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「あの、手は……、その、繋いでおきますか?」


 馬車から降りるときに差し出された手は、エスコートだと思っていた。


 だから、私が降りたら、その手は離すものだとばかり思っていたのだ。


 マティアスにも、エスコートしてもらった経験はある。

 でも、それは腕に手をかけるもので、こうして指を絡めて手を繋ぐのは初めてのことだ。


 気恥ずかしくて、もじもじしてしまう私に、ワルターさんは得意げに答えてくれた。


「貴族であり、更にまだ婚姻関係の俺たちが、これほど肌を密接に絡ませ合うのは、禁忌だとは思わんか?」

「なるほど。確かに、これはとても密接に絡み合っています」


 私の指の間に、一本ずつワルターさんの指が入っているのだ。

 これを絡み合っていると言わずして、なんと言うのか。


 まだ婚姻関係にない男女が絡み合っているだなんて、とてもイケナイことな気がして仕方がない。

 だんだんと羞恥で熱くなってきてしまう私に、ワルターさんが喉を鳴らして笑った。


「アコナは、俺に変態だ変態だと言うが、君も大概だと思うがな」

「そ、そんなことないですっ。ワルターさんほどじゃないです」

「何を言う。現に今もいやらしいことを考えただろう」


 ワルターさんは、私の耳朶(じだ)に唇を寄せて言う。


 ぞわりとした感触に、思わず耳を手で覆って、ぱっと見上げた。

 にんまりと意地悪そうに弧を描く、ワルターさんの目と視線が合った。


「や、っぱり、変態だと思うんです。ワルターさんは」

「今のは変態っぽかったことを認めよう。だが、これは真面目な実験。禁忌が、どれに該当するかはわからんからな。嫌ならやめるが、できれば我慢して欲しい」


 「どうだろう?」とご機嫌を窺われたら、私は頷くしかない。


 実際、胸の奥がもぞもぞと落ち着かないだけで、嫌なわけではないのだから。


 それに、これは私の余命を伸ばすための実験で、ワルターさんは付き合ってくれているだけに過ぎない。

 感謝こそすれ、拒絶なんてする理由もなかった。

「さて、深夜だからな。悪いことが(はかど)るぞ」

「どちらに行くんですか?」

「酒場だ。深夜に酒と飯をたらふく飲み食いするなんて、罪深いだろう」

「それは、罪深すぎます……」

「更に罪深いことに、今から行く酒場はあそこの酒場だ」


 ワルターさんが指さす先。

 そこは、貴族が普段行くような上品な場ではない。

 誰でもドンと来い! というオープンな店構えの下町の酒場だ。


 店先には酒樽でできた机と椅子が並んでいて、お客さんもたくさん見える。

 その中には顔を真っ赤にして歌ったり踊ったりしている人もいて、実に禁忌っぽい雰囲気があった。


「アコナのような綺麗な子がいると、注目を集めてしまう。不快な目に遭うことのないように、俺の傍からは離れないでくれ」

「わ、わかりました」


 不安から、握っている手に思わず力がこもってしまう。

 ワルターさんはそんな私の手の甲を、絡めた指で撫でた。


「そう堅くなるな。俺が付いている」


 柔らかく笑むワルターさんに頷いて酒場に一歩足を踏み入れる。

 すると、ワルターさんが言っていたとおりに注目が集まった。


 赤髪がやっぱり目立つからだろうかと、癖で丸りそうになった背筋は、あわてて伸ばした。

 

 こちらを見て、何やらひそひそ会話している人たちの視線が落ち着かない。

 社交界でも、いつも視線はお姉様のものだったから、こんな状況はあまり経験がない。


 緊張している私に、ワルターさんが囁いた。


「君が綺麗だから、みんな見ているんだ。男は君を放っておかない。気をつけるんだぞ」


 貴族の出会いの場である社交界でも、男性に声をかけられたことなんて、ほぼないに等しい。

 私がモテるはずはないのだけど……。

 過大評価してくれるワルターさんに、一応「はい」と返事をした。


 どこに座ろうかと視線を巡らせると、「あれぇ」という気の抜けるような声が耳に届いた。


「アコナちゃん? ……と、ワルターさん?」


 声のした方に、目を向ける。

 カウンターの隅っこには、見知った猫背の姿があった。


 ふわふわの鳶色の髪と同じ色の、とろんとした垂れ目が、こちらを見ている。

 グラスを持った手を軽く掲げたのは、間違いなく彼だった。


「店長っ!」


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