05 高級馬車に剣聖と戦姫
「三列座席の馬車なんて、初めて乗りました。しかも貸し切り! 高いんですよね?」
俺の隣で、車内を興味深げに眺めるシャルロット。人間世界へ迷い込んだ小動物のような仕草を、後列へ座るフェリクスさんが笑う。
「大丈夫。城で手配してくれた馬車だ。俺は1ブランも払っていやしない。最高だろ?」
「はあぁ……凄いですね……やっぱり王の左手ともなると、待遇が違うんですね」
落ち着きをなくしたシャルロットは、ぎこちない動きで革張りの座席へ身を埋めた。そんな彼女の頭上を、ラグが呑気に飛び回る。
「そんなに緊張するなよ。王都まで二日はかかる。今からそんなじゃ、身が持たないぞ」
「あら。そういう初心な所が可愛いんじゃない……思わず、ぎゅってしたくなっちゃう」
シャルロットの後部席へ座っていたシルヴィさんが立ち上がり、背もたれを越えて小柄な少女の体を抱きすくめた。
「えぇっ!? ちょっと、シルヴィさん!?」
対応に困って、余計固まってるだろうが。
「可愛いベストと首飾りね。よく似合ってる。お洒落とお化粧も完璧だし、随分と気合いを入れてきたのねぇ……長旅だからパンツ姿は仕方ないけど、リュシーは絶対に、ミニスカートで生足が好みのはずよ」
「やっぱり、そうですよね……」
なぜかふたりに見つめられている。しかも、シャルロットの寂しげな顔が気まずい。
「あと、胸はもう少し盛った方がいいわ」
「きゃっ!」
後ろから抱き付いた体勢で、急に揉むとは。
「お願いですから、やめてください……」
うろたえるシャルロットが不憫で、シルヴィさんの腕を即座に掴んだ。
「はいはい。誰かれ構わず自分の調子に巻き込むのはやめてくださいね。しかも、シャルロットは初めての高級馬車で、剣聖と戦姫まで同乗ですよ。ただでさえ緊張してるんですから、優しく接してあげてください」
「わかってるわよ。ちょっと、からかってみたくなっただけじゃない……」
座席へ座り直したシルヴィさんを見て、隣のフェリクスさんは再び笑いを漏らす。
「賑やかな奴等だな。そういやおまえも、リュシアンといるときは本当に活き活きとしてるな。こいつが抜けた後は、黙々と依頼をこなす戦闘人形みたいだったからな」
「はぁ? 余計なこと言わないで」
気になって後部座席を覗くと、フェリクスさんが二の腕を叩かれている。
「があぁっ! 折れた……細身の割に、怪力だってことを忘れてた……」
「あら、御免なさいね。その口を塞ぐ方が先だったかしら」
背後でのやり取りを無視して、座席へ腰を落ち着けた。背もたれ付きの革張り席は肌触りも良いし、適度に沈む感じが心地良い。
左肩へ降りてきたラグが、がうっと一声鳴いた。
「あの二人、緊張感なさ過ぎだろ。あんなことまであったっていうのに……」
「適度な緊張は必要ですけど、自然体でいるのも大事ですよ」
「まぁ、それはそうなんだけどさ……」
隣で上機嫌にしているシャルロットを見て、溜め息が漏れてしまった。
行き倒れの男の件は彼女にも話した。王都にどんな危険があるか知れないので今回はやめるよう説得したが、今でないとダメだと言い張り、頑として受け入れてくれなかった。
“あいつは昔からそうなんだ。言い出したら聞きやしない。女房に似たのかもな”
父親のルイゾンさんですら諦め顔だったため、渋々、同行を認めたのだ。
念のため、動きやすい服装で来るように告げ、ルノーさんから追加で貰ったスリングショットを渡してある。魔法石に加え、閃光玉と煙幕玉。これだけの装備があれば、ある程度の問題にも対処できるだろう。
「寺院での奉仕活動も、無事に終わって良かったですね。治療に通っていた冒険者の方たちの中には、リュシアンさんと話ができたって、喜んでいる人もいたんですよ」
「は? なんで?」
シャルロットは唇を尖らせ、首を傾げている。
「気付いてないんですか? 冒険者の間では人気者なんですよ。剣聖のパーティに在籍経験があって、二つ名持ちのランクA。でも、全然偉ぶってないし、人当たりも柔らかい」
指折り挙げてくれるが、背中がむず痒い。
「レオンさん共々、次世代を担う筆頭候補って噂されてますよ。でも何より、笑顔が爽やかで可愛いんです。癒やしを与えてくれますよね! 私は、ずっと前からそれに気付いてましたよ。みんな何を今更、って話ですよ」
