13
私が私のために生きていた時間は、プティエでお手伝いをしていた時間しかない。
その他の時間は、お姉様に尽くすためだけに使っていた。
だから、私は尽くす以外のことは、あまり知らない。
「……邪険には、されないはず、よね」
ドキドキしている私が持っている銀のトレーには、ティーカップとポットが乗っている。
ポットの中にはハーブティー。
お屋敷の厨房に大量に置いてある中から、選出してつくったお茶だ。
オリジナルブレンドではあるけれど、味は悪くないはず。
緊張しながら書庫の扉を開くと、中に居たワルターさんが顔をあげる。
柔らかな絨毯が敷かれた床にあぐらをかいて座っているワルターさん。
彼を中心に、大量の文献が円上に広がっていた。
「どうした、アコナ。暇ならば、宝石商でも呼ぼう。女性は宝石を見ると、大概高揚すると聞く。いくらでも買えば良い」
「ワルターさんのお金でしょう。私は使えません」
「夫婦になるのだから、構わん」
「居場所も食事ももらって、これ以上甘えるわけにはいきませんから」
きっぱり断る私に、ワルターさんは「そうか」と苦笑する。
夫になる人が、私の意思を尊重してくれる人でよかった。
……吸血鬼だけど。
「ん。いい香りがするな。アコナの花の香りだ」
ふんふんと、ワルターさんが鼻を鳴らす。
さすが、ワルターさんだ。
「ハーブティーを淹れてきたんです。そこに、私の花をひとつだけ。お世話になってばかりでは、申し訳ないですから、少しでもお役に立てればと思って」
床一面に広げられた文献を踏まないように、そろりそろりと移動して、彼の隣にトレーを置く。
ハーブティーをカップに注ぐと、爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。
「ミントを中心にブレンドしたものです。集中力を高めると言われているんですよ。お口に合うといいんですけど……」
「おお、ありがとう。君はハーブの調合も天才的だな」
カップを口元へと運んだワルターさんは、香りに目を細めてから、一口含む。
そしてすぐに、目尻を下げた。
「うまい。爽やかで奥深い味だ。アコナの花が味に深みを増している。これは、さっきのクリーム色の花だな。どうして、朱色の小さな花にはしなかったんだ?」
「朱色の花はたぶん私です。クリーム色の花はお姉様でしょうから、こちらの方がおいしいはずなので」
朱色の小さな花は、咲き誇るクリーム色の花を目立たせるようだった。
私がお姉様を思って咲かせたクリーム色の花の方が、きっとワルターさんは喜ぶと思ったのだ。
なのに、彼は困ったように眉を下げる。
間違っていたのかしら……。
「ハブティーには、合いませんでしたか?」
「そんなわけはない。君は君を好きではないのだなということが、この屋敷に来てからの会話でずっと伝わってきていてな。それが、悲しいんだ」
悲しい?
どうして、私が自分自身を嫌っていることを、ワルターさんが悲しむのだろう。
困惑して、眉を寄せてしまう。
その眉間を、ワルターさんが指先で押さえた。
「こんなに皺を寄せて悩むことではない。俺は君のことが好きだよ。好きな相手が、自分自身を嫌っていては悲しいだろう」
「好きって……。愛さないで欲しいと、おっしゃっていましたよね」
「残念だが、友好的な感情は既に持ってしまっている。これ以上、踏み込むことは避けたいのでな。俺が愛してしまわないように、君には俺を愛さないで欲しい。だが、君自身のことは愛して欲しい」
「ワルターさんは、わがままですね。そんなに自分の感情はコントロールできるものではありませんよ」
ワルターさんが、私を想って言ってくれていることはわかる。
優しさがくすぐったくて、冗談めかして言うと、ワルターさんはふっと笑った。
ワルターさんに皺を伸ばすように、眉間をこしょこしょされる。
くすぐったさに耐えられず、私は「もう」と頬を染めて立ち上がった。
「どこに行くんだ?」
「中庭の花の世話をするつもりでいます。あれは、ワルターさんの食用ですよね。おいしい花が食べられるように綺麗にしようと思いまして」
中庭の花畑は美しかったが、ところどころ整備が行き届いていないように見えた。
花屋で手伝いをしていた経験を活かすのであれば、今がチャンスだろう。
いい案だと思ったけれど、ワルターさんは眉を寄せた。
「好きなことをしていいんだぞ」
「ワルターさんの役に立つことがしたいです。……花畑の整備は、もしかして不要ですか?」
失敗したかと首を傾げると、ワルターさんはため息をこぼした。
「俺はアコナを雇っていない。嫁にもらったんだ。どうして、そう尽くしたいんだ?」
尽くしたい理由。
その理由は、私にとってただひとつだった。
少し恥ずかしくて、俯きがちにぽそりと言う。
「……誰にも、嫌われたくないからです」
お母様にもお姉様にも、実家の使用人にも。
嫌われたくなかった。
今以上に、ないがしろにされる存在にはなりたくなかったから。
人生でこびりついた価値観が、情けないものだとはわかっている。
ちらりと様子を窺うと、ワルターさんは大きな目をぱちりと瞬かせた。




