揚げ物のお礼
ラキアには、しっかりと話をしなきゃならない。そう思った俺は、ラキアが帰ってくるのを自室で待つことにした。
流石に、部屋の前でずっと待つわけにはいかない。魔族とは言ったものの女の子で、さらに言うなら魔王の娘だ。変態行為と誤解されたら、それこそ、俺なんて簡単に殺されちまう。それ以前に抵抗あるし。
しばらく待っていると、隣の部屋のドアが閉まる音が聞こえた。間違いない、これはラキアだ。
俺は部屋から飛び出て、ラキアの部屋の前に立った。
話をしなければ。俺は扉をノックしようとしたが、なぜか手が止まってしまった。
何を話せばいい? 仮にここで呼びかけた所で出てきてくれるのか? そもそも俺なんかに話しかける資格があるのか? 俺はいろいろ考えて、考えて。
――やっぱり、やめた方がいい。俺は歯を食いしばり、唇を噛んで、ドアの前から立ち去ろうとした。
――その時、ラキアが泣いているような声が聞こえた。決断を変えるには、十分すぎる材料だった。
俺はラキアの部屋の前まで戻ると、扉を勢いよく開け、中へと踏み入った。
ラキアが一瞬、驚いたようにこちらを見つめる。俺は泣き腫らした目を見た瞬間に、体がピクリとも動かなくなって、「……あ、」と、小さな声を漏らすことしかできなかった。
「……なんだよ?」
ラキアは荒んだ声で俺に語りかけてきた。俺は何も答えられず、ただ立ち尽くすだけだった。
「なんだよ、なんだよなんだよなんだよ! 私が失敗したのがそんなに面白かったのかよ!」
違う、違う。俺はお前を、慰めたくて……。そんな言葉、口に出せるわけがなかった。
ラキアが枕を投げつけてくる。感情の乗ったそれは、体に当たって、これと言って手応えもなく地面に落ちて。
「なんでお前が来るんだよ……! なんでクソジジイじゃないんだよ! なんで人間なんかに、私の嫌なとこ、見られなきゃならないんだよ……!」
ラキアはめちゃくちゃに叫んでいた。ベッドに体を叩きつけて、のたうち回って。その姿は純粋な、悔しいという思いを吐き出していた。
「勉強、したのに。昨日しっかり、やったのに。たまたまだよ? たまたまわからなかったところが当たって、それで答えられなくて。私、しっかり、していたのに……!」
俺は何も言えなかった。俺は何も、言えるわけがなかった。
「……結局、私みたいな才能の無い奴は――何やったって、無駄なんだ。いつも思うよ、これだけじゃないから。今まで何度も、どれだけ頑張っても、結局結果なんて出なかった。クラスで1番頭が悪くって、1番弱い。なんで私が、こんな事に――!」
俺は――何も、言えなかった。
「なんとか言えよ! そうやって私を見て、お前、内心笑ってるんだろ!
出てけよ! さっさと出てけよ!」
ラキアは瞬間、俺に手をかざしてきた。
直後、風が吹き荒れる。俺はそれに弾き飛ばされ、部屋から押し出されてしまった。
地面に尻餅をついた瞬間、ラキアは部屋の扉を閉め、俺は完全に締め出されてしまった。
「――才能の無い奴は、何をやっても無駄、か」
俺は廊下の中で頭を抱えた。
声が響いてくる。嘲笑、罵倒、呆れた声。俺は頭の中でそれを思い出しながら、
「ああ、そうだよ。全くもって同感だ」
ボソリと、呟いた。
◇ ◇ ◇ ◇
『君、運動神経がほかの人より鈍いね』
『え?』
現代の、大学病院の診察室。犬や猫のステッカーが貼られた壁紙、隅に置いてある白く硬い小さなベッド。俺はその中心辺りで、丸椅子に座り、目の前の先生から話を聞いていた。
『いや、君、この前脳検査したでしょ? その時にわかったんだけどね……ほら、運動を司っている部分の反応が弱い』
医者は机に置かれたパソコンに映る、俺の脳らしいものの画像を指差し言う。
俺は当時、少しだけ大学病院へ通っていた。
俺はこの時柔道をしていた。練習の最中、投げられた際に頭を打ち、気絶。病院へ行き、念の為に脳を診たのだ。
ただ、この脳検査が問題だった。なんたって、「君の脳は異常です」と宣告されたのだから。
『おそらく、これは今回の事が原因ではありません。何か、気になるのですが――お母さん、心当たりはありませんか?』
医者は俺の横に座っている母ちゃんに尋ねる。俺の母ちゃんはその時、何か心当たりがあったのか、即座に返答していた。
『生まれた時、10分ほど、泣いてませんでした』
それ自体は前々から聞いていた。生まれた時に泣いておらず、つまり呼吸をしていなかった。まあ、それでも五体満足で生きていたわけで、俺は大して気にはしていなかったのだが。しかしそれを聞いた医者は、『ふむ……』となにやら思案していた。
『おそらく、それが原因です。その時に脳にダメージを受け、人より運動神経が鈍くなったのでしょう』
それは俺にとって最悪の言葉だった。スポーツをしている人にとって、この言葉がどれほど絶望的かわかるだろうか。
それでも俺は、目一杯の練習をした。目一杯の練習をしたが、並み居る強者のみならず、普通の奴にさえ勝てなかった。
あいつらは俺より練習していなかったのに。俺は、天性の勘やらセンスやらの影響で、結局、部内最弱の名を欲しいままにした。
そして俺は、悟った。結局世の中は、才能やセンスなんだって。
◇ ◇ ◇ ◇
「同感だよ。世の中は結局、才能やセンスだよ……」
俺は、扉の前までのそりのそりと歩いた。頭を打ったか、クソいてぇ。だが、んなもん知ったことか。
「この世は理不尽だよ。俺は、この20年で嫌という程それを味わってきたよ」
ラキアに語りかけるように、俺は声を出す。ドアの向こうから声は聞こえない、結局俺は何もできていないか。だが、んなもん知ったことか。
「でもよぉ……! でもよぉ!」
この言葉は届かないだろう。――でも、知った、ことか!