「あのな、可愛いとか言われても複雑だぞ。それに、笑顔ならシャルロットの方が上だろ。依頼からヘトヘトになって帰ってきても、その笑顔に迎えられたら、疲れも吹っ飛ぶさ」
「またまたぁ。照れちゃうじゃないですか! 私を褒めても、何も出ませんからね!」
耳まで真っ赤なシャルロットは、お下げを振り乱し、慌てて前方へ向き直ってしまった。
それにしても、知らない所でそんな評価を受けていたとは。レオンはともかく、俺は次世代を担うような器じゃないだろうに。
「おい、リュシアン。こんな所でお嬢さんを口説くんじゃないぞ。もっと雰囲気のある場所で、格好良く決めるもんだ」
「ただのお喋りですよ。可愛い町娘を見れば、手当たり次第に声を掛けるフェリクスさんとは違うんですから」
他愛ないやり取りを続けながら、馬車は王都を目指してひた走った。
いつもの乗り合い馬車とは違い、車輪も良い物を使っているらしく揺れも少ない。朝にヴァルネットの街を出た快適な旅が、間もなく夕刻を迎えようという時だった。
「うおっ!」
横手から、車体を大きく揺らす衝撃。前方で、二頭の馬の激しいいななきが上がった。
「なんだ!?」
即座に立ち上がった直後、幌の先に見えていた馬の一頭が大きく傾いだ。
そこに覗いたのは灰色の巨大な影。熊型魔獣ウルスの中でも凶暴と言われている種族、アトゥロ・ウルスの姿だった。
ウルスを遙かに凌ぐ攻撃性を持ち、伸び上がった身長は五メートル以上。一撃で大木を薙ぎ倒す腕力と、肉を引き千切る強靱な顎を武器とする、非常に危険な相手だ。しかも討伐対象ランクAの難敵が、こんな街道近くへ出現したことが本当に意外だった。
「シャルロットはここにいてくれ! 身を低くして、座席に掴まってるんだ!」
フェリクスさんとシルヴィさんを追い、馬車の後部から飛び出した。
新しい剣を試すには打って付けの相手だと思っていた時だ。
「紅炎乱舞!」
シルヴィさんが斧槍を振るった。先端から躍り出た一筋の炎が魔獣を急襲。腹部を紅蓮の炎に包まれて身悶えていたが、それもわずかな間のこと。
傷跡から煙を上げたまま怒りに牙を剥き、四足で地を蹴る。好都合なことに、標的はこちらへ切り替わったようだ。
「閃光玉、行きます!」
「馬鹿! 待て!」
ふたりの背中を見ながら魔獣の鼻先へ投げ付けたのと、フェリクスさんの声は同時だった。
弾ける閃光と魔獣の悲鳴。どれほど強大な力を振りかざそうと、対処法さえ間違えなければ恐れるに足りない。そう思っていた。
だが、視界を塞がれた魔獣は更に怒り狂い、大木のような両腕を激しく振り回し暴れた。これでは容易に近付くことができない。
「道具も、相手との相性を考えろ!」
フェリクスさんは魔獣の脇を取った。振るわれる腕の猛攻を容易にかいくぐり、手にした大剣で右脚を深く斬り付ける。同様に、シルヴィさんが左足を裂くと、魔獣の巨体は大きく体勢を崩した。
大上段へ振り上げられた剣聖の大剣。そして、斧槍を構えた戦姫が飛び上がる。
「粛清斬!」
「咲誇薔薇!」
淡い白色に包まれた大剣。その刃が魔獣の右腕を肘から断ち斬った。そして頭上へ描かれた深紅の薔薇が、魔獣の後頚部へ痛烈な一撃を見舞う。
背中をのけ反らせた魔獣が、こちらへ倒れるようによろめいた。その姿を見据える俺も、既に敵の懐へ駆け込んでいる。
振るった剣は驚くほど軽い。この腕と一体化し、翼のようにしなやかな動きで宙を舞う。動きを追って虚空へ描かれたのは、碧色の煌めき。魔法剣から溢れ出した魔力は、再びこの目に輝きを見せ付けてきた。
倒れてきた魔獣の喉元へ刃が触れる。伝わってきたのはわずかな手応えだったが、深く、鋭利に、その一閃は刻まれた。
鮮血を迸らせた魔獣は絶命し、物言わぬ骸と化していた。
刃を収め、左肩のラグへ笑い返した時だ。
「これは参ったな……」
フェリクスさんの声に視線を向けると、馬車を引く馬の一頭は絶命。車体も、左の前輪が大きく曲がってしまっている。
側に立っていた御者の中年男性も、茫然自失といった具合だ。
「なんだかすみません……近くの街で修理が必要ですね。ここからだと、オルノーブルが一番近いので、そこへ向かいましょう」
「オルノーブル……」
御者の提案に渋い顔をする戦姫と、それに気付いて頭を掻く剣聖。その理由が、俺にはさっぱりわからなかった。