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 一度、落ち着かなければ。


 いつの間にか泣いてしまっていた私は、涙を拭う。


 マティアスも同じように思っていたのだろう。

 興奮を抑えるように肩で息を吐いた。


「はあ、結婚式の日取りを決めた日。馬車が壊れてグロウ家の屋敷に泊まったよな。あの日、リーリスはオレの部屋に忍び込んできた。アコナではなく、自分を選んで欲しいと」

「お姉様の気持ちなんて、まったく気が付いていなかったわ」


 幼い頃から、マティアスとお姉様も顔見知りだった。

 だけど、お姉様がそんな気持ちでいたなんて、全くわからなかった。


 マティアスは困ったような表情を見せて、ようやく椅子に座る。

 息を整えて、彼は言った。


「気が付いていなくて当然だ。リーリスがオレを愛しているだなんて、きっとあいつの嘘だからな」

「嘘? お姉様は、どうしてそんな嘘を?」

「理由はわからないが、彼女はオレのことなんか欠片も愛していない。結婚してからは、会話もないに等しい。なぜあんな風に言い寄ってきたのかは、あのときも今もわからん」

「でも、マティアスはお姉様を選んだじゃない……」

「そうだ……。アコナを食べてしまうかもしれないという恐怖と戦うくらいなら、愛していないリーリスと結婚した方がいいと思った。オレは、逃げたんだ」


 愛する人を食べてしまうかもしれないという恐怖は、想像することしかできないから、逃げるななんて言えない。


 だけど、その恐怖を理由に捨てられた私の気持ちは、言うことができた。


「だからって、あんな、結婚式当日に婚約を破棄することなかったじゃない」

「悪かった…。アコナとは、もう会わないつもりだった。酷いことをすれば、もうオレの前には現れないんじゃないかと。それなのに、君が婚約したと聞いて、オレは本当に後悔してしまった」

「随分……、勝手だと思う」


 ティーテーブルに手を置いたマティアスは黙り込む。


 彼は私を愛しているからこそ、食べてしまう恐怖から逃れるために、婚約破棄したことはわかった。


 でも、愛されているから許せるかと言えば、違う。

 マティアスへの恋心が残っているからこそ、彼を許すことはできなかった。


「マティアス。まだ、私はあなたに食べられるなら、それでもいいって思える。それくらいに、あなたのことが好きよ」

「……ああ」

「だからこそ、逃げ出したあなたを、私は許せない。あなたが抱えている恐怖を分けてくれなかったことが、一番悲しい」


 声が震える。

 涙があふれる。


 マティアスが、そっと頬に伸ばしてきた手は、強い意思を持って払った。


「マティアス。私は、もうあなたの婚約者じゃない。ふたりきりで会うのも、これが最期よ。私があなたを許せるのは、あなたへの恋心が終わる時。それまで私は苦しむから、あなたは覚えていて」


 優しいマティアスには、私の言葉は呪詛のようなものだっただろう。

 

 けど、言わずにはいられなかった。


「ワルターさんのところに戻ります。これからは、私とあなたは義理の兄と妹です。気軽には触れないでください」

「……ああ。わかった。客室まで送ろう」

「結構です。そちらの騎士の方に案内してもらいますので」


 立ち上がったマティアスを置いて、列柱廊(れっちゅうろう)で待機していた騎士の元へ行く。


 客室に案内してくれる騎士に着いていく途中。

 東屋(あずまや)を振り返ると、マティアスは椅子に座ったまま、ぐったりとうなだれていた。

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