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「血の花を聖域に取りに行きたい?」
「はい。呪いを受けたときは馬車に乗っていただけですし、血の湖もお母様について行っただけで。情けない話なんですが、道順をまったく覚えていないんです」
研究中のワルターさんにお茶を持って行くついでにお願いした話は、ワルターさんにとってはお茶ついでに聞く話では無かったようだ。
椅子に腰掛けた彼は、本が大量に積んである机にカップを置いて、しわの寄った眉間を揉んだ。
彼のあまり気乗りしていない様子に、おずおずと声をかける。
「私が毒血の呪いの継承の儀式を受けたとき、ワルターさんは助けに来てくれましたよね。ワルターさんなら聖域の場所も知っていると思ったんですが……」
「知ってはいる。テディールの抑制薬に血の花が必要なこともわかった。だが、俺は現在我慢できている。その薬は、聖域に行く危険を冒してまで手に入れなければならないものか?」
眉間にしわを寄せたままのワルターさんが、この提案を渋ることは想定外だった。
ワルターさんも吸血欲求には度々困らせている様子だったから、抑制薬をつくってもらえるのならば喜んで聖域に連れて行ってくれると思っていたのだ。
彼が渋る理由として考えられるのは、テディも指摘していた私の身の危険についてしか考えられない。
「テディも言っていたんですが、私が聖域に行くのはやはり危険でしょうか」
聖域はグロウ家の敷地でもある。
そんな場所に私がのこのこ行ったら、お母様に何かされる危険があるだろう。
テディは、そのことをとても心配してくれていた。
ひとりでは絶対に行かず、ワルターさんに許可をもらって行くようにと念を押されたからお願いしてみているのだが、やはりダメだっただろうか。
ワルターさんの役に立ちたい一心だったのだが、拒絶されたことに思わずシュンとしてしまうと、頭をぽふぽふ撫でられた。
「君が危険ということもあるが、あそこは間違いなく聖域だ。吸血鬼の魔力が、あそこでは一切封じられる」
「そうだったんですか?」
「毒血の呪いを継承する場だからだろうな。特別な魔力があの森には流れている。吸血欲求を抑える効果がある花が咲いているのも、その影響だろう」
「苦しかったり痛かったりは……」
「多少酔ったような感覚になるが、倒れるほどではない。とにかく俺が役立たずになるということだ。何かあっても俺の魔法には頼れない。それは心配ではあるな。だからこそ、聞いているんだ。その薬は、聖域に行く危険を冒してまで手に入れなければならないものなのかと」
ワルターさんは穏やかな声音で問いかけてくる。
私は迷わず、「はい」と頷いた。
「必要です。吸血欲求の渇きは相当に苦しいものだと、ワルターさんは以前おっしゃっていましたよね」
「ああ。他にはない苦痛だな」
「私はワルターさんが好きだから、傍に居たいです。けれど、そのせいでワルターさんの吸血欲求を煽っているのも事実です。私があなたの傍にいるために、その薬が必要というのならば、私はどんなことをしてでもその薬を手に入れたいです」
ワルターさんの目を見て、まっすぐに話す。
真剣に話したことなのに、ワルターさんは噴きだすようにして笑った。
「ははは!」と大きな声をあげて笑う彼に、恥ずかしくなってしまう。
「な、なんなんですか! どうして、そんなに笑うんですか!?」
「いや、かわいいなと思ったんだ。君は俺のことが好きなのだと思うと嬉しくてな。ふふっ」
「そ、そうですけど。もう! 照れさせないでください」
ぺしぺしと彼の二の腕をはたくと、ワルターさんは「悪い悪い」と嬉しそうに微笑んだ。
「君がこんなにわがままを言う子になってくれるとは思っていなかった」
「幸せになるための方法です。ワルターさんが教えてくれたんですよ」
暗に「あなたのせいです」と肩をすくめて伝えると、ワルターさんは眦を下げる。
「そうだな。俺のせいで、君はずいぶん変わった」
「個人的には良い方に変わったんじゃないかと思っていますよ」
「これ以上危険なわがままを言われるようになると俺も困ってしまうんだがな。……聖域の件は許可しよう。ただし、俺から離れず傍に居てくれ。なにかおかしなことがあったら、すぐに引き返す。いいな?」
「はいっ。聖域に許可無く踏み入るだなんて、とっても罪深い気がします」
「悪いことをしようというのに、ずいぶん楽しそうだな。そういえば、テディールとはどうして抑制薬の話なんかしたんだ?」
ぎくりとしてしまう。
まさか禁忌が何か無いかと相談して「初夜」を提案されただなんて、ワルターさんに言えるはずもない。
口をつけていたカップを、思わず取り落としかけながら、咳払いをする。
なんとか誤魔化さなければと視線をさまよわせていると、ワルターさんが不審そうに目を細めた。
「なにか嫌なことでも言われたのか?」
「ち、違います」
「テディールは、君に時々意地の悪いことを言うからな。小姑のようなことはやめろと言っているのだが」
「テディは悪くないんですっ! 禁忌の相談をしただけで……!」
はっとして口をつぐむ。
私はどうしてこう焦ると余計なことを言ってしまうのだろう。
ワルターさんはきょとんとして、目を瞬かせた。
「禁忌? 抑制薬で吸血欲求を抑えてなにか……」
ワルターさんは賢い人だ。
自分で言っている内になにかの可能性に気がついたのだろう。
語気は弱まり、彼の頬は朱に染まる。
喉元に手を当てたワルターさんは、あさっての方を向いて口を開いた。
「その。俺もテディールに禁忌の案を訊ねたことがある。そのときに、あいつは……初夜を迎えたらどうかと提案してきた」
びくっと肩が跳ね上がってしまう。
私は気がつけば、ちぎれんばかりに首を横に振っていた。
「わ、私は! 私はそのために、薬がほしいわけではないのですよ!?」
「わかっている、わかっている! 君が純粋に俺のために薬を用意してくれようとしているのは伝わってきている。だが、大切なことだから伝えておきたい」
「……なんでしょう」
誤解されていなかったことに安堵して、カップに口をつけながらワルターさんを見る。
彼はじっと私の瞳を覗き込みながら、言葉を選んで紡いだ。
「俺はアコナのことを大事にしたいと思っている。アコナの体は呪いによって弱っている。無理をさせたくはない。そういうことをするのは、呪いが解けた後の楽しみにとっておく」
「……楽しみな、ことなんでしょうか」
「君が俺に身を任せたいと思ってくれるそのときまで、俺は待つよ。初めてなんだ。こういうことは、必要に迫られてしたくない。だから、焦らずに俺たちなりの禁忌をいろいろと試してみよう。最後まで諦めずに」
隣に座っているワルターさんが私の肩を抱き寄せる。
彼の肩に寄り添い、私は焦っていたのだと言うことに気がついた。
私に残された時間は少ない。
ワルターさんと長生きをするという約束を果たすためには、呪いを解く禁忌をなんとしてでも見つけなければならない。
そのためなら、初夜を迎えても良いのでは無いかとすら、心のどこかで思っていた。
そんな私の気持ちに気づいていたワルターさんが、私をなだめてくれたのだ。
「聖域に入ったら、あっという間に消えてくれたりしたら、とても楽なんですが」
「そうだといいな」
ワルターさんが、そっと私の手首の内側に刻まれた数字をなぞった。




