって周りは皆人間なんでしょ? バレたら殺されちゃうかも」
「だろ。で、そんな折に偶然同族に出会ったら、どうだ?」
「ええ? まあ……仲良くなる、かな。二人しかいないんだもん、仲良くするしかないよね……ね、何が言いたいの?」
「ま、つまるところ、俺と輪廻の関係はそんな感じだよ。この世界で唯一俺と『同じ』存在だった」
「なにそれっ、よくわかんない」
回りくどい問いに焦らされて思わず笑い飛ばしてしまう那由他だが、近衛の眼はこれまでにない程に真剣なものだった。そんな彼の態度に釣られて那由他の顔も引き締まる。
「でもさ、近衛くんはエイリアンじゃない、普通の人じゃん。そりゃ近衛くん友達居ないけどさ、私とだって仲良くやってるじゃん。それなりにさ」
「普通の人、ね。まあお前から見ればそうなのかもしれないな」
「っ、なによそれ。自分は人と違うってわけ?」
「ああ、そうだ。自虐でも誇張でも何でもない。俺は普通の人間とは違う」
「! ……私は」
嘲るような笑みを浮かべる近衛に、那由他は意を決して詰め寄る。吐息が肌に触れるほどの距離に互いの感情は揺れ、那由他はせっつかれたように喋る。
「私はいいよ。近衛くんがエイリアンでも、普通の人じゃなくても。どんな秘密があっても私、受け容れるよ」
「……那由他」
「あのね、わ、私、近衛くんのことが」
その時、玄関の方から響いた破壊音に、那由他の告白は打ち切られた。
突然の事態に2人は驚愕し、その方角へ注意を向ける。
だが、近衛だけは違うものを感じていた。収まっていた身体の疲労感が、再び微かに主張し始めている。
「……那由他、部屋の隅に」
「え、え?」
「いいから」
それを不吉な予感と察した近衛は、那由他の両肩を押しやって立ち上がらせた。
今の音がただの悪戯なら大いに構わないが、身体にこの感覚が走る時は大抵そんな生っちょろい出来事では済まないのだ。
そう近衛は毒づき、今いるリビングから玄関に続く扉に近づく。
だが来訪者は全く別の位置から来た。
壁が破壊される音。それと共に誰かが飛び込んでくる。
近衛は背後で鳴った轟音に思わず振り向き、叫んだ。
「那由他‼」
近衛は素早く転進して、その闖入者の前に立ち塞がる。
それは一人の男だった。全身には包帯と湿布。衣服は簡素な病衣のみで、靴すら履いていない。病院から着のみ着のまま飛び出してここまで来た、といった感じだ。
それだけでも異常なのに、似合わない金髪に隠れた瞳は白眼を剥いており、更にはその右手はぐちゃぐちゃに潰れている。
そんな異常な様相の暴漢だが、近衛と那由他は彼に見覚えがあった。
「え、こ、この人……昨日の……!」
怯える那由他が言う通り、この男は那由他に絡んだが故に近衛に病院送りにされた不良の一人であった。
「ウウッ、ウウウウアッ!」
妙な唸り声を挙げる不良。常人ならば恐怖しか感じない状況だが、近衛の感覚だけは異なるものを感じ取っていた。
それは力の胎動。先刻招かれた謎の空間にて感じたものと同類のものを、近衛は確かに感じていた。
だから近衛は確信していた。壁の破壊はこの男の腕一本で為されたのだと。
「そういうこと、かよ」
近衛は心に生まれた推論と憤りを吐き出し、呼吸を整える。
対する不良は気味の悪い笑みを浮かべ、両腕をだらんと下げる。
「近衛くんっ!」
意味不明な状況と緊張に耐えかね、那由他が声を上げた。
その瞬間、不良が動いた。
床、ソファ、壁を順に蹴って近衛を跳び越す。標的は——部屋の隅で怯える那由他。
那由他は突然の事態に声すら出なかった。
その動きは余りに不自然すぎたからだ。近衛に背を向けてまで、脅威度の低い自分を狙うなど考え着くはずもない。
だが、硬直する那由他の前に近衛は割り込んだ。まるで初めから不良がそう動くとわかっていたかのように。
「……えっ?」
「悪いな那由他。俺、お前に隠してたことがあるんだ」
無慈悲な速度で振り下ろされる左手。壁を破壊しうる程の打撃を喰らえば間違いなく死ぬ。
