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02

 結婚式当日の朝は、早くに目が覚めた。

 緊張していて昨夜はよく眠れなかったけど、目覚めはとても爽やかだった。


 今日、私はマティアスのお嫁さんになる。


 ウキウキしながら朝の支度をしていたら、ドアがノックされ、メイドが入ってきた。


「マティアス様がいらしております。お話があるそうです」

「え? 何かあったの?」

「私にはわかりかねます……。応接室でお待ちです」


 用件だけ告げたメイドは、さっさと下がっていく。


 今日は挙式する教会の控え室で、マティアスと会う予定だった。

 こんな朝早くに来るということは、式になにか変更したい点があるのかもしれない。

 いつも通り黒い長髪のウィッグを被って簡単に支度をしてから、足早に応接室へと向かう。


 先ほどのメイドが何故か気まずそうな表情で開けたドアの向こう側には、マティアスだけではなくお母様とお姉様もいた。

 お母様の対面にある二人掛けのソファーにマティアスがお姉様と一緒に座っている。

 その配置が、とても胸に引っかかった。


「おはようございます。遅れて申し訳ありませんでした」

「座りなさい」


 私を一瞥もせず、お母様が無機質に告げる。

 マティアスの隣に座るべきだろうけど、お姉様がそこにいるから、お母様の隣に腰掛ける。


 真正面にいるマティアスは、今日も素敵だ。

 夜空色のしなやかな髪をひとつに括りあげ、こちらを見据える怜悧な深い海のような瞳が美しい。

 その瞳は、何かを決意したように輝いていた。


「マティアス、朝早くにどうしたの? 式に何か変更点でも……」

「花嫁を変更したいんだ。オレはリーリスと結婚する」


 人は驚きすぎると、声も出ない。

 目を見開いて固まっていると、花嫁に選ばれたお姉様が眉を下げた。


「ごめんなさい、アコナ。こんなつもりではなかったのよ。けど、わたしにはマティアス様が決めたことを覆すことはできないわ」


 頭が真っ白だ。

 震える唇を隠すこともできずに、救いを求めてお母様を見る。

 お母様は虚空を見つめるような目のまま、やっぱりこちらを見なかった。


「世間には、ジル家とグロウ家の結婚としか発表されていない。花嫁が変わっても、気づくのは近い者たちだけ。両家この件は了承済み。『わかりました』と言いなさい。必要ないのに、おまえの了承が欲しいとマティアス様が言ってくださっているの」


 お母様の冷たい声に、頭を殴られたような心地がする。

 ぐらぐらする視界でマティアスをとらえた。

 彼は膝の上に乗せた手をぐっと握りしめて、惨めな私を見ていた。


「マティアス……? どうして?」


 泣きそうな声が出たことが情けない。

 唇を噛んで、どうにか涙はこらえた。


 マティアスは小さく息を吐いて、答えた。


「オレは、ずっとリーリスを愛していたからだ」


 どうにか保っていた心の形は、ぐしゃりと潰れた。


「……わ、かり、ました」


 目眩がする中、どうにか答えた声は掠れていた。


 *


 私がマティアスの隣で着るはずだった華やかなドレスは、私よりもお姉様の方がずっと似合っていた。

 プラチナブロンドの髪を美しく結い、ウェディングドレスを身にまとったお姉様が微笑むと、女神みたいだ。


 ドレスの胸につけたブローチだけは、こんなことになるんだったら回収しておけばよかった。

 あれは、マティアスが私の誕生日にくれた宝物だったから。


「では、誓いのキスを」


 神への誓いが終わると、神父様がキスを促す。

 それまで虚勢を保って、いつも通りの愛想笑いを浮かべていたけど、ふたりのキスだけは見たくなかった。


 目を背けるために俯く。

 お姉様の美貌を際立たせるために、いつも俯きがちでいたおかげで、こんな場面で俯いていても目立たなかったことは幸いだった。


 誓いのキスがされたのだろう。

 祝福の鐘が鳴り響き、花が舞い、拍手が沸き起こる。


 店長、今頃拍手してくれてるのかな。

 ……ごめんなさい。幸せになれなくて。

 申し訳なさで、立っていることすらも辛かった。


 つつがなく進んだ結婚式が終わった後、馬車に乗ったマティアスとお姉様は、私がマティアスと住むはずだった屋敷へと去って行った。


 取り残された私は茫然としていた。

 まさか、今日がこんな日になるなんて思ってもいなかった。

 なんだか夢でも見ているような気分だ。

 

「拭きなさい」


 視界に突然現れたハンカチを差し出したのは、お母様だった。

 何を拭けば良いんだろうと思ったところで、自分が泣いていることに初めて気が付いた。


 お母様はいつも私が見えていないみたいな人だから、ハンカチを渡されたことに驚いてしまう。

 ぎこちなくお礼を言いながらハンカチを受け取っても、お母様は馬車が走って行った方だけ見ていた。


「来なさい」


 言われたとおりに涙を拭っていた私に、お母様は次の指示を下す。

 既に歩き出していたお母様に慌てて着いていくと、そこにはグロウ家の馬車が止まっていた。


 お母様は、普段私なんかと一緒の馬車には乗らない。

 なんだろうと思いつつも乗り込むと、お母様は冷たい声で訊ねてきた。


「今日で十八になったわね?」


 話しかけられたことに驚いて返事は遅れたものの、どうにか「はい」と頷く。

 お母様はこちらを見ることもなく、私の答えに返事をすることもなく、ただ虚空を見つめていた。


 家に帰るのだとばかり思っていたのに、馬車はその一歩手前で止まった。


 グロウ家のはじまりは勇者だと言われている。

 その勇者が訓練をするために使っていたとされるこの森は、グロウ家の敷地であり、聖地だ。


 日が落ちかけているから、森の奥は暗い穴が空いているみたいで不気味だ。

 そんな森の前で、お母様は私を連れて馬車を降りた。 


 どうしてこんな場所に来たのか。

 そんな質問をする勇気も出ずに戸惑っていた私を置いて、お母様は暗い森へと進んでいく。

 立ち尽くしているわけにもいかず、私も後へと続いた。


 この聖地がグロウ家の敷地であることは知っていたけど、訪れたのは初めてだ。


 グロウ家の始まりと言われる勇者ジュールは、この森で訓練をして、国を脅かしていた吸血鬼を滅ぼしたと言われている。

 下町の子どもたちでも知っている伝説の英雄譚に出てくるこの森は、もっと開けたイメージだったけど、おどろおどろしいものに感じられる。


 お母様が歩く道は、植物がそこだけを避けたように生えていて、周りは鬱蒼とした森に囲まれている。

 ここは不思議な魔力が漂っていて、空気が重く感じられた。


「来なさい」


 しばらくの間、無言で歩いていたお母様が口を開いたのは開けた場所に来たときだった。

 呼ばれて歩み寄った先は湖の縁だ。


 もしかして、お母様は私に綺麗な湖を見せて慰めようとしてくれているのかもしれない。

 そんな淡い期待はすぐに消えた。

 沈みかけた夕日の色で赤く染まっているのかと思っていたけど、それは勘違いだと気が付いたから。


 この湖は血の色をしていた。


 底の見えない血の湖。

 その縁に呼び出された意味がわからない。

 ぞっとするような不気味さに、お母様を振り返る。

 お母様の空洞みたいな目が目の前にあった。


「……お母様?」


 嫌な予感がして、冷たい汗が流れる。


「おとなしくしていなさい」


 いつも通りの声で告げたお母様は、私を湖へと突き飛ばした。

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