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「答えてあげましょう。ディナス家に見張りをつけていただけのこと。隙があれば、いつでもおまえを連れ帰れるように」
完璧な美貌を持つお母様は、冷たいまなざしで私を見ている。
黒装束の二人組に両脇を固められ、身動きがとれないままに私は湖へと足掻く。
湖の縁に這い上がってきたところのワルターさんは、真っ白な顔色で荒い呼吸を繰り返していた。
「大人しくしなさい。帰るわよ」
「どうして、私に執着するんですか! もう私は呪いを受けました。役割は果たしたはずです」
「果たしていないわ。あなたが死ねば、次はリーリスが呪われることになる。あの子は離縁して、うちに帰ってきてしまったのだから」
淡々と告げながら、お母様は私の前に立ち塞がる。
お母様が目で指示を出すと、黒装束のひとりが私の手首を見えるようにお母様へと差し出す。
そこに刻まれた数字は80だ。
「残り時間は少ない。リーリスもあの子がいずれ産むであろう子を守るためにも、あなたには永遠に生け贄になってもらわなければならない」
空洞のような母の瞳に思い出したのは、書庫から消えた本のことだ。
お母様は、確か書庫の本を盗み出していたはずだ。
ゾンビについての本を。
「や、めろ」
湖から這い上がったワルターさんが、髪をかき上げて立ち上がる。
お母様を睨むワルターさんの瞳は怒りに燃えていた。
お母様が黒装束に顎で指示を出す。
私を押さえていたひとりがワルターさんの元へ歩み寄りながら取り出したのは、月明かりを反射する鋭利なナイフだった。
「お母様、おやめください! ワルターさんを傷つけないで!」
「邪魔立てするなら、消すしか無い」
「大人しくいきますから、ワルターさんに手出しはしないでください」
ワルターさんが険しい表情で私を見る。
ワルターさんは今、魔法が使えない。
そんな状態で戦闘訓練をしているはずの相手に勝てるとは思えなかった。
私は恐怖を飲み込んで、ばかみたいにへにゃりと笑う。
ワルターさんは、唇を切れるほどに噛んでいた。
「大丈夫です。ワルターさん。私は封じられた記憶に自ら鍵をつけられるほどに、魔力の扱いに関しては器用なんですよ」
「……だから、君が連れて行かれるのを黙ってみていろと言うのか」
「今ここで戦っても、あなたが殺されてしまうだけです。大丈夫です。私はあなたの傍で生きます。だから、迎えに来てください」
「アコナ……」
これ以上無いほどに苦い表情をしているワルターさんに、私はほほ笑み続ける。
「大丈夫です。信じて」
ワルターさんが迎えに来てくれるまで、私は死なない。
もちろんゾンビにだってされない。
だから、今は生き延びて欲しい。
訴える私から、ワルターさんは引き剥がすように視線をお母様へと向ける。
ギロリと睨むまなざしは、底冷えするほど恐ろしかった。
「お母様。今ここでワルターさんに手を出すのならば、私は舌を噛んで死にます」
力を込めたまなざしで、お母様を威嚇する。
お母様は私とワルターさんの視線を受け止めて、呆れたように小さく息を吐いた。
「大人しくしていなさい」
一言だけ。私にそう命令して、お母様は踵を返す。
取り出していたナイフをしまった黒装束の男ふたりに抱えられるようにして、私はその後に続いた。
振り返ると、ワルターさんが拳を握って立ち尽くしている。
その手が握りしめすぎて、指の間から血が流れているのが見えた。
悔しそうにゆがめられた唇が開く。
その唇が告げている言葉は、何度も聞いたことがあるから口唇術など体得していなくともわかる。
涙をこらえて、私は聖域の外にとめられていた馬車へと詰め込まれた。
大丈夫だ。俺が傍にいる。
ワルターさんの唇は、確かにそう動いていた。