避ける間もない絶望的な状況を前に、それでも近衛の声音はいつにも増して軽かった。
粉砕される近衛の頭蓋を那由他が幻視し、反射的に目を瞑りかけたその時、
「————————『鬼門遁甲』」
そう唱えると同時に、近衛の四肢に青の紋章が浮かび上がった。
衝撃音が部屋に響く。だが飛び散るものは、近衛の脳漿でも頭蓋でもない。近衛に受け止められた不良の腕は、無惨にもはじけ飛んだ。
無傷の近衛はその結果を当然であると言わんばかりに、迷いなく攻撃に移る。
近衛が繰り出したのは、ただの張り手。それも軽い一押し。
だが、今の近衛にかかればそんな一撃さえも必殺になる。
「ッッッ‼」
男は車に轢かれたかのような衝撃に押され、自らが穴から外に飛び出して向こう側の棟の壁に直撃。彼の身体は中庭に墜ちていった。死んだかもしれないが、近衛からすればどうでもいいことだった。
「チッ、無駄に使わせやがって」
不良の動きが停止したのを確認して近衛は那由他に向き直る。
近衛は彼女に自分の全てを話さねばならなかった。それが、自分という人間に接してくれていた彼女への『餞別』だった。
「さて、と」
「……近衛、くん?」
ヒトに許される領域を遥かに超えた力を目の当たりにした那由他は、腰を抜かして座り込んでいた。畏怖にも似た視線を向けられた近衛は、怖じることなく語り始めた。
「俺の両親は9年前に事故死したってのは、前話したな。車がダンプとトラックに挟まれてペチャンコ……で、その車に俺も乗ってたんだ。後部座席に座ってたから即死はしなかったが、それでも助かる見込みはねえって重体だった。でも俺はきっちり病室で目覚めた。五体満足でな。何故だと思う?」
わかるわけないよな、と嗤った後、近衛ははっきりと隠していた真実を告げた。
「俺の親父は魔術師だった、らしい」
「……ま、じゅつ、し?」
那由他は気の抜けた声を出してしまう。重苦しい空気の中、そんな御伽噺じみた単語が出てくるとは思わなかった。だが近衛の眼差しを見ればそれが冗談でないことなど嫌でも理解できた。
「俺には祖母がいたらしくてさ、病室で目覚めたその日に全部教えてくれたよ。親父の家系は魔術の名門で、俺の親父はそれが嫌で普通の人間のふりをして家庭を築いたんだと。……全く、迷惑だよな。それで俺より先にくたばるんだからよ。でもおかげで」
近衛は着ていたシャツを脱ぎ、上半身を那由他の前に晒す。
「俺にも魔力を操る才能があったらしい。だから親父の肉体の一部を移植して、俺は生き永らえる事ができた。そして親父の力も俺のモンになっちまった」
その肉体を見て、那由他は息を呑んだ。
鍛えられた肉体の至る所に刻まれていたのは、痛痛しい無数の傷痕。肘の先からは、二色の肌色が混ざった奇妙な色をしていて、傷は更に多い。そして、傷痕を縫うように全身を走る青い光の線。
これが、近衛が隠していたものの全容。
「名は『鬼門遁甲』。これが結構厄介でさ。全身死ぬほど痛いし髪とか目の色は変わるしで、散々だ。輪廻が居てくれた時は結構安定してたんだけどな。今は最悪」
どこか晴れやかな表情で語る近衛に対し、那由他はただ聞く事しかできなかった。驚愕で指の一本さえ動かせないと言うのに。いや、だからこそだろうか。緊張で活性化した那由他の脳は、彼が語る真実を残酷に焼きつけていた。
「……まあつまりさ、俺はこの社会に紛れ込んだ、人間には程遠い化物だったってわけ」
突き刺さる那由他の視線に耐えかねて、近衛はわざと手を振っておどけてみせる。だが、言葉の裏に滲み出る悲哀はどう足掻いても隠せない。
那由他が必死で自分を理解しようとしてくれているのは、痛い程に伝わっていた。
その優しさが今の近衛には辛かった。
「……今まで騙して悪かったな。あばよ」
住人たちがいつの間にか騒ぎ始めている。
ここに長居はできないと判断した近衛は、放心した那由他を置いて部屋を出て行った。