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03


 何度も。

 何度も何度も、髪をつかまれて湖に沈められる。

 抵抗していたのは最初だけ。

 すぐに抵抗なんてできなくなった。


 お母様は強化魔法でもかけているのか、強い力で私を沈めては、呼吸できなくなったところで引き上げる。

 そんなことを何度も繰り返されている内に、呼吸をするだけで精一杯になっていた。


 馬鹿だったな。

 慰めてもらえるんじゃないかと一瞬でも期待してしまった。

 

 お母様は、私のことを嫌いなんかじゃなかった。

 どうでもよかったんだ。

 その証拠に、こんな状況でも空っぽの目は私を見てくれない。


 お母様と目が合ったのは、人生で一度だけだ。

 階段で足を滑らせたお姉様をかばって転落した、幼い頃のあの時だけ。


 あらぬ方向に曲がった足を押さえて呻く私を見て、お姉様は傍にいたお母様を泣きながら呼んできた。

 駆け寄ってきて私を見据えて、お母様は私を抱きしめた。


「おまえの役割はそれよ。よく覚えていなさい」


 それから私は、もう一度だけでもいいから、お母様に抱きしめてもらいたくて、お姉様に尽くすようになった。


 それが、私の役割だと思っていたから。


「が、ふっ、ぐぅ」

「ちゃんと息をしなさい」


 口に入った水を吐き出して、ひゅうひゅうと鳴る呼吸が整うと、また水に沈められる。

 湖の中で苦しさにもがいても、お母様は助けてはくれなかった。


 馬鹿だった。馬鹿だった。

 マティアスに幸せにしてもらおうなんて思っていたのも馬鹿だった。

 お母様に抱きしめられたいなんて思っていたのも、馬鹿だった。

 誰かに期待して、自身の幸せを預けていたことは、本当に愚かなことだった。


「っしに、死にた、くない! 死にたくないッ!」


 森に私の悲鳴が響く。

 何度沈められたのか。


 被っていた黒いウィッグは、いつのまにか湖の底に沈んでしまったらしい。

 赤髪をつかんだお母様は、叫びを聞いても表情を変えなかった。

 また沈められるのかと構えた瞬間、ぐっと髪を引きずられる。

 痛みに呻いていると、湖の縁に引き上げられた。

 助かった?

 生きてられるの?


 苦しみから解放されたことに、自然に涙がこぼれてえずく。

 四肢に力が入らずに、地面に投げ出されたままの私を置いて、お母様は歩き出した。


「風邪を引く前に帰りなさい」


 帰る?

 どこに?


 お母様の足音が遠ざかっていく。


 太陽はいつの間にか沈んでしまったらしい。

 月明かりを反射して不気味に煌めく血の色の湖をぼんやり見ながら、どうにか体を起こした。


 どこに、帰れば良いんだろう。

 私を殺そうとしたお母様のいる家に帰れとでも言うの?


 マティアスも、もう頼れない。

 プティエには、どんな顔をして帰ったらいいのかわからない。


「……どこに、どこに行けばいいの?」

「俺のところはどうだろうか」


 震えた声は無意識に出たものだった。

 だから、誰かが返事をくれるだなんて思っていなかった。


 知っている甘い香りがする。

 彼がどうしてここにいるのかなんて、考える余裕もなかった。

 隣を見ると赤い瞳と目が合った。

 いつの間にか隣にいた彼――ワルターさんは、苦しそうな表情でこちらを見ている。


「もっと早くさらいに来るべきだったな。……すまなかった」


 辛そうな声を出したワルターさんは、私を引き寄せて抱きしめる。


 冷えきった体に、ワルターさんの温もりが伝わると、抑えていた感情があふれ出した。


「うっ、う、あああああ」


 怖かった。

 悲しかった。

 辛かった。


 ぐしゃぐしゃになった感情は、泣き叫ぶ声となった。

 遠慮なく泣きわめく私の背を、ワルターさんはずっと撫でてくれていた。


 それからは、記憶がない。


 泣いて泣いて、涙が涸れ果てるまで泣いて。

 その後は崩れるように意識を失ってしまった。


 だから、どうして自分がこんなところにいるのか理解できない。


 ふかふかの大きなベッドの上。

 そこから見える家具はすべて年代物ではあるけれど、見れば一瞬で上等品だとわかるもの達ばかりだ。

 見渡す部屋はとても広くて、一人分の部屋とは思えないほど。


 多分ここはワルターさんの家なのだろうけど、もしかすると彼は貴族なの?

 社交界では、見たことがないんだけど……。


 戸惑っていると、重厚なドアからノック音が聞こえる。

 「はいっ」と弾かれたように答えた声は泣きすぎたせいで、カサついていた。


「あっ、起きた!?」


 元気な声が聞こえてきて、ドアが激しく開かれる。

 爽やかな柑橘系の香りとともに現れたのは、まぶしい金髪の小柄な少女だった。

 黒く長い丈のワンピースに白いエプロンのメイド服を着ているから、きっとメイドなんだろう。


 ベッドに起き上がっている私を見るなり、空色の目をまん丸にした彼女は、どばっとその目から涙をあふれさせた。


「うわああ! よかったぁあ! アコナ、おはようぅ!」

「お、おはようございます」


 困惑しながらも、私は掠れた声で挨拶を返した。


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