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マティアスとお姉様の新居が見えると、私の口数は明らかに減ってしまった。
「大丈夫だ。何があっても、俺がいる」
緊張して震える私の手に手を重ねて、ワルターさんが言ってくれる。
それだけで、勇気をもらえた。
馬車が止まる。
御者が扉を開くと、ワルターさんが先に馬車を降りた。
エスコートするために差し伸べてくれた彼の手に支えられて、馬車の扉をくぐって外に出る。
お姉様は、こちらを見て目を丸めていた。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます」
微笑みながら、お辞儀をする。
心臓が飛び出しそうなほど緊張していたけど、噛まずに言うことができた。
「アコナ。驚いたわ。ウィッグはやめたの?」
「はい。……私は、私のために生きると決めたので」
お姉様のために尽くすことはもうやめます。
言外にそう宣言した私に、お姉様の表情が一瞬不愉快そうに歪む。
けれど、さすがはお姉様。
すぐに女神の微笑みをその整った顔に浮かべて、ワルター様に向き直った。
「ワルター様ですね。直接お会いするのは初めてですが、お噂は聞いておりました。お会いできて幸栄です」
「こちらこそ。アコナの姉上は、どんな方なのだろうと思っていました」
お姉様はふんわりと花の咲いたような笑顔で、優雅なカーテシーを披露する。
宝石のように輝く、鮮やかな紫の瞳は、まっすぐにワルターさんを捉えていた。
対して、ワルターさんは仮面みたいな微笑みを浮かべているばかりだ。
初対面の人はあまり得意ではないのかもしれない。
「アコナが本当に元気そうでよかったですわ。お母様に様子を聞いても教えてくれないんですもの。心配していたのですよ」
「ギゼラ様は、アコナについて何もおっしゃらなかったんですか?」
「ええ。いつもの調子で『知る必要はないわ』とばかり。だから、アコナが心を病んで引きこもっているのではないかと、とても心配していたんですよ」
病むかもしれないような裏切りをしたのは、あなた達なのに。
嫌な気持ちが表情に出ないように気を付けながら、私はここに着いてからずっと抱いていた疑問を口にした。
「マティアス様は、お元気ですか?」
どうしてここに彼はいないのだろう。
体調を崩しているのか、仕事が忙しいのか。
この期に及んで、気になるのはマティアスのことなのだから、自分にあきれてしまう。
お姉様は、拗ねたような表情で答えた。
「マティアス様は王都近隣の魔獣退治に行っているわよ。最近ずっとなの。騎士団も忙しくて、帰ってこない日も多いわ」
「魔獣退治、ですか」
思わず、眉を寄せてしまう。
確かに王都近隣の森には魔獣が住んでいるけど、普段は人を襲ったりはしない。
狂暴化しているという噂は、聞いたことがない。
まったくもって通常時である現状で、次期騎士団長であるマティアスが前線に出るだろうか?
不思議に思ってワルターさんを見ると、彼も疑問に思っていたらしい。
怪訝そうな表情をしているワルターさんと目が合って、ふたりで首を傾げてしまった。
なんだか不穏な気持ちになっている私たちをよそに、お姉様は傍に控えていた騎士に門を開けるように指示を出す。
「客室に参りましょう。ワルター様のお話が、たくさん聞きたいですわ」
お姉様が先導して、中へと入る。
ワルターさんの後に続いて歩き出そうとしたところで、後ろから蹄の音がした。
「ッアコナ!」
振り返ると、馬から飛び降りたマティアスが走ってくるところだった。
結い上げた夜空色の髪が絹糸のように流れる。
群青色の瞳は、必死の光を帯びて私を捉えていた。
マティアスの手が、こちらへ伸びる。
その手首を握って止めたのは、ワルターさんだった。
「彼女は、もうあなたの婚約者ではありません。気軽に触れないでいただきたい」
ワルターさんの声は、今までに聞いたことがないほど冷たい。
威圧的なその声に私は硬直してしまったけれど、息を切らしたマティアスは眉を下げて申し訳なさそうな表情を見せた。
「これは失礼しました、ディナス魔法伯。必死だったもので……。ただ、アコナと少しふたりで話がしたかっただけなんです。まだ、きちんと謝罪ができていなかったので。……ダメか? アコナ」
大好きだった夜の湖みたいな瞳が、私を見ている。
なのに、少し前みたいに、その瞳を見つめるだけで胸がときめく感覚はなかった。
「ワルターさん。行ってきてもいいですか?」
「ふたりきりで、大丈夫なのか?」
彼の優しさは嬉しかったけれど、私は首を横に振った。
「何があってもワルターさんがいてくれるので、私は大丈夫ですよ。きちんと過去に向き合ってきます」
マティアスとは別れ話すらもできなかったから、一度ちゃんと話をしたいと思っていた。
そして、その時の私の姿は、きっと醜いものになる。
ワルターさんに、そんな姿は見られたくはなかった。
「では、ワルター様はわたくしと参りましょう。マティアス様、先にお茶をはじめておきますわね」
「わかった」
マティアスとお姉様の会話は淡泊だ。
視線すら合わせないふたりを見ていると、ワルターさんがこちらに歩み寄ってきた。
何事かと思っているうちに、耳元に彼の唇が寄せられる。
「何かあれば、呼ぶんだぞ。人目のあるところで話をするように。杖もちゃんと持っておけ」
「はい。ふふっ」
「何がおかしいんだ。心配しているんだぞ」
「なんだか、マティアスを怖いものみたいに扱っているのがおかしくて」
「男なんぞみんな獣だ。気をつけろよ」
こそこそとした会話を終えて、微笑みあう。
最後にぽんぽんと頭を撫でて、ワルターさんはお姉様の後に続いていった。
「では、マティアス様。私たちは、別れ話をしましょうか」
マティアスを振り返った私は、きっと戦う表情をしていた。




