06 荒くれどもの喧噪亭にて
「っかぁ〜。この一杯のために生きてる!」
エールを飲み干したフェリクスさんは、ジョッキをテーブルへ置いて吠えた。
「そういう言動が、おじさんだって言うのよ」
果実酒の入ったグラス片手に、薄切りにされた加工肉を口へ運ぶシルヴィさん。この人のまともな軽装姿を久しぶりに見た気がする。
「意外でした。おふたりへ抱いていた印象が、どんどん崩れていきます」
鶏肉と野菜の炒め物が盛り付けられた皿をつつき、シャルロットは恐ろしい物を見るような目でふたりを伺っている。
それを聞きつけたフェリクスさんが、挑むような顔で彼女を見据えた。
「印象なんて、個々が勝手に作った幻想だろ。俺は俺だ。ありのままを受け入れて、付いてきてくれる奴がいればいい。こいつらみたいにな。まったく……最高の奴等だろ」
上機嫌で笑いながら、両隣へ座る俺とシルヴィさんの肩を叩いてきた。
「フェリクスさん。シャルロットが怯えているんで、威圧するのはやめてくださいね」
テーブルの下で上着の裾を握りしめてくるシャルロット。そんな彼女を愛おしく思ってしまう。
ここは、街の中心近くにある大衆酒場。荒くれどもの喧噪亭、などという豪快な名前だ。
日も沈み、夜のとばりが落ちた二十一時過ぎ。馬車を押した俺たちは、どうにかオルノーブルへ到着。御者は修理屋を尋ねると言って別行動となり、宿へ荷物と装備を置いた俺たちは、夕食を摂るためここへやってきた。
三十近いテーブルはどこも満席。まだまだ夜はこれからといった様相で、喧噪に満ちている。街人や商人、それこそ冒険者といった者たちまで多種多様に集っている。
人口五万を越えるこの街は、王都にほど近いことも手伝い、重要な交易地点となる大型都市だ。人も物も集うとあって、巨大な市場や賭博場まで設けられているのが特徴だろう。これまでにも何度か足を運んだことはあるが、王の生誕祭が近いせいか、街中には商人や煌びやかな服装をした富裕層の姿が目立った。
食事をしながらも、シルヴィさんに元気がないのが気掛かりだ。食事もそこそこに飲み続けているが、明らかに進みが速い。馬車が襲われた時のやり取りから察するに、この街を避けたい理由があるようだが。
そんなことを考えていると、辺りをせわしなく飛んでいたラグが、左肩へ戻ってきた。
「シルヴィさん。なんだか元気がありませんけど、どうかしたんですか?」
「別にいつも通りだけど? 元気がないとすれば、お酒が美味しくないせいね。この間のフェリクスのお土産と比べちゃうとねぇ……」
寂しげに、グラスの縁を指先でなぞる。
「おいおい。それは当然だろ。あの酒は、かなり奮発したんだ。大衆酒場の酒と一緒にしないでくれるか」
心外だと言わんばかりに抗議の声を上げるフェリクスさん。店員の若い女性を呼び止め、エールのお代わりを頼んでいるのだが、色目を使っていることは触れずにおこう。
「あたしの話はいいのよ。それより、シャルロットの話を聞きたいわ」
「え!? 私の話、ですか!?」
シルヴィさんの突然の振りに、呆気に取られている。
「そう。あなたから見たリュシーってどんな感じなの? 王都まで付いてくるくらいだし、特別なんだろうなぁって、気になっちゃって」
「あの……そんな風に、急に振られると困っちゃいますね。どうしようかな……」
フォークの先を咥えたまま、顔を赤くしてうつむいてしまった。
「それは別の機会でいいんじゃないですか」
俺に関する話題は避けるに限る。
「シルヴィ、おまえの聞き方が悪い。ふたりが知り合う切っ掛けはどうだったんだ? まぁ、リュシアンが依頼を探して、ギルドへ行ったのが始まりなんだろうけどな」
フェリクスさんは明らかに面白がっている。皿に盛られた加工肉を摘まみ、口へと運ぶ。
「いえ。初めて会ったのは、ギルドじゃないんです。私が父の使いで馬車に乗っていた時、狼の魔獣に襲われて……」
そう。シャルロットに初めて会ったのは、あの馬車の中でのことだった。ヴァルネットの街で女将さんに助けられた俺は、数日後、金策のために依頼をこなし始めていた。
遠方へ出掛けた帰り道、乗合馬車がルーヴの群れに囲まれたのだ。周りは商人や街人ばかり。まともに戦えるのは俺くらいのものだった。
「凄く格好よかったんですよ! すっと立ち上がって剣を抜くと、俺に任せてください、って馬車を飛び出して行ったんです! そこからはもう、あっという間ですよ!」
興奮した顔で手にしたフォークを剣に見立て、右へ左へ素早く振るう。
