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数日後。
研究を一段落させたワルターさんと共に、私は聖域へと向かった。
聖域の近くまでは馬車で行けたけれど、そこからは歩きだ。
街道側には警備兵が立っているから、私たちは聖域の裏側から入ることになった。
鬱蒼とした森に生い茂る木々が作った、緑の洞穴から森の中へと侵入する。
出っ張っている木の根に足をとられないように、慎重に歩を進めた。
「前もこんなところから侵入したんですか?」
「ああ。誰が毒血の呪いを受けることになるのか、しっかりとこの目で確認しようと魔法具で聖域内部を見ていたら、沈められていたのがアコナだったから驚いた。それに、継承の儀式はあんなに無理矢理行われるものではない。すぐに助けに行かなければと思って、森に踏み入ることにした」
「本来は、どういう風に行うものだったんですか?」
お母様と歩いたときは、踏みならされた道を歩んだから大丈夫だったけれど、今回は不法侵入だからそういうわけにもいかない。
岩を超え、穴を避け。
不安定な道を慎重に進みながら、前を歩むワルターさんに声をかける。
彼は振り返って、岩の上から手を差し出してくれていたところだった。
その手をつかんで、どうにか上へと這い上がる。
「継承の儀式は血の湖に、継承者が何度も身を浸す儀式だ。呪いがその身に定着するまで、何度も、自ら身を浸す。君が受けたような残虐な行為は、歴代の呪いを受けた者たちはされていないはずだよ。もちろん、君の父上もな」
正直、お父様もあんな風に継承の儀式を受けたのかと不安に思っていたのだが、そうではなかったらしいことに安堵する。
そして、この先もあんな風に呪いを受ける人はいない。
私がワルターさんと一緒にこの毒血の呪いを解いて、王家に魔導銃を献上して、吸血鬼の脅威からこの国は開放されることになるからだ。
ぬかるむ斜面をくだっていくと、ワルターさんは気だるそうに息を吐く。
わずかな表情の変化だけれど、ずっと傍にいるから彼の体調の変化はすぐにわかった。
「疲れましたか?」
「ここの魔力は吸血鬼にとっては毒だからな。ここに居るだけで、乗り物酔いをしたような気持ちの悪さがある。封印される前のテディールは、ここまでひとりで花を摘みにきたのだろう? あいつの血への執念には呆れるな」
「ワルターさんの私の花への執念も相当ですよ。似たもの兄弟だと思います」
「……それは否定できんな」
いたずらを指摘された子供のように、ばつの悪そうな表情をするワルターさんがかわいい。
くすくす笑っていると、低木の向こう側にきらめく水面が見えた。
月光を反射して不気味に輝く真っ赤な水面。
この森を包む特別な魔力は、この湖から生まれ出ている。
近づけば近づくほどに、ワルターさんの顔色が悪くなっているのもそのせいだろう。
その湖の縁に、赤い花が咲いているのが見えた。
「あれが、流血の花でしょうか?」
「この魔力の中で咲いていられる花なんて、それくらいのものだろう」
「私が取ってきますから、ワルターさんはここで待っていてください。すぐに戻ってきますね」
「待て待て」
勇んで湖に駆け出そうとする私の手首は、ワルターさんに捕まえられてしまう。
振り返ると、ワルターさんが渋い表情で私を見下ろしていた。
「離れるなと言っただろう。俺も行く」
「でも、あの湖から湧いている魔力でワルターさんは具合が悪いんですよね。継承の儀式のときは、無理をして助けに来てくださってありがとうございました。大丈夫です。すぐに行って、さっと戻ってきます」
「だが……」
「ワルターさん、顔色悪いですもの。あのとき無理をしてくださったのですから、今回は無理なさらないでください」
聖域に聞こえるのは、木の葉のこすれる音だけだ。
問題ないと笑顔で訴える私に、ワルターさんはためらいながらも手を離した。
「わかった。気をつけてな。急ぎすぎて湖に落ちないように」
「そんなにドジじゃないですよ」
クスクス笑って、ワルターさんを置いて湖へと向かう。
この場で殺されかけたのかと思うと、不思議な感じがした。
もっと恐怖に足がすくむんじゃないかと思っていたけれど、そんなことはない。
振り返ると、待ちきれないのか結局じりじりとこちらに歩み寄っているワルターさんが居て思わず笑ってしまう。
私にはワルターさんが居てくれるから、大丈夫。
そっと花に手を伸ばす。
そのとき、風を切る音がした。
「アコナ!」
ワルターさんの叫ぶ声に気がついて、風の音がした方へと顔を向ける。
木陰から目にもとまらぬ勢いで飛び出してきたのは、黒装束の何者かだった。
記憶をたどって思い出す。
こういう服を着た人たちは、確か実家で見たことがある。
グロウ家お抱えの私兵で、お母様と話をしているところを見た。
地面を蹴って、ワルターさんの元へと駆け出す。
胸元にしまっていた杖を取り出して、何者かに向けたけれど、戦闘訓練を積んでいる相手に勝てるはずもなかった。
彼が腕を一薙ぎしただけで、私の杖は弾き飛ばされる。
その衝撃で足がもつれたところを、手首を捕まえられた。
「やめろ!」
「ワルターさん、後ろ!」
ワルターさんが走り込んできて、拳をふりあげる。
その背後にもうひとりの影が迫っていた。
ごつっという鈍い音と共に、後頭部を殴られたワルターさんはバランスを崩して地の湖へと転落する。
毒血の呪いを受ける場である湖に、吸血鬼が転落して無事でいられるとは思えなかった。
「ワルターさん!! いや、離して!!」
「黙りなさい」
叫ぶ私の声もかき消すような、空気を貫く凜とした声。
聖域の草を踏みしめ、こちらに歩み寄ってくるその人に私は絶望の声をあげるしかなかった。
「おかあ、さま……。どうして」




