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第一話 近衛春人

「……それで近衛、お前はホントに何の関係もないんだな?」

「ええ勿論ですともよ、中島センセ」

「ふん……」


時刻は午後四時。とある町のとある高校。日の当たらぬの生徒指導室では、一人の教師と学生が机を挟んで座っていた。中島、と呼ばれた教師の方はジャージ姿の筋肉質な男。どこにでもいる体育教師、といった風体だ。

彼の鋭い眼差しは、その向かいに座る近衛と呼ばれた男子学生に向けられていた。


「男子高校生四人が繁華街の裏道で重傷……四人合わせて計三十もの打撲と骨折なんて、俺みたいな普通の高校生にできるわけないでしょ」

「目撃情報もあるが?」

「そりゃあるでしょうよ。よくあの辺うろついてますから。だからこうして呼ばれたわけだ」


染髪ではない褪せた白髪に、濁った緋色の眼。同年代の基準からは逸脱した筋肉量。『普通』とはかけ離れた見目と飄々とした態度が、教師中島の神経を逆撫でする。

その苛立ちを誤魔化すように髪をなでると、中島は言葉を加えた。


「そもそも繁華街周辺に行くな、と学校から連絡されていたはずだが?」

「それは二十三時以降の話でしょ。資料によると推定された事件発生時刻は昨日の二十時。俺が居ても何の問題もない」


手に持っていた資料を机の上に投げ、近衛は立ち上がった。


「どうせ碌な証拠もないでしょ。大体、被害者の証言はどうなんすか。打撲と骨折くらいなら意識不明ってわけでもないでしょうがよ」

「……」


中島の答えは沈黙であり、それが敗北宣言だった。

それを確認したように勝ち誇った笑うと、近衛は椅子から立ち上がった。


「んじゃあ腹減ったんで、行きますわ」

「……おい、近衛」


迷いなく背を向け歩き出す近衛に、中島はあくまで静かに声を上げる。


「俺だって昔はやんちゃしててな。お前くらいの年の頃にゃあよくこうして呼び出されては絞られたもんだ。色々と荒れるのはよくわかる。……特に、親御さんのいないお前はそうだろう」

「……」


近衛の顔から笑みが消えた。


「昔の俺には積み上げたものなんざなかったが、お前は違う……お前は成績優秀だ。職員会議じゃ、お前に推薦をやろうって声も上がってる。だから、もうこんな行動は控えてくれ。皆の信頼を裏切るような真似は……」


そこまで言ったその時、中島の背筋を冷気が襲った。

近衛から放たれた殺気——そして、彼の中枢を成す何かが、中島に彼の怒りを訴えかけていた。


(殺される?)


直感が感じ取った危機の大きさに震えさえ起きない中島は、そう覚悟した。

何秒経っただろうか。開いていた窓から風が吹き込むと同時に、近衛の顔に張り付いていた殺気が霧散し、中島の硬直が解ける。


「だぁから、何もしてないって言ってんじゃないすか! まっ、気い付けますよ」

「あっ、ああ……」


打って変わって満面の笑みを浮かべ、中島を小突く近衛。その得体の知れなさに、中島は冷や汗もそのままにたじろぐしかなかった。


「ああそうだ。一つ訂正させてくれよ先生」


近衛は口元に笑みを張り付かせたまま、ずい、と中島に寄る。


「信頼なんてキレイな言葉を俺に使わないでくれ。俺をまともだと思うならそれは上っ面だけの話さ。俺はもっと短絡的な人間だよ」


「こ、近衛! 俺たちはそんな」


中島の言葉を遮るように荒く窓を閉める近衛。そのガラスに触れた手に一瞬青い光が宿っていたことは、近衛しか知らない。


「話は終わりって言ったでしょうがよ。失礼しました」

「待て近衛、まだ……」


扉を開け出て行った近衛を引き留めようと手を伸ばしたその時、窓が爆ぜた。


「うわっ!?」


突然飛び散るガラス片に、思わずたじろいでしまう中島。

その隙に近衛は通路の向こう側に消えていた。


「チッ、なんなんだ全く……」


中島は舌打ちすると、床に散らばったそれらを片付けようと、ロッカーから箒と塵取りを取り出した。

それにしても、と中島は訝しむ。

何故ガラスがこんなにも粉々に割れた? 割れるような衝撃も飛来物も無かったはずだというのに。


「脆くなっていたのか……?」


残された窓縁に何気なく触れると、一瞬不意に蘇った。先程近衛に味わわされた悪寒が。


「……‼」


未知から来る原始的恐怖に、意志とは無関係に体が跳ねる。

その瞬間、中島は察した。どのような力が働いたかは皆目見当がつかないが、この破壊の原因は近衛であることを。

しかし、それを証明する術は何もない。問い詰めたとて先程のようにのらりくらりと躱されるだけだろう。

中島の心中にはもう、近衛への怒りも恐れもない。ただ、哀れみに似た憂いだけ。


「近衛……お前は一体、何者なんだ」


その独白が、一人苦悶に満ちた顔つきで帰路を歩む近衛に届くことはなかった。




◇ ◇ ◇




「っぐ……畜生、うざってえ話しやがって」


生徒指導室から脱出した近衛は、校門へ向かっていた。

足が痛んでいた。動かすと痛みが増すので引き摺っていた。

理由はすでに分かっている。先程のガラス割りだ。感情が乱れると“力”も乱れ、その捌け口を求めてああいう事をしてしまう。抑え込むよう何年も努力しているのだが、いかんせん制御しきれていない。