「がう、がうっ!」
至近距離でそれを見せられたラグは慌てふためき、再び飛び去ってしまった。
「碧色に輝いた剣が振るわれる度、魔獣がどんどん倒れていくんです! 力強さの中にも華麗さが漂う見事な剣捌きでした。それこそ、どこかの王子様なんじゃないかって!」
「へぇ……そうなんだぁ……」
ニヤニヤしながら、シルヴィさんが好奇の視線を向けてくる。
「その衝撃が忘れられなくて、すぐにリュシアンさんの虜になっちゃいました……父は冒険者を余り良く思っていないので、私に呆れているみたいですけどね」
「良く思っていない? どうして?」
フェリクスさんが、いぶかしげな顔をする。
「自由業だから収入が安定しないし、命の危険もあるって……間違っても冒険者を好きになるんじゃないぞ、なんて言うんですよ!」
すると剣聖は、大きな溜め息を漏らした。
「冒険者がいるからこそ、治安が保たれている面があることも忘れて欲しくないんだがな。今日のベアルにしたってそうだろ?」
確かにその通りだ。近年、凶暴化を続ける魔獣に対し、俺たちの存在は欠かせないはず。
「とは言っても、冒険者ギルドには本来、別の目的もあるんだがな……」
「は? 別の目的って、何ですか?」
余りにも気になる物言いだ。
「おまえがランクSになった暁に、祝いを兼ねてすべて話してやるつもりだ。まぁ、その内のひとつは、前に話した大型魔獣のことさ」
ブリュス=キュリテール。兄の手帳にも残されていた、謎の多い存在だ。
「そこまで言って秘密なんて酷いじゃないですか。ねぇ、リュシアンさん」
「シャルロットの言うことはもっともだけど、フェリクスさんは絶対に喋らない。諦めろ」
腑に落ちない顔で食事を続ける彼女。苦笑混じりで視線を外したその時、隣のテーブルにエールを運ぶ店員女性が目に付いた。
シャルロットより少し年上か。幼さの残る顔付きだが、笑顔と柔らかな物腰は好印象だ。酒を受け取るのは三人組の中年男性。軽装姿を見るに、恐らく街人同士の飲み会だ。
「パメラちゃん。あんたも可愛いんだから、気を付けなくちゃダメだよ」
「何のお話をしていたんですか?」
急に振られては、パメラも困るだろうに。
しかし彼女は手慣れた物だと言わんばかりに、可愛らしい笑顔で対応している。
「あれよ、あれ。ここ最近続いてる、女性の失踪事件。もう二ヶ月くらいになるか? 原因は不明のままだし、女の子たちも見付かってないって言うじゃねぇの……」
呂律の回らない赤ら顔で、注意を促している。
「怖いですよねぇ……心配して頂いてありがとうございます。私も気を付けますから、皆さんも飲み過ぎには気を付けてくださいね」
さすがの対応でテーブルを去って行く。
「女性の失踪?」
うわごとのようにつぶやいたシルヴィさんだったが、その直後、テーブルへ突っ伏すように酔いつぶれてしまった。
まだ飲み足りないというフェリクスさんを残し、シルヴィさんを背負った俺は、シャルロットと共に宿へ向かう羽目になった。
シャルロットを見送り、シルヴィさんを個室へ。後の対応を女将へ頼み、慌ただしく酒場へ戻る。すると、フェリクスさんはパメラを掴まえ、呑気に談笑という有様だ。
「自分だけ楽しそうですね」
怒りを抑えて座り直すと、空気を察したパメラは慌てて仕事へ戻って行った。
「そう怖い顔をするな。もう少しで今夜の逢瀬を取り付けられるところだったのに……」
「それはすみませんでしたね」
飲み残していたエールを口へ運ぶと、急に真顔へ戻ったフェリクスさんと目が合った。
「シルヴィは大丈夫だったか? あいつはこの街を嫌っていてな……俺も立ち寄るのは避けたかったんだが、馬車が故障とはな……」
「何があったんですか」
「あいつが話したくないなら、俺から言うべきじゃないだろ。リュシアン、シルヴィを支えてやってくれ……あいつも色々あったが、ここまで気を許しているのはおまえだけだ」
すがるような目を向けてくるのだが、この人からそんな言葉が出て来るのも意外だ。
「もちろん。大事な仲間ですから」
嘘や偽りのない、正直な気持ちだ。
「俺は案外、お似合いだと思うんだがな……まぁ、男女問題なんてどうなるかわからん。それよりも、今夜は夜通し宿を見張るぞ」
「は? 見張りですか?」
「シルヴィだよ。万が一、抜け出さないとも限らない。そのためにわざわざ、宿の向かいにある酒場を選んだんだ。頼むぞ」
あの人の過去に何があったのか。知りたいような知りたくないような。そんな落ち着かない気持ちを抱えたまま、夜は更けてゆく。