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プティエからディナス家は、貴族なら馬車を使う距離。
けれど、一般人であれば、歩けない距離ではない。
ピアナは行く宛てがないと言っていたし、薄情な子ではない。
居なくなるとしても、まずはワルターさんと私に、挨拶はするだろうと思っていた。
まず間違いなくディナス家にいる。
そう考えていた私の勘は当たったらしい。
店長に手を引かれて走り、息も絶え絶えのまま見たディナス家の門前には、珍しくワルターさんが立っていた。
こちらを見て、彼は一瞬表情をしかめる。
「……随分と、仲良く走ってきたのだな」
「すまん、ワルターさん! ピアナはどこにいる!?」
店長が珍しく大声を張り上げる。
私も聞きたかったけれど、声が出なかった。
息が苦しい。
人生で一度もしたことのない全力疾走は肺にクる。
ワルターさんにだけは、必死で呼吸をする顔は見せたくなかった。
膝に手を突いて、どうにかこうにか息を整える。
「それを教えるために、ユリウスが来るだろうと思って、ここで待っていた。ピアナは伝説ハンターとして再び旅に出るそうだ。アコナによろしくと言って、自室で荷造りをしている」
「邪魔するぞ!」
「おい、待て! ピアナの自室の場所がわからんだろうに……」
店長はワルターさんの返事も待たずに、門を開けて、屋敷へと突入していく。
とりあえず書庫の方ではなく、屋敷の方へと駆けていったから、テディさえ見つけられれば大丈夫だろう。
けれど、心配なものは心配だ。
「アコナも待て」
ひいひい言いながら、追いかけようと踏み出した私の腕をワルターさんが、捕まえる。
汗だくの顔を見られたくなくて、俯いた。
「ピアナが死んでるってこと、はぁ、店長が知っていたんです。あの子、ゾンビだってバレたら嫌われちゃうって不安がっていたから……、心配で。私、店長にもピアナにも、絶対に、幸せになって欲しいんです……」
「走ったことなど、人生でそうないだろう。まったく……ボロボロではないか。もっと、君は自分を大切にすべきだ。そして、もっと夫になる俺を頼るべきだ」
どうしてか、ワルターさんは拗ねた子どものような声を出している。
不思議に思って顔をあげようとした瞬間。
背中に彼の腕がまわり、気が付けば彼に抱き上げられていた。
「ふわっ!?」と出したこともないほどに、情けない声が出る。
バランスを崩しかけて、慌てて彼の首に腕を回してしまってから、その美貌の顔が近すぎることに気が付く。
思わず、体をぐっとそらして彼の顔から遠ざけた。
「わ、わわ、私、今、汗臭いと思うんです!」
「君の汗は、花の香りがするぞ。実においしそうな香りだ」
「へ!? へ、変態っ!」
「だから、なぜそう君は人を変態扱いするんだっ。ユリウスに手を引かれなければ、走れないほどに辛いのだろう。俺なら、君にそんな苦労はかけない。君を抱いて走れるからな」
なぜ店長と張り合っているのか。
恥ずかしくて、よく頭が回らない。
混乱している間にも、ワルターさんは私を抱えたまま走り出した。
バランスをとるためにも、彼にしがみついていなければならない。
汗臭い気がして仕方がなかったけれど、ワルターさんは何も言わずに、屋敷の中へと入った。
「ピアナ! 開けてくれ! 悪かったよ!」
階段を上がる途中で、店長の声と共にドアをたたく音がする。
さすがに、抱かれたままこの修羅場に登場するわけにはいかない。
ワルターさんの胸をたたいて、「もう大丈夫です」と訴えると、彼は渋々おろしてくれた。
ワルターさんと共に二階の廊下に出ると、一番手前のピアナの部屋の戸を、店長が一生懸命たたいていた。
店長を見守っていたテディが、こちらにドーム型の頭部パーツについた長方形の黒い窓を向ける。
「ピー。危険、危険。このままではドアが破壊されます」
「それは困るな……」
テディの警告も、ワルターさんの困り声も、必死な店長には届いていないらしい。
私は、店長の傍に歩み寄ると彼の肩をたたいた。
「店長、恋する乙女の心は、過去に恋する乙女だった私が一番わかりますっ。私がドアを開けますので、少々お待ちください」