「お前は! 才能やセンスなんてねーかもしれねぇけど! マイナスじゃねーだろ!」
腹から湧き出た物を声にして出す。ムカつく、ムカつく、ムカつくんだよ!
「お前は今! 俺をすっ飛ばして見せたじゃねーか! 今日だってテメェのこと見てたよ、わかってた問題もあったんだろ! 尻尾がぴょこぴょこ、わかりやすかったんだよ! 昨日勉強のやり方教えたからだろ、つまりはやり方が悪かったからダメだっただけじゃねーか!
何諦めてんだよ! お前は! 俺より! 力があるだろ! もったいねーんだよ、そこで諦めたらよォ!
何やってんだよラキア! 悔しいだろ! 苦しいだろ! だったら立てよ! お前にはそれだけの力があるだろうが!」
無我夢中だった。自分でも何を言っているのか、わからなかった。
ただ。
ただあいつが、これしきのことで腐ると思ったら、どうしようもなくむかっ腹が立った。だからこうまでして叫んだ。恥もあった、懸念もあった。それでも俺は、嫌だった。
もう、これ以上俺みたいな奴を増やすのは。ラキアのためじゃない、俺はそれだけが気に食わなかった。
叫び終えると、俺は息を荒らげて扉の前に立ち尽くしていた。沈黙が流れる、ラキアは反応さえしてくれない。俺は1度大きく舌打ちし、自分の部屋に帰ろうと踵を返した途端。
「……ほんとう?」
ラキアのか細い声が、聞こえた。
「本当に、お前は……私に力があるって、思っているのか?」
俺は、扉へと向き直った。んなもん、決まってんだろ。
「あるさ。断言してやる。お前には強くなれるだけの力がある」
「――そんなの、証拠なんて……」
「お前は、精一杯努力してきたんだろ?」
俺の口は知らず知らずのうちに言葉を紡いでいた。
「なら、それだけで十分だ。何の益も生み出さねぇことを必死でできるのは、紛れもねぇ強さだ。お前はただ、やり方が悪かっただけだ。確かに才能はねーかもしれねぇ。だがお前は現に、大の大人1人を魔法かなんかですっ飛ばしたんだ。つまりな、マイナスじゃねぇってことだ。それならお前の『強さ』で、いくらでも前に進める。俺が、断言してやる」
その言葉は、本来俺から出していいものじゃないのだろう。大した結果も出していない、ゼロどころかマイナス、社会のゴミが言うべきではない言葉。
だが、社会のゴミだからこそわかる事もある。それは、この状況に立った時、誰かに自分を認めてほしいという事。
なら、いいじゃないか。認める奴が俺であっても。この言葉を言う資格が無い奴であっても。目の前の女の子を、その言葉一つで勇気づけられるのなら。
「にん、げん……」
「ラキア。中に、入れてくれるか?」
「人間……なんで、なんであんたは、私に……」
「っせー。あんだけ美味い揚げ物買ってもらえたんだ、借りを返すのは当然だろうが」
俺が言うと、ゆっくり、ゆっくりと、扉が開いた。
そこには、目を泣き腫らしたラキアが立っていた。彼女はしばらく俺を見ると、やがてゆっくり近づいて、俺に抱きついて。
「あ、あああ……ああああああ……!」
情けないような声で泣いた。俺は、ラキアの頭をそっと撫でて、目を閉じた。
そうだ。誰かに、認めて欲しかっただけなんだ。こいつはその努力を、力を、何も言わずに肯定して欲しかっただけなんだ。
大丈夫だ。頑張る奴の力を、俺は否定しない。俺はそう思いを込め、ただラキアの頭を撫で続けた。