『根』
無機質な何かに寝そべって俺は過去を走馬灯のように懐かしんでいた。
小さなころ俺は、公園に生えていた雑草に憧れていた。
変人だと思われるのは嫌なので、理由は述べておく。小さい頃の自分は、自分よりも何十倍も小さい雑草を抜くことができなかった。
そして俺はその力強さに憧れ、よくお母さんに将来は「雑草になる!」って言ったものだ。その話をするたびにお母さんは、ニコニコした笑顔で、「絶対にその夢叶うわよ。雑草みたいに立派な根を持ってね。」と言っていたのを今になって思い出した。
この声が届くか分からないけれど、今の俺は立派な根を持ちました。
社会人というのは、歯車のように毎日、動いている。調子が悪くなったら油をさしてでも動かし、ダメになったら捨てる。家庭に根を張って親の養分を吸い取る俺からしたら全く関係ないことだし、そもそも社会がどんなものなのかを知らない。
時の流れは速いもので大学を卒業して、5年がたった。
俺の隣に住んでいたやつが、結婚して一児の父になっていることをお母さんから聞いて、周りはどんどん大人になっていくのに自分だけ子供に戻っているような気がした。
しかし、不思議と焦りはなかった。むしろ自分は社会人が欲している時間や自由を腐るほど手にしているのだと自慢したくなったほどだ。
この5年間の俺の生活はいたってシンプルで毎日がルーティン化している。
少し詳しく言うと、月曜日から金曜日までは基本的に家でネットをするかアニメを見ている。そして、土曜日と日曜日は駅前にあるパチ屋で朝から晩まで、スロットだ。
アルバイトなんてするわけないし、スロットの軍資金は親の金だ。人の金でするギャンブルはスリルが半減するが、そんな贅沢を言っている余裕はない。こう見えて俺は、親孝行なんだ。
それに毎回、スロットで朝から晩まで時間をつぶせるわけがない。むしろ、8割はお昼までに親の財布から抜いた5万円がなくなっていることの方が多い。
その時は、抑えきれない怒りを壁にぶつけるんだ。
そういえば、俺の家はお母さんとお父さんと俺の3人家族だ。
お母さんは、一般的な専業主婦ってやつでほんの数円のために毎日、車で町中走り回っている。母親曰く、家計のために頑張っているそうだが、俺から言わせれば、移動に使ってる車のガソリン代の方が馬鹿にならんと思うがな。
お父さんは、普通の人ならだれもが知っている企業で課長として30年間、働いている。課長ということもあって給料もほどほどにもらっているのだが、30年も働いていて未だに課長というのはどうなのかと思う。そんなことじゃいつか解雇されてもおかしくないだろう。
まぁ、あの冴えないハゲ親父が30年もいられるんだから会社のレベルもその程度ってことだな。
そして、或る日お父さんは解雇になった。
それからの俺の日常は一転した。
お母さんはパートにいくようになったし、お父さんは毎日、新聞紙に向かってブツブツ言いながらお酒を飲んでいる。はっきり言って気持ち悪い。
一家の大黒柱が倒れてしまったせいで、俺のご飯は質素になるしアルバイトもさせられてしまった。アルバイトは嫌だが俺が働くことになったコンビニなんて社会の底辺がウジャウジャいるところだし余裕だ。
「すいません!レジまだですか!」
「宅急便したいんだけど...」
「タバコ...4番...はよせいや!」
まるで地獄のような環境だった。従業員も俺と店長の二人っきりだし、店長にはこき使われるしで最悪。
「店長。俺バイト辞めます。コンビニは俺には向いてません。やっぱりコンビニは底辺がやる仕事だし。」
「えーと何君だっけ?まぁ、いっか。結論から言うと辞めてもらっていいよ。
こっちも助かるしね。それに君、社会なめてるでしょ。僕、君みたいに自分が最底辺なことに気付かず、一生懸命働いている人を見下しているやつが大嫌いなんだ。
君は自分が何もできないお子ちゃまだってことを認めたくないんでしょ。
だから大学を卒業して5年たった今頃に初めてバイトをした。そして、一日も持たなかった。これでも君が底辺底辺と言っているコンビニで働いている僕の方が君より劣っていると言えるのかな?」
その後のことは何一つ覚えていない。いや、思い出したくない。それからの俺は、拍車がかかったかのように親の金でスロットに通った。負けては怒り・負けては怒りを繰り返す毎日、増えていくのはゴミ箱のティッシュと壁の穴だけだ。
ついさっき開けた穴がとても新鮮で見とれてしまった。穴とティッシュにシンパシーのようなものを感じ、俺は失った青春を取り戻すかのように一心不乱シコった。
この瞬間だけ僕の部屋は絶対不可侵の聖域となる。しかし、私の聖域を破るかのようにババアが俺の部屋を開けた。
「ちょっと!本当に働いて!もう家にあんたみたいなニートがいる余裕はないの!お金が稼げないなら出ていって!」
俺は、いつもと様子の違うババアに困惑しながらも、威嚇をした。
「うるせぇな!このクソババアがよ!俺がどうしようが俺の勝手だろ。だいたい俺がこうなったのも教育したお前のせいじゃねえか!最後まで責任取るのが親の役目だろ!さっさと俺が一歩も動かなくてもお金が入る仕事見つけて来いよ!」
ババアは一言も言わず、呆れたような、それとも何かを決心したような目をして俺の聖域から出ていった。
それからの毎日は天国のようだった。毎日のご飯は俺だけ豪華になったし、ババアは俺に対してニコニコしているし、スロットに行くときに気前よくお金も渡してくれる。どうやら、この前の威嚇が効いたらしい。俺は上機嫌になっていつものようにスロットに向かった。上機嫌だった俺は、珍しく空なんか見ながら歩いていた。
人通りの少ない路地を通ったときに俺の視界は180度回転した。体中に衝撃が走る。世界が止まったように感じる。止まった世界の中で、俺の頭はフル回転した。
俺は轢かれたらしい。
徐々に動き出す世界の中で、俺が最後に見た顔は、生まれた時に初めて見たものと同じだった。
それから何日たったのだろう。
とりあえず病院にいるということだけは理解できる。俺が意識を取り戻したというのに看護婦は何食わぬ顔で、俺に点滴の注射をさしている。
「おい!俺はとっくに目が覚めているぞ!」
体を動かそうにも動かない。よっぽどひどく轢かれたらしい。あまり無理に動いても体に悪いことを悟った俺は動くことを諦めて、体がよくなるまで安静にしておくことにした。
「どうせ、骨が折れている程度だろ。いずれ動く。」
その時、病室の扉が開いて、クソババアが入って来た。その時のクソババアの笑顔は今でも忘れない。俺が生きていたことが嬉しかったのだろう。俺は心の中で安堵し、無性にお母さんに抱きつきたくなった。
お母さんはニコニコした笑顔を俺の耳元に近づけて、小さな声でつぶやいた。
「よかったね。子供の時の夢が叶って。あ、確か雑草になるのが夢だったかしら。でも、雑草も植物の仲間みたいなものだからいいでしょ。」
彼女の懐から障碍者年金の書類がわざとらしく見え隠れしている。
こうして俺は、無機質なベッドに根を張った。