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 マティアスとお姉様の新居までは、馬車で半日かかる。


 マティアスが次期当主となるジル公爵家は、王を守る騎士団の団長を代々務めている。

 その仕事柄、ジル家の敷地は城のすぐ近くにある。

 そして、その位置はディナス家の屋敷から見ると、城を囲む外壁をぐるりと回った裏側だ。


「ずーっと城の壁ですね」


 外の景色はつまらない。

 だけど、それでも外ばかり見ていたのは、理由がある。


 向かいに座ったワルターさんを見ていると、彼が吸血衝動に襲われたあの晩を思い出すからだ。


 あの晩は、ふたりでお酒を飲み過ぎて、血流がよくなっていたこともあって、ワルターさんは吸血衝動に苦しめられたらしい。


 ワルターさんは謝っていたけれど、嫌だったわけではない。

 ただ、あれだけ密着してしまった夜を思い出すと、恥ずかしかった。


「マティアスは、ジル家の実子ではなく、養子だそうだな」


 不意にふられた話題に、思わずワルターさんを見る。


 彼も私の方は見ずに、ただ横に流れるだけの単調な城壁を見つめていた。


「はい。マティアスは、ドータス伯爵の子だったんです。両親が亡くなられて、子ができなかったジル家に引き取られたそうですよ」

「ドータスの一族は、確か異様に力が強かったな。家系に流れる魔力によるものだと聞いたが」

「マティアスは、その能力を買われて、ジル家にもらわれたと聞きました。養子ですが、大事に育てていただいたと言っていましたよ」

「そうか」


 ガラガラ。

 馬車の車輪の音だけが響く時間が、またやってくる。


 ワルターさんは、この空気が気まずくて私に話しかけてくれたのだろう。

 でも、その話題も終わってしまった。


 きっとワルターさんも、馬車の中でふたりきりという状況に、あの晩のことを思い出しているに違いない。


 この重たい空気を、どうにかしたい。

 そろりと様子を窺うと、ワルターさんもちょうどこちらを窺っているところで、目が合ってしまった。


「俺もなんだが、前に一緒に馬車に乗ったときのことを、思い出しているだろう」

「……はい」


 図星を言い当てられて、素直に頷く。


 ワルターさんは、窓の外に向けていた顔を困った表情に染めてこちらに向けた。


「急に抱きしめてしまったりして、申し訳なかった」

「いえ、驚きましたけど、嫌ではなかったので大丈夫です」

「だが、馬車に乗ってから、ずっと緊張しているだろう」


 それは否定できない事実だ。

 思わず、唇を結んで黙ってしまう。


 ワルターさんは眉を下げて、銀の髪を耳にかけた。


「怖がられて当然だ。馬車を分けることも考えたのだが、婚約の挨拶に行くというのに、それもおかしな話だろう。前よりはだいぶ長旅だが、我慢してくれるか?」

「我慢だなんて、そんな。怖くもないので、本当に大丈夫です」

「怖くなかったのか?」

「むしろ、申し訳なかったくらいです。私は毒血(どっけつ)の呪いを受けているのに、血流をよくして吸血欲求を煽っただなんて。もう申し訳なくて……」

「うん? じゃあ、なぜ緊張しているんだ?」

「へ?」


 素っ頓狂な声をあげた私に、ワルターさんは首を傾げる。


「怖がっているのかと、思っていたんだが」

「怖くないですよ。ワルターさんが私に酷いことをするとは、思っていません。吸血衝動に駆られたとしても、賢いあなたが私の毒にされた血を飲むとも思えませんし……」

「急に抱きしめられたことも、怖くはなかったと?」

「はい。あ、でも、緊張しているのは事実です。その……、なんだか恥ずかしくて」


 もじもじと答えたけど、ワルターさんはわからない様子だ。


 不思議そうにしている彼は、納得していない。


 私が彼を怖がっているという誤解を、このままにはしたくなかった。


「言うのも、恥ずかしいんですけど。ワルターさんに抱きしめられたとき、細いのに体が思ったよりしっかりしていて、驚いたんです。ワルターさんは、男の人なんだなって」

「それで、緊張していたのか?」

「ふ、ふたりきりで狭い密室は、ドキドキするなぁって」


 抱きしめられた温もりは、心地よかったくらいだ。


 また抱きしめられたいなんて思ってしまう、不埒な自分も恥ずかしい。


 体中がぽかぽか熱くなって、ぱたぱたと顔を手であおぐ。

 ワルターさんは、自身の顔を両手で覆った。


「……なんっだ、この感情は。おかしいぞ。これでは、愛してしまっているようだ。違うぞ。違う。まだ大丈夫だ」


 ぶつぶつと、呪文のようにワルターさんは呻く。

 しばらく顔を覆ったまま天を仰いだ彼は、深く息を吐いて、うなだれる。


「アコナ。緊張しなくていい。吸血衝動も今はないのだし、こんな場所でいきなり襲うほど紳士を捨てたわけでもない。抱きしめるときは、君の許可をとる」

「また、抱きしめてくださるんですか?」


 声に喜色が滲んでしまった。

 「うう」と今度は私が顔を覆う。


「ち、違うんです。これは、友好的な感情なんです……!」

「そうだな! お互いそうだ。そうに違いない」


 ふたりでうなずき合って、この感情は友好的なものだと確かめ合う。


 馬車は、もう少しでマティアスとお姉様の新居にたどり着く。


 根拠はないけど、今の私たちの親密度なら契約結婚を疑われることはないだろうという、勇気を持つことができた。

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