昨日もそうだ。『知り合い』に絡んでいた不良どもを適当に追い払うつもりだったのだが、キレた相手がナイフを取り出したのを見て、思わず“力”を使ってしまった。

その結果が、先ほど伝えられた通り病院送りだ。

脅して口封じしておいたお陰で難を逃れたが、こんな調子ではいつどんな奴に目を付けられるか分かったものではない。


苦痛に耐えかねて、近くにあった中庭のベンチに腰を下ろす。

普段ならこんなに症状が長引くこともない。最近何かがおかしい。

少し休憩してから帰ろうと、近衛は身体を横たえたその時、


「近衛くん、大丈夫だった?」


『知り合い』の女子学生が、近衛を呼んだ。


「げっ、新藤那由他」

「『げっ』って何よもう!」



日本人にしては白い肌、それとは対照的な深黒の長い髪。

一般的尺度で言えば『美人』のカテゴリに位置される麗しい見目。

近衛の言葉に頬を膨らますその少女こそ、新藤那由他。

先日近衛が助けた女子生徒であり、今日の呼び出しの原因であった。


「それより近衛君、その、大丈夫?」

「大丈夫じゃなきゃ今頃こんなとこで寝てねえよ。あのアホどもには口止めしといたし、俺もお前も知らぬ存ぜぬで通すだけの簡単な作業さ」

「慣れてるんだね」

「おかげさまでな……けどお前も気をつけろよ。いつだって俺がいるわけじゃないんだからよ」


2人の関係は一年ほど前から始まった。近衛と那由多、2人が住む下宿への途中には繁華街がある。昼間はさして問題はないが、日が沈むと雰囲気は一変し、途端ガラの悪い連中で溢れかえる。その為生徒は普段、夜間の通行は避けているのだが、移り住んで間もない頃の那由他はそれを知らず、案の定不良連中に絡まれてしまった。

