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「……ワルターさん、じゃ、ない?」
氷塊の中にいる青年は、ワルターさんに瓜二つだ。
けれど、よくよく目をこらしてみると彼よりも少し幼い感じがする。
そろりそろりと近寄って、氷塊に手を伸ばす。
この人は誰なのか。何なのか。
好奇心に負けて、そぅっと手を伸ばして氷塊に触れるとぴりっとした痛みが走った。
「いたっ」
氷塊のとがった切っ先が、指先を裂いたことに気がつく。
慌てて手を引いて、もう片方の手で傷ついた指先を握りながら、私は呆気にとられていた。
ジュウジュウと、氷塊が音を立てて溶け始めたのだ。
私の指先から流れた血をほんの少し浴びただけの氷塊が、白い煙になって霧散している。
何かとんでもないことをしてしまったような気がして、じりじりと退く。
そうしている間にも溶けた氷塊は、ワルターさんによく似た青年を解放した。
氷の呪縛から解かれた彼は、つま先から地面へと降り立つ。
髪の色はワルターさんの髪より少し暗い灰色をしている。
そろりと開かれた赤い瞳は、優しく細められるワルターさんの瞳よりも鋭く感じられた。
誰だろう。
警戒している私を、彼の赤い瞳がとらえる。
一歩後退したけれど、私は次の瞬間には慌てて、せっかく開けた距離を詰めていた。
彼がぐらりとバランスを崩したのだ。
「だ、大丈夫ですか!?」
誰だかわからないけれど、倒れたら怪我をする。
駆け寄って支えると、思っていたよりも全体重をかけられてしまった。
支えきれなくて、「ううう」と情けない声をあげながら床にへたりこむと、彼の頭が私の肩にのっかる。
既婚者だというのに、人助けとはいえ男の人とこんなに密着してしまっていることに焦る。
いくら禁忌を試している身とはいえ、ワルターさんを裏切るような真似はしたくない。
ぐっと彼の胸を押して逃れようとしたところで、腰に手を回された。
「ひっ」
「待って。あんた、こんないい香りがしてたのかよ。ゴーレムの体じゃ、全然わかんなかった。やっぱり、毒血は最高だな」
「……は?」
どっけつ? 今、毒血と言った?
なんでこの人は、私の呪いを知っているのか。
そういえば、ゴーレムの体とか言っていなかった?
混乱しているけれど、とにかくこの腕から逃れたい。
すんすんと首筋をかがれるのも嫌だ。
ぐいーっと彼の胸板を力一杯押して、どうにか身を離した。
「やめてくださいっ。誰なんですか、あなたは」
「やだな。その呪われた血で起こしてくれたのは、あんただろ? アコナさん。ずっと、この身で会いたかったよ」
「だから、あなたは誰っ――」
「テディだよ。テディール・ディア・ディナス。あんた、ワルターと結婚したんだよな。じゃあ、僕はアコナさんの弟だ」
自称テディが唇を舐める。
……いや、彼がテディなはずがない!
ワルターさんの弟を自称しているけれど、ワルターさんは弟は若くして亡くなったと言っていた。
そもそも、テディはゴーレムなのだから……。
ん? ゴーレム?
ゴーレムは希少な存在で、かなり昔に造られたものが現存しているだけだ。
それは、その製造方法が特殊なことに由来する。
なぜなら、ゴーレムの材料は特殊な魔法をかけた筐体。それから……。
「あなたは、魂をゴーレムの材料に使われていたんですか?」
ゴーレムは魔法をかけた筐体に、生者の魂を固定してつくられた魔法人形だ。
かつて、世界中が戦争に明け暮れていたときに、戦争で使うためにゴーレムは造られた。
戦闘兵器である彼らは、前線で戦う恐怖を抱かないように魂を固定されるときに感情を消すようにプログラムされている。
ゴーレムのテディも誰かの魂が使われているのだろうと思うと切ない気持ちではあったけれど、まさかワルターさんの弟の魂が使われているだなんて思ってもいなかった。
驚愕する私に、テディは無邪気に笑う。
「ぴんぽーん。そうだよ。でも、そんな切なげな表情してくれなくて大丈夫。僕は、自らゴーレムになったんだ。誰かに強制されたわけじゃない」
「あなたは死んだと、ワルターさんに聞かされていました」
「死んだようなもんだったからね。実際死にかけてたし、この氷塊はワルターが僕を救うためにかけてくれた治癒能力のある封印魔法。吸血鬼だけが使える魔法だから、あんたの血で呪いが解けたんだろうね」
背後にまだ少し残っている氷塊をテディが指さす。
私は混乱しっぱなしだ。
「……ワルターさんは、どうしてあなたを封印したのですか?」
弟が死にかけていたのなら、治癒すればいいだけだ。
封印する必要はない。
疑問符だらけで首を傾げる私に、テディは近づいてくる。
さすがワルターさんの弟。顔が良い。
ぐっと私に顔を近づけたテディは、すーっと息を吸う。
嗅がれている。そう気がついた瞬間、ぞわっとした。
「な、な、なに!?」
「あぁ、やっぱり良い匂いだ」
恍惚の表情を浮かべるテディは、舌なめずりをしながら、私の疑問に答えをくれた。
「僕が血が好きすぎたから。人間のあらゆる血を飲んできたよ。あ、安心して。合意の上だから殺したりしてない。そんな僕を虜にしたのが毒血だった」
「毒血の味は、わからないでしょう?」
テディがワルターさんと同じくグルメなのだということは、よくわかった。
このうっとりとした表情。嘘を言っているようには思えない。
けれど、テディが毒血の味を知っているのならば、彼は今ここで生きていられるはずがない。
テディは悪戯が成功したみたいな表情で微笑んでいた。
「知ってるよ。舐めたことあるんだ」
「だ、大丈夫だったんですか!?」
「ちょこっとだけで、死にかけた。でももう一度飲みたかったから、体が回復するまでの間は魂をゴーレムに逃がしてたんだよ。それなのにワルターったら、その隙に僕をあの氷塊に閉じ込めたんだよ。毒血の虜になった僕が、次こそはその血を飲みほして死んでしまうだろって、優しいワルターは考えたから」
テディが私の肩に手を伸ばす。
するりとその手が二の腕に滑った。
「ああ、おいしそうだな。ゴーレムの時から、ずっとおいしいんだろうなと考えていた。やっと、あんたの血のにおいをかげたってだけで、僕は興奮しているよ……!」
「や、やめてください!」
声が震える。
テディはワルターさんの弟だ。
どんなに変態っぽくても殺したくない。
彼にぱっと背を向けて駆け出す。
いつの間にかドアが開いていたことにも気がつかず駆け出した私は、すぐに見知った香りで一杯の胸板に顔を埋めていた。
「……テディール。俺の嫁に触るな」




