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07 嘆願書


「やっぱり王都は賑やかですね。見ているだけで心が弾んじゃいます!」


 宿を出たシャルロットは、お下げを右へ左へ振り乱し、興奮気味に視線を巡らせている。

 正午過ぎの大通りを往来するのは、商人や冒険者を始めとする多様な人波。最新工法の木造家屋が建ち並び、華やかな商店が通りを賑わせている。


「まぁ、アンドル大陸の中心だしな。人も物も集まる、流行の最先端地ってやつさ」


 一緒に宿を出たフェリクスさんが、シャルロットの背へ声を投げた。そんな彼女の頭上では、ラグが呑気に羽ばたいている。だが楽しそうな彼等とは対照的に、眼前を往来する人だかりに辟易してしまう。


「俺、人だかりは苦手で。ヴァルネットでさえ多すぎると思ってるのに……ところで、シルヴィさんは大丈夫ですかね?」


 宿を振り返り、誰に言うでもなくつぶやく。


 結局、昨晩に大きな動きはなかった。安酒で悪酔いをしたシルヴィさんは、気分が悪いと言って起きようともしなかった。それでも無理矢理に馬車へ押し込み王都までやってきたのだが、今も部屋で横になっている。


「心配なら、側にいてやったらどうだ」


 意味深な笑みを浮かべるフェリクスさん。その視線が痛い。


「それはそれで色々と問題ですよ。ひとりで寝かせておきましょう」


 オルノーブルの街とシルヴィさん。どんな関わりがあるのかはわからないが、あの街を離れた以上、これで問題はないはずだ。いつもの様子に戻ったフェリクスさんが、それをはっきり体現してくれている。


 シルヴィさんも気になるが、俺も加護の腕輪を受け取るという一番の目的がある。それでなくとも、賊が絡んだ厄介事まであるのだ。


 赤い布を託され、命を落とした賊。布は二の腕へ巻き付けているが、今のところ相手からの接触はない。人目を避けているとすれば、日没後に現れる可能性が高い。


「リュシアンさん。それじゃあ早速、冒険者ギルドの本部へ行きましょうか」


 シャルロットの言葉に頷くと、フェリクスさんから呼び止められた。


「王の左手の仲間たちにおまえを紹介したいんだ。王城への跳ね橋の側に、剣と盾の若獅子亭がある。そこに十七時集合でどうだ?」


「わかりました。話には聞いてましたけど、実際に会うのは初めてですね」


 なんだか今から緊張してしまう。俺など、五人の前では駆け出し同然だ。


「王の左手が集結なんて凄いです。私もぜひお会いしたいですけど、完全に場違いですね」


 苦笑するシャルロットへ、フェリクスさんは柔らかな笑みを返した。


「お嬢さんには悪いが、押さえているのは会員制の個室なんだ。またの機会にな」


 彼女へ謝り、こちらに視線を向けてきた。


「ひとり遅れていてな。ヴァレリーと連絡が取れないままなんだ。真面目なあいつのことだ。遅刻するとは考えにくいんだがな」


「ヴァレリー=ブランジェ。止水の剣聖ですよね? 私、あの方も好きなんです」


 シャルロットの目が羨望の光を帯びている。


「愛想がなくて、何を考えているのかわからん奴だ。巷では人気らしいな。でも君は、リュシアンの虜なんだろ?」


「それはそれです。近くのリュシアンさんと、遠くのヴァレリー様です」


 随分と雑な扱いに困惑してしまう。フェリクスさんはその返しを目にして、さも楽しそうな笑みを浮かべた。


「君は面白い女性だな。リュシアンやシルヴィが気に入るのもわかる」


 俺の顔をそっと伺い、フェリクスさんは雑踏の中へと消えた。相変わらずの自由人だが、あの人が言わんとしていたことを察してしまった。

 当のシャルロットは落ち込んだ様子もない。俺たちとは世界が違うと割り切っているのだろうか。


「シャルロットは明日の便で戻るんだろ。腕輪の再支給後は、待ち合わせまで自由時間だ。行きたい所があれば付き合うぜ」


「え? いいんですか!?」


 花開くような明るい笑顔に、こちらまで嬉しくなってしまう。


「近くのリュシアンがお供させて頂きます」


「もぅ。そうやって言葉の揚げ足を取って……意外と意地悪なんですね」


「意地悪な奴が、わざわざ付き合うか?」


「それもそうですね。失礼しました」


 シャルロットが頭を下げ、俺たちは顔を見合わせて吹き出した。そうしていると、左肩へ降りて来たラグまでもが楽しげに鳴いた。


☆☆☆


「今、腕輪をお持ち致します」


 ギルドの受付女性が奥へ消えて行くと同時に、隣にいたシャルロットが動いた。


「私も本部の皆さんにお話があるので、すみませんが少し待っていてください。勝手にどこかへ行かないでくださいね」


「大丈夫だって。待ってるよ」


「そう言えば、そこの掲示板を見ましたか? セリーヌさん、ランクCになっていますね」


 驚いて掲示板を確認する。確かに昇級者一覧へセリーヌの名前がある。彼女の腕輪を付けたマリーがそれだけの活躍をしているということだ。もっとも、エドモン、レオン、アンナが報酬申請を集中させているのだろう。


