セーラー服と水晶体
桜
長袖のセーラー服を着た少女はまっすぐに前を見据えて、一人歩いている。その瞳は前髪の揺らめきで不規則に光をとらえては放す。その白い額に浮かんでいるのは、いつもと変わらぬ帰り道になんの期待も抱かない、浮かれるということを自らに許さない表情のようだ。
季節は春。桜は満開になったばかりで次々と散っていく。道行く人はカメラを構えたり、足をとめたり、少なくとも彼女ほどの速さで歩くことはない。
ふと、そんな彼女の視線に映じたのは、日の当たらぬフェンスと民家の間にできた蜘蛛の巣。そして風に揺れつつも地に落ちることのない薄紅の花びらいくつか。
きっと彼女はその姿に死ぬまで思いを寄せつづけることだろう。地に落ち、無遠慮に踏みつけられる運命を免れたその花びらは至福の姿の幻影だ。
少女よ、それは毒々しくも儚い姿をして、一瞬にして君の心を捕らえたことだろう。儚さは美しい。ほんの一握りの選ばれた者だけが99パーセント約束された末路を免除され、儚くなることを許される。
しかし多くの人間はそのチャンスを他人事のように見過ごしていく。美しさを讃えながら自らを貶めるように長らえる。そして醜さを忘れていく。
君は、儚さを体現することができるだろうか。いま、君は美しい。
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満月
ベンチに座る青年は黒縁の眼鏡をハンカチで拭いている。白い肌と白いシャツが夜闇に浮いて、黒髪もジーンズも遠目には朧だ。
青年の隣には明りの点らぬ街燈、正面には満月を映した静かな湖面。彼はただ作業に懸命で、周囲のことに関心があるようには見えない。
ついに作業を終えたらしい彼は、ハンカチと眼鏡を置き去りに踏み出す。かすかな風がシャツの襟元を通り過ぎても、月影に花びらを散らしても、彼の歩みを引き止めることはない。彼が見据えるのは月そのものの姿だけ。
仰ぎ見た月は美しいだろうか。風に揺らめく水面の似せ絵ほどの不確かさしかないだろうか。それとも古い記憶の中の満月に似ていただろうか。あるいは彼自身の水晶体の幻だろうか。
水際に臨む時、その瞼は閉じることだろう。見るべきものは見尽くしたのだから。
青年よ、人々は君を讃え、忌み、そして忘れることだろう。だがそれは君の至福を侵すことはないと約束しよう。
完遂されようとする君の行為を見届けることができる者はいない。せめて月と湖に人格を与え、その行為が祝福されることを祈ろう。君は永遠に幸福だ。