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 私が私のために生きていた時間は、プティエでお手伝いをしていた時間しかない。

 その他の時間は、お姉様に尽くすためだけに使っていた。


 だから、私は尽くす以外のことは、あまり知らない。


「……邪険には、されないはず、よね」


 ドキドキしている私が持っている銀のトレーには、ティーカップとポットが乗っている。


 ポットの中にはハーブティー。

 お屋敷の厨房に大量に置いてある中から、選出してつくったお茶だ。


 オリジナルブレンドではあるけれど、味は悪くないはず。

 緊張しながら書庫の扉を開くと、中に居たワルターさんが顔をあげる。


 柔らかな絨毯が敷かれた床にあぐらをかいて座っているワルターさん。

 彼を中心に、大量の文献が円上に広がっていた。


「どうした、アコナ。暇ならば、宝石商でも呼ぼう。女性は宝石を見ると、大概高揚すると聞く。いくらでも買えば良い」

「ワルターさんのお金でしょう。私は使えません」

「夫婦になるのだから、構わん」

「居場所も食事ももらって、これ以上甘えるわけにはいきませんから」


 きっぱり断る私に、ワルターさんは「そうか」と苦笑する。


 夫になる人が、私の意思を尊重してくれる人でよかった。

 ……吸血鬼だけど。


「ん。いい香りがするな。アコナの花の香りだ」


 ふんふんと、ワルターさんが鼻を鳴らす。

 さすが、ワルターさんだ。


「ハーブティーを淹れてきたんです。そこに、私の花をひとつだけ。お世話になってばかりでは、申し訳ないですから、少しでもお役に立てればと思って」


 床一面に広げられた文献を踏まないように、そろりそろりと移動して、彼の隣にトレーを置く。

 ハーブティーをカップに注ぐと、爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。


「ミントを中心にブレンドしたものです。集中力を高めると言われているんですよ。お口に合うといいんですけど……」

「おお、ありがとう。君はハーブの調合も天才的だな」


 カップを口元へと運んだワルターさんは、香りに目を細めてから、一口含む。

 そしてすぐに、目尻を下げた。


「うまい。爽やかで奥深い味だ。アコナの花が味に深みを増している。これは、さっきのクリーム色の花だな。どうして、朱色の小さな花にはしなかったんだ?」

「朱色の花はたぶん私です。クリーム色の花はお姉様でしょうから、こちらの方がおいしいはずなので」


 朱色の小さな花は、咲き誇るクリーム色の花を目立たせるようだった。

 私がお姉様を思って咲かせたクリーム色の花の方が、きっとワルターさんは喜ぶと思ったのだ。


 なのに、彼は困ったように眉を下げる。

 間違っていたのかしら……。


「ハブティーには、合いませんでしたか?」

「そんなわけはない。君は君を好きではないのだなということが、この屋敷に来てからの会話でずっと伝わってきていてな。それが、悲しいんだ」


 悲しい?

 どうして、私が自分自身を嫌っていることを、ワルターさんが悲しむのだろう。


 困惑して、眉を寄せてしまう。

 その眉間を、ワルターさんが指先で押さえた。


「こんなに皺を寄せて悩むことではない。俺は君のことが好きだよ。好きな相手が、自分自身を嫌っていては悲しいだろう」

「好きって……。愛さないで欲しいと、おっしゃっていましたよね」

「残念だが、友好的な感情は既に持ってしまっている。これ以上、踏み込むことは避けたいのでな。俺が愛してしまわないように、君には俺を愛さないで欲しい。だが、君自身のことは愛して欲しい」

「ワルターさんは、わがままですね。そんなに自分の感情はコントロールできるものではありませんよ」


 ワルターさんが、私を想って言ってくれていることはわかる。

 優しさがくすぐったくて、冗談めかして言うと、ワルターさんはふっと笑った。


 ワルターさんに皺を伸ばすように、眉間をこしょこしょされる。

 くすぐったさに耐えられず、私は「もう」と頬を染めて立ち上がった。


「どこに行くんだ?」

「中庭の花の世話をするつもりでいます。あれは、ワルターさんの食用ですよね。おいしい花が食べられるように綺麗にしようと思いまして」


 中庭の花畑は美しかったが、ところどころ整備が行き届いていないように見えた。

 花屋で手伝いをしていた経験を活かすのであれば、今がチャンスだろう。


 いい案だと思ったけれど、ワルターさんは眉を寄せた。


「好きなことをしていいんだぞ」

「ワルターさんの役に立つことがしたいです。……花畑の整備は、もしかして不要ですか?」


 失敗したかと首を傾げると、ワルターさんはため息をこぼした。


「俺はアコナを雇っていない。嫁にもらったんだ。どうして、そう尽くしたいんだ?」


 尽くしたい理由。

 その理由は、私にとってただひとつだった。


 少し恥ずかしくて、俯きがちにぽそりと言う。


「……誰にも、嫌われたくないからです」


 お母様にもお姉様にも、実家の使用人にも。

 嫌われたくなかった。

 今以上に、ないがしろにされる存在にはなりたくなかったから。


 人生でこびりついた価値観が、情けないものだとはわかっている。


 ちらりと様子を窺うと、ワルターさんは大きな目をぱちりと瞬かせた。

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