 胸の前で小さく手を振り、カウンターの奥へ消えて行くシャルロット。それを見送り、普通の恋人たちはこんな光景を繰り返しているのだろうと、ぼんやりと考えていた。


 俺にもいつか、そんな日が来るのだろうか。兄を見付け、竜の力を解き明かし、心から恋愛を楽しめる日々が。


 ふと彼女の顔が過ぎる。そんな平穏な日々が来るというのなら、俺の隣で笑っていてくれるのはセリーヌであって欲しい。


 シャルロットといる時に別の女性を思うのは不謹慎かもしれないが、彼女に対して特別な感情はない。妹のようで放って置けないだけで、俺の心は常にセリーヌが占めている。

 シャルロットが俺に抱いているのは一時の憧れのようなものだろう。もしも本当に恋心なのだとしたら、彼女には気持ちをはっきり伝えなければならない。


「お待たせしました」


 不意に声を掛けられ、途端に我へ返った。目の前では受付の女性が、不思議そうな顔でこちらを見ている。


「すみません。考え事をしていたもので」


 そうして久々に愛用の腕輪を取り戻し、冒険に必要なすべての装備を整えることができた。


「リュシアンさんも良い方たちに恵まれましたね……それとも、あなたの人徳がそうさせたのでしょうかね」


「は?」


 カウンターの向こうで朗らかな笑みを浮かべる中年女性。我が子の成長を喜ぶような雰囲気を帯びている意味がわからず、いぶかしげな顔を作ってしまった。


「ひょっとして、言ったらマズかった?」


「何のことですか?」


 口元を押さえて慌てふためく彼女へ、すかさず問い掛けた。

 彼女は周囲へ視線を巡らせ、シャルロットがいないことを確認しているようだった。


「リュシアンさんの処分が決まった後、シャルロットが羊皮紙の束を持って来たんです」


「羊皮紙の束?」


「はい。あなたの罪を軽減させるための嘆願書だと言って……あの子、街の人たちから署名を集めていたんですよ」


「署名って、そんなものまで……」


 何も知らなかった。

 彼女がそこまでしてくれていたことも。ヴァルネットのみんなが、そんな協力をしてくれていたことさえも。


「それこそ、何千人分という膨大な数だったんですから。大司教のジョフロワ様を筆頭に、商店の方々から、ギルドの冒険者まで」


「まさか……」


 俺は冒険者として、世話になっている街の人たちを助けているつもりでいた。それがまさか、みんなに支えられていたなんて。


「俺は、とんだ大馬鹿野郎だ……」


 恥ずかしくて情けない。こんなにも想われていたことに微塵も気付けなかった。

 別に驕っているつもりはない。ただ、自分自身にそこまでの価値があるとは思っていなかった。人口三万人を越える街に生きる冒険者のひとり。その程度にしか考えていなかった。


「じゃあ、シャルロットがここへ来たのも……」


 きっと、俺の処分が解けたことへのお礼参りに違いない。今日という日にあれほどこだわっていたことも頷ける。

 胸の内から込み上げる熱いものを押さえきれなかった。俺はこれからもみんなの期待に応え、それに恥じない生き方を心掛けなければならない。


「みんな……ありがとう」


 加護の腕輪に手を添えると、自然とそんな言葉が口をついた。シャルロットが戻ってきたら、彼女には真っ先に感謝を伝えよう。

 剣にも、腕輪にも、みんなからの温かな想いが目一杯詰まっている。戦いを支えてくれる仲間にも恵まれ、決してひとりじゃないということを強く思い知らされる。


「がうっ」


 左肩の上で、大切な相棒が元気よく鳴いた。


「私が言ったというのは内緒でお願いします」


 女性に微笑み返して出口を振り返った時だった。それまで胸の内を満たしていた温かい気持ちが、途端に冷えてゆくのを感じる。


 緩む口元を引き締め、入口の壁へ寄り掛かるように立っている人影を見据えた。

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