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「病院行った方が良いんじゃないかぁ?」

「大丈夫です。寝ていれば治りますから」


 本当は大丈夫じゃないし、涙が出そうないくらい苦しい。

 

 昨日の明け方から私は高熱を出していた。

 目眩がするほどの高熱で足下はぐらつき、店長が持ってきてくれた水もほとんど飲めていない。

 

 病院に行った方がいいことは、自分でもよくわかっている。

 けれど、私の血は吸血鬼をも殺す毒。

 医者に行って、「では、血を抜いてみましょうか」なんて話になったら、誰かを事故で殺してしまう可能性がある。

 だから、なにも知らない店長には笑顔で「大丈夫です」とやせ我慢をするしかなかった。


「本当にやばくなったら、ワルターさんに連絡もして医者を呼ぶからな。それでいいな?」

「はい。厄介になっているのに、お店に立つこともできずにごめんなさい」

「そんなこと気にすることじゃないだろぉ? アコナちゃんはよい子で困っちまうな」


 言葉どおり困った表情をした店長が、私の額に乗せた濡れタオルを交換してくれる。

 冷たさは気持ちよかったけど、あまりに熱が高くて一瞬で吸い取られてしまった。


「じゃあ行くけど、何かあれば呼ぶんだぞ。ベル置いとくからな」

「はい」


 お客さんが来店を知らせるためのベルをサイドテーブルに置いた店長が、心配そうに何度も振り返りながら出て行く。


 ドアが閉まったところで、私は荒い息を吐き出した。

 本当は胸が苦しくて苦しくて、死んでしまいそうだったのだ。


 指一本動かすのもけだるい体だけれど、なんとか腕を持ち上げて、手首の内側の数字を見る。

 『201d』と刻まれた数字は、血の色をしている。

 その血の色が最初の鮮やかな赤から、どんどんドス黒いものに変色してきていることに気がついたのは、つい最近のことだ。


 そして、この体調の悪さ。

 私は自分の体が死に向かっていることを、今まざまざと突きつけられていた。


「ワルターさん」


 かすれた声で彼の名前を呼んでしまう。

 耳鳴りがして、自分の声もよく聞こえない。


「ワルターさん、ワルターさん」


 閉じた目尻から、涙粒が転がったのがわかる。

 頬を滑り落ちた涙は、耳の横から枕へと吸い込まれていった。


 会いたい。会いたいよ、ワルターさん。

 でも、私。明日あなたに再会したら、あなたに好きではなくなったと告げる。きっと、告げてみせる。


 私は、こうやって死んでいく。

 そのとき、優しいあなたが少しでも悲しまないように。苦しまないように。


「ワルターさん」

「いるよ」


 ベッドが軋む。


 幻聴が聞こえたのだろうか。

 震えるまぶたを持ち上げると、傍らに座っているワルターさんの顔が見えた。

 銀色の髪を垂らして、彼は私を覗き込んでいる。

 心の底から愛しいと、そう告げてくる表情で。


「どうして……?」

「明日で一ヶ月だろう。一日くらいおまけしてくれ。君に会いたくて仕方がなくなってしまったんだ」


 額のタオルで、彼が私の汗を拭ってくれる。

 

 虚ろな頭で彼に再会したら言うべきだった言葉を、どうにか思い出して口にした。


「私、もうワルターさんのこと好きじゃないです」

「嘘だな」


 毎日鏡の前で練習した言葉は一蹴された。

 言うたびに悲しくて、寂しくて、それでもどうにか言えるようになった言葉だったのに。


 動揺してワルターさんを見る。

 ベッドの脇に腰掛けた彼は、途方もないくらいに甘い表情をしていた。


「君の花は嘘を吐かない。愛していると、その味が告げてくれた。君が血の毒に犯されて苦しんでいると、花が教えてくれた」

「……なんですか、それ」


 がんばったのに。

 ワルターさんに幸せになってもらいたくて、がんばったのに。


 熱の苦しみと悔しさ、そして何よりも彼がまだ私を愛してくれていたことに安堵して、涙がこぼれてしまった


「私の作戦は意味、なかったじゃないですか」

「なんだ。俺に好きじゃないと言って、俺を救ってくれるつもりだったのか?」

「そうですよっ。ワルターさんのために、ワルターさんを傷つけようって思っていたんです……! とっても罪深いことだったんです」

「苦しんでまで離れようとしてくれていたんだよな。ありがとう。俺が弱くて、すまなかった」


 ひぐっとしゃくりあげる。

 くしゃくしゃの顔をワルターさんは、タオルで拭ってくれた。


「アコナ。君と愛し合って生きた末に迎える別れに、俺は備えたい。そのための手伝いをしてほしいんだ」

「……なんですか?」

「俺の隣で幸せに生きて欲しい」


 熱い手を握りこまれる。

 その力強い手が、頼もしかった。


「俺の隣で笑って、泣いて、怒って。精一杯生き抜いて欲しい。その思い出を糧に、俺は生きていくから」

「私が幸せに生きるだけで、ワルターさんは生きていけるんですか?」

「そうだ。君の幸福が、俺の幸福だから。帰ってきてくれ、アコナ。呪いを解いて、幸せに長生きをしてくれ」


 幸せすぎて熱が上がったような気がする。

 目元を拭って、私は静かに頷いた。


「もちろんです。大好きです……。ワルターさん」


 お互いに熱いまなざしで見つめ合う。

 幸せだけれど、熱でクラクラしてしまう。

 ふっと意識が飛びそうになったところで、ワルターさんは慌てた様子でサイドテーブルの水に手を伸ばした。


「すまない。浮かれていた。水は飲んだ方が良い。飲めるか?」

「いらないです……」

「飲まなければ、余命より先に死ぬだろう」


 言うや否や、ワルターさんは水を呷る。

 体は水を拒絶しているのに、ワルターさんが水を飲むと「ああっ、私の水なのに」と思ってしまった。

 彼はぼんやりしている私に上半身のみ覆い被さると顔を近づけてきた。


「口、開けて」


 言われるがまま小さく口を開けると、彼が唇を重ねてくる。

 キスされてる!? と困惑したのも束の間。

 口の中に少しずつ水が入ってきた。


 顎をあげられたら、水は飲み込むしかない。

 苦しくて、彼の腕にすがるとかき抱くように抱きしめられた。


 少しずつ、少しずつ水が喉を通っていく。

 体は楽になった気がしたけれど、芯の部分は逆に熱くなってしまったような気がした。


「……飲めたか?」


 唇を離したワルターさんが、かさついた声を舌に乗せる。

 ごくんと唾液を飲み込んだ私は、だらしなくねだってしまった。


「もっと、ください」


 涙目でねだると、ワルターさんは一瞬放心して水差しに手を伸ばす。

 でも、その手は空振りをして、隣にあったベルを落とした。


 リンッ、リンリン。


 床に転がったベルが音を立てる。

 数秒も経たないうちにたたき開かれたドアからは、店長が現れた。


「アコナちゃん!? だいじょう、ぶ……だったな。ごめん」


 私に上半身で覆い被さっているワルターさんを見て、店長はすごすごと退散していく。


 一瞬ぽかんとしてしまった後、私とワルターさんが爆発したように赤くなってしまったのは当然の結果だった。


 翌日。私の余命が200日を迎えた日。

 私は店長に礼を言い、ワルターさんと共にディナス家へ帰宅した。

 歓喜の表情で出迎えてくれたピアナが私に抱きつくのを、ワルターさんは拗ねたような表情で見ていておかしかった。


 こうしてこの日、私とワルターさんは本当に愛し合う夫婦となった。

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