それをたまたま見かけた近衛が助け、下宿まで送っていったところ住む部屋が隣であることが判明し、それから二人は近しくなり、現在まであいまいな馴れ合いが続いている。


「うん、気をつけなきゃね……体は? また痛むの?」

「そっちもいつも通りさ。寝てりゃ治る。っておい」


近衛の足を無理やり押し退けて座る那由他。女に足を向けるわけにもいかず、近衛は身体を起こす。


「言ったでしょ。今日はお礼するって」

「だからって別に待たなくてもさあ……どうせ部屋隣なんだしよ」

「もう、いいじゃん待たせてよ!」


若干頬を朱に染めて笑う那由他のその姿は、正しく『恋する乙女』である。

実際そうであるし、その対象である近衛も前々からそれには気づいていた。

しかし近衛は、その慕情を受け入れることも拒むこともしなかった。


「はぁ、そろそろ帰るか」


近衛が未だ痛む身体を起こして立ち上がる。


「体、もういいの?」

「よくねえけど。さっさと帰らねえとまた昨日みたいに絡まれちまうだろ」

「う、うん。そうだね……鞄持とっか?」

「アホ言えよ、お前に助けられるほど弱っちゃいねえさ」

「……そう」


少し残念そうな顔をした那由多に近衛は気づかぬまま、2人並んで歩き出した。




◇ ◇ ◇




「おじゃましまーす」

「誰もいないっての」


三十分後、二人は下宿先の団地に帰ってきた。

家賃三万の模範的な1LDK。高校に通う生徒の多くはここに住んでいる。


「自分の鞄くらい置いてこいよ」

「いいじゃんいいじゃん、何か居心地いいんだよね。近衛君の部屋ってさ」

「ったく……」


遠慮なく部屋に入り込む那由他を横目に、近衛は右手に持っていた食材の詰まったビニール袋をテーブルの上に置く。


「お線香、あげちゃってもいいかな」

「……好きにしろよ」

「うん、ありがと」


部屋の壁際に置かれた小さな仏壇。そこに祀られているのは、近衛の両親である。

那由他はその前に座ると、手慣れた手つきで蝋燭と線香に火をつけて手を合わせる。こういう変に律儀で育ちのよさを感じさせるところが、近衛にとっては煩わしかった。


「そんな毎回毎回律儀にやってくれなくったっていいんだぜ」

「うん……ごめんね、やらなきゃ落ち着かなくてさ」


申し訳なさそうに笑う那由他を見て近衛は謎の煩わしさを感じたが、それについて深く考える余裕は無かった。

近衛は食材もそのままに、なだれ込むようにソファに寝転がる。


「体調、悪いの?」


心配そうな那由他の声に手だけ振って答えると、近衛は暫しの眠りに就いた。


しかし今日は妙だ、と近衛は闇の中で考える。


眠っているはずなのに、意識も感覚も鮮明すぎる。明晰夢にしては視界は黒一色と味気ない。

それに、疲労がいつになっても拭えない。いや、それどころか強くなっている。

まるで持久走の後の鼓動のように、手足の筋肉が脈打っている。筋肉を突き破って暴れ回りたいと、力が蠢いている。

この感覚は日に日に強くなっている。今は抑え込めてはいるが、いつまで保てるかはわからない。

そもそも、と近衛は憤る。


何故俺は苦しみ悶えて力を抑えなければならない? いったい何を恐れている?


あいつが死んでからもう2年。ずっとこの調子だ。その日を境に力はどんどんと強大に、激しく乱れ始めた。

人生に希望や期待を感じられなくなったのもその頃からだった。

勉強も努力せずともできるからやるだけ。喧嘩だってそうだ。負けないから戦うのだ。

そこに目標も将来の展望もない。だから昨日の因縁が元で今日死のうと構わない。


自分が死のうが誰も困らないだろうから。そう諦めをつけた所に、あの新藤那由他が割り込んできた。「お前一人の身体じゃない」と言わんばかりに慕情を寄せてくる那由他。それを切り捨てられない己の中途半端さ。どちらも近衛には鬱陶しかった。


『かわいそうに』

「‼」


暗闇の中、突如聞き覚えのない声が聞こえ、近衛の心臓が跳ね上がる。

誰だ、という言葉が彼の口から発されることは無かった。言葉を聞いたその瞬間から全身の動悸は激しさを増し、筋肉は硬直した。


『その力、抑え込むのは辛いでしょう。故に、我々は貴方を選んだ。近衛春人』

(なん、なんだ……これは)


常人なら発狂していたかもしれない人ならざる者の波動。それに晒されていてなお、近衛の脳は異常なく回転していた。

……こいつは女の声だな。それより俺の身体は今自室のソファで眠っているはずだ。だというのに自分の身体以外の何かがあるような感覚がない。意識だけ別の空間に持っていかれたか?

必死で思考を巡らせる中、声が空間に響き渡る。


『己が力を発揮する場所を求めるならば、我々の世界へと招待しましょう』

「——ハッ、てめえが何者かは知らねえが、生憎こちとらそんな口車に乗せられる程馬鹿じゃねえんだよ」


依然身体は金縛りにかかったままだが、口は動くようになった近衛は笑みさえ浮かべ、姿の見えない女らしき相手に対して煽りの言葉を吐きかけてみせた。


『残念、そうですか』

「ああそうだ。どこのイタコさんか知らねーが、宗教勧誘なら他を当たるんだな」


余裕を取り戻した事で身体の硬直も解けていた。相手がどこの誰だか知らないが、こういう手合いに精神的主導権を取られれば負ける。余裕を保ちさえすれば、こけおどしの幻覚など何の意味もなさない。それを近衛は理解していた。

しかしそんな付け焼刃の余裕は、次の一言に完璧に打ち砕かれてしまう。


『箱庭には十六夜輪廻がいる、と言っても?』

「‼」


近衛は眼を見開いて立ち上がる。踏みしめた地は木の床の感触ではなかったが、そんな事は気にもかからなかった。先程とは打って変わって鬼気迫る表情で、果ての見えぬ虚空に向かって吠える。


「誰だテメェ! なんだってあいつの名を知っていやがる!」

『それは貴方が知る由のないことです……では』


取り乱した近衛をあざ笑うように、声が遠のいていく。


『輪廻の何を知ってる!待ちやがれてめえ‼』


激情のままに駆けだそうとした刹那、


「……近衛くん?」


近衛の意識は現実に引き戻されていた。


「……? ああ?」

「大丈夫? ご飯、もうすぐできるからね」


曖昧な問いを返すと同時に、近衛は足に力を入れた感覚が残留しているのに気づいた。

決して夢とか妄想、架空の出来事ではなかったのだ。残留する疲労を錯覚しているだけなのかもしれなかったが、それでも近衛は先程の出来事を現実だと信じて疑わなかった。

那由他が被せてくれたのであろうブランケットを除けてソファから立ち上がると、焼けた肉の香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。


「シャワー浴びてきたら? 汗すごいよ」

「……ああ、そう、だな」


近衛は曖昧な返事をしながら、まだ疲労の残る自分の身体を見つめる。

あの声の主は誰だったのか。何故自分の力を知っているのか。何故、彼の名を出したのか。

そして、それよりも。

あの声の主は、『己の力を発揮する場所』がある、と言った。本当に存在するのだろうか。そんな場所が。そこならば、俺はこんな燻る思いを抱えずに済むのだろうか。

問いのどれにも確かな答えは得られず立ち尽くす近衛を、那由他はキッチンから心配そうに見つめていた。


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