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いとしひ


テトラポットに波がぶつかっては砕けて消える。

天気は晴れているけれど、雲がないわけじゃない。

今日は風が強いから、流れていく雲も早い。

きっと明日は雨だ。そんな気がする。


「寒ッ」


轟々と寒風吹き荒れる中、なぜ海になんてやってきた。


夏目亮太は、風に乱された長い前髪越しに、恨みがましく自分を連れ出した一つ上の先輩を眺め見る。彼は亮太の視線に気がつかないのか、砂浜に打ち上げられたクラゲを数えていた。


もうすぐ秋も終わる。

あっという間に冬が来て、年を越し、雪が降って、気がつけば春だ。


彼は卒業する。


一つ年上。

当たり前の事だけど、彼、吾川伊織は自分より一年早く大人になる。

いつも、置いていかれるオレ。


たった百十四日。日数でいったら百十四日しか違わないのに。間に桜が咲いて散るから、オレたちは同級生になれない。


「りょーちん、今日静かじゃん? 」

「寒いし、話すとエネルギー使う」

「えー」


両手をパーカーのポケットに突っ込んだまま防潮堤を歩く。転んだときに危ないと伊織にいつも注意されるけど、転ぶときは顔から転べと親に言われた事があるオレとしては、別に気にならない。

手を怪我するくらいなら、顔が血まみれになった方がマシなんだろう。英才教育なんて聞こえはいいけど、見方を変えれば機能不全家族なんじゃないかって、中学のときに気づいた。

でも、乗ってしまったレールから外れるのは怖い。結局、十七になった今も体育の授業は実技なら見学で、部活にすら入った事がない。クラスではずっと浮いたまま。男も女も、オレの名前を呼ぶときは、いつも『夏目君』。

『夏目』でも、『亮太』でもない。オレと彼らの間には、知らないうちに見えない線が引かれてしまってた。


芸能科がある高校に行けばよかったのにと、陰口を叩かれた事もある。


でも、伊織が。

一個上の幼馴染が通う学校にいたかった。


小学生の頃、ヴァイオリン教室に向かう途中で同級生に待ち伏せされた事がある。持っていたケースを奪われそうになって、必死に抱いて守った。

あの時、伊織が助けてくれたから。

小三のオレの目には、小四の伊織の背中はとても大きくて、頼もしく映った。


あの日から、伊織はオレのヒーローだ。


言わないけどな。


「何か今日、ご機嫌真横だよ? 」

「こんなクソ寒い日に、防潮堤歩かされるとは思ってなかったからな」


 大判のメンズストールを適当にぐるぐると首に巻きつけただけだったけど、亀のように首を引っ込めれば口元まですっぽりと埋まって温かい。


「そうやって、マフラーん中に埋もれてるの昔とかわんねぇ」

「……悪かったな、寒がりで」


子供の頃の伊織の夢は、宇宙飛行士になる事だった。今の彼は、農業に興味があるらしく品種改良を行って、農業の発展に貢献したいとか言ってる。大学に進んだら、今度はどんな夢を見るのだろう。将来を決められているオレと違い、彼は沢山の夢を見る。まるで万華鏡のように、クルクルと輝きながら色と形を変える彼の夢は、オレにはとても眩しかった。


つま先を見る。視線を下に落とすのは、子供の頃からの癖。視界の中に伊織が無理やり入ってきた。


「なぁ。やっぱ大学、音大行くの? 」


子供の頃と変わらない茶色のくるくるの巻き毛。目の色も明るい彼は、四分の一スウェーデン人の血が混ざっているそうだ。


「行くよ」


オレよりちょっとだけ背が高いはずの彼は、いつもオレの顔を下から覗き込んでくる。本人は猫背だからって言うけど、何かの言い訳に聞こえた。


「東京? 」

「判らない。大阪も受けると思う」

「そか」


風が吹く。遮る物が何もないから、まともに当って体温を持ち去っていく。


「寒いよ」

「うん」


オレの抗議に伊織は、ゆっくり、ゆっくり歩き出す。半歩分、遅れてオレは彼の後を追う。


「東京にしなよ」

「なんで」


子供の頃から、いつもそう。オレは、百十四日分遅れて彼の後を歩く。


「俺、東京の大学行くから」

「……」


俯いて歩くオレは、彼が立ち止まった事に気づかず見事に相手にぶつかった。


「だから、前見て歩けって」


ぐるりと景色が回って、一瞬、空が見えた。

いや、今も見えている。

咄嗟に伊織がオレを抱きしめてくれたから、転ばないですんだ。


「お前、あぶないから。転んだら、どうするの」

「転んだら」


どうなるんだろう。


心臓が痛い。転びそうになったから?


両手は、ポケットの中。


「歩けるか? 」

「おう」


腕を解き、オレを解放した伊織は、なぜだか代わりに左手を差し出してきた。


「なに」

「手」

「何で」


不毛すぎる。


「お前、また転びそうだし」

「転ばねーよ」


心臓が痛い。


「今、転びそうになったじゃん」

「それは伊織が急に止まったからだろ」

「いいから、手」


強引に右手をポケットから引っ張り出される。彼の左手に繋がれた手は、そのまま伊織のブルゾンのポケットへと納まった。


「なにゆえ? 」

「お前、さっきから寒いって文句言うから」

「……」


寒いよ。

風は冷たいし、海だし。潮風で髪はバリバリになるし、さっきから顔もなんか突っ張って最悪だよ。


伊織が歩き出せば、彼に右手を人質に取られたオレもつられて一緒に歩き出す。


彼の隣を歩く。


「俯くなよ。また泣いてるのかと思うじゃん」

「いつの時代の話だよ」


彼と同じ歩幅で歩く。


「しょーがくせー」

「バッカじゃねーの」


百十四日、彼はオレより早く大人になる。百十四日、オレは伊織より子供だ。


「なぁ、東京にしなよ」

「どうして合格前提なんだよ」

「俺、絶対受かるもん」

「スゲー自信」

「頑張るから。めっちゃ頑張るから」


オレは伊織より子供だから、


「そしたら、まだ一緒にいられる」


子供でいられる猶予と、大人になったその先を見ていなかった。


「なんで泣くの」

「寒すぎて、涙が出てきた」

「ありえないし! 」


オレより早く大人になる伊織。いつも先を歩いていってしまう伊織。

でも、彼はいつだってオレを置き去りにせず待っていてくれた。


散々笑って、繋いでいない方の手で涙を拭う。

繋いだ手は、彼のポケットにしまったまま。

ここまでされて、やっと気づいた。


「伊織、オレさ」


今日は風が強くて。

風が、とても強くて。

オレの言葉は、風の中に消えてしまうけど。


茶色い目が、めいっぱい開かれる。


どうやら、オレの声は届いたみたいだ